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「美味し過ぎる焼きそば」を出す喫茶店――秋田県にかほ市にて

気仙沼ニッティング「東北探検隊」15日目は秋田県にかほ市の象潟へ。
象潟(きさかた)という町は、かつて松尾芭蕉が「松島に並ぶ景観」と称した場所です。象潟の湖に無数の島々が浮かんでいた光景を見た芭蕉が、そう称したのです。その後、江戸時代後期に象潟地震で海底が隆起し陸地化してしましいましたが、水田としていまなお芭蕉の見た光景の面影を残しています。そして、海沿いの町でありながら近くには鳥海山がそびえる。山にはブナの林や苔や滝の名所など見どころが沢山あり、海岸から見る夕陽も売りの一つです。

こんな魅力的な町に来たのに、この日はあいにくの大雨。あまり出歩くこともできず、駅前にある喫茶店に入りました。この店「茶房くにまつ」は、珈琲の注文が入ってから豆をドリップしてくれます。だから、挽きたての珈琲を味わえます。おまけに室内も高い天井と窓から見える山々が相まって、とても落ち着く時間でした。メニューを見ると、お食事は2種類しかないのですが、その一つが「広東焼きそば」です。喫茶店に「焼きそば」とは珍しいなあと主人にお伺いすると、「昔、中華料理の店にいたからね。うちは喫茶店だけど」。
ならば注文させてもらうと、「少し時間かかるよ」と。出てきた焼きそばは、本格的な味で驚きました。聞くとご主人は、昔「炎の料理人」と呼ばれた周富徳さんのいる店で6~7年、料理人として修行されたそうです。


ここ地元の工業高校を卒業して、地元に残りたかったけど就職先がなく、学校の先生の紹介で東京で働くことになり、夜行列車に乗って上野に到着。中華料理店で働くきっかけも「将来、地元でラーメン屋でもできるかな」という気持ちからだった。ところが実際に入ったお店は、新橋にある広東料理の一流店。料理人は20人を超え、その半分近くが香港、中国の人でした。中華料理と言えば、八宝菜と酢豚と野菜炒めしか知らなかった。ところが、この店で扱うのは、アワビ、フカヒレ、ハチの巣など、それはそれは仰天したそうです。
ご主人は新橋の店に住み込み、朝から夜まで仕事をしながら、先輩たちの技を見て学んだそうです。

「何が辛いって、賄いをつくるのほど辛いものはなかった」と当時を語ります。食べるのはお客以上に味に厳しい人たちで、彼らが飽きずに食べてくれるものを考えるのが憂鬱で、周さんにもよく相談に乗ってもらった。賄い料理の味が、料理人としての評価に直結する。何より、美味しくなかったら、みんな食べずに残すそうです。

30代で地元に戻ってきたご主人は、本格的な広東料理を身につけたがために、ラーメン屋さんをやる気にはなれず、この喫茶店を始められたのだ。焼きそばが美味しい理由がよく分かりました。作り方を聞くと、麺をフライパンで焼き、野菜や野菜だけで炒める。豚肉は下味をつけておいて片栗粉をまぶし、油通しをする。「じゃないと肉に均等に火が入れねぇ」。調味料は、いまでも横浜の中華街から取り寄せているそうです。実に手が込んでいるのです。

以前は中華まんじゅうも出していたそうです。「自分で言うのもなんだけど、これがうめぇったらありゃしねぇ」。でも、餡子を炒めて、皮はこねて、寝かして、餡を包んで蒸すのが手間で「やめちまった」そうです。「チャーハンはやらないんですか?」と伺うと「スープをつくるのが手間なのよ」と、「食べてもらう以上、お客さんに喜んでもらいたいじゃない」と。出す料理には手抜きができないのです。
ご主人一人で切り盛りするこの喫茶店は、厨房も狭いので、多くの料理の注文をこなすのが無理、「だからうちは喫茶店なのよ」と仰りますが、料理について話すと止まらない。焼きそばを食べてもらいたいのか、珈琲を楽しんでもらいたいのか。どちらが本望なのか、サービス精神あるご主人は決めきれないようです。

【おまけ】この翌日、焼きそばとは別のもう一つの料理は「姜葱撈麺」(きょんちょんろーみん)という麺料理を食べに行きました。日本でもこれを出す店は珍しいとか。食べると実に穏やかな味で、自分の親に食べさせたい、そんな優しい料理でした。「ここもそうだし、観光で来るお客さんも年配の人増えたでしょ。だからこういうさっぱりした料理も出そうかと思ってね」と、こちらもここでしか味わえない一品です。

***この日見た風景から***

象潟の蚶満寺の境内。松尾芭蕉が訪れた。

同じく蚶満寺の境内。芭蕉が歩いたか。

象潟駅前にある茶房くにまつ

鳥海山の山すそ。渓流と苔が見事の雰囲気。

名所の一つ、元滝伏流水。鳥海山から流れ出る大量の水。雨の中、靄もかかる。


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