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「顧客に楽をさせる」だけがサービスではない

サービスには2つの種類がある

最近思うのが、サービスとは決して、人を楽にさせてあげるだけではない、ということである。

いわゆる「上げ膳据え膳」はサービスの価値として認識しやすい。高級ホテルに泊まると、自分の荷物を部屋までスタッフの人が運んでくれるし、部屋から電話するといつでも備品を持ってきてくれる。ルームサービス然り。コンシェルジェは丁寧にお店を勧めてくれるばかりか、予約さえしてくれる。まさに至れり尽くせりである。

しかし、実際に人がお金を払っているサービスは、「なんでもしてくれる」だけではない。焼肉屋さんの魅力の一つは、自分でお肉を焼くことにある。これは飲食店としてサービス提供プロセスの一部を、お客に転嫁しているとも言える。このプロセスの移転によって、実際にお客は自分でお肉を焼くのを楽しんでいるのである。お客さんに料理プロセスの一部に参加させることがサービスとなっているのだ。

同じようなことがセミナーなどのイベントにも言える。

参加費3000円のセミナーであれば、参加者は何もしないで会場に行き、2時間程度講師の話を聞くだけということが多い。これが10万円、5日間連続セミナーとなると一変する。毎日宿題が出され、セミナー中に集中力が要求される。つまり参加者にとって、決して楽はできないことが多い。

つまりサービスには2つある。お金を払った人が受け身になって享受するものと、お金を払う人が能動的に体験を享受するものである。そして後者のサービスの価値がまだまだ認識されていないのではないだろうか。

焼肉屋さんのサービスも、「自分で焼くことで店の負担は減り、安い価格で食べられる」というのは本筋ではない。お店の人が焼いてくれるからと言って割高の価格を容認する人は少ないだろう。さらに言えば、焼肉屋さんをよく見ていると、焼いてからお客に提供しようが、生のお肉をテーブルに運ぼうが手間はあまり違わない。むしろテーブルごとの炭や網の手配の方が大変そうだし、焼いてすぐ食べる方が美味しいし楽しいし、そもそも焼肉の味は、丁寧な下処理や包丁の入れ方で大方決まっている。

「参加できる」がサービスの価値になる

サービスとは決して、人に楽(ラク)をさせるものだけではないのである。そして、動画の配信サービスやEコマース、そしてデリバリーサービスが旺盛になってきたからこそ、お客の能動的な体験こそサービスの新たな付加価値となりのではないか。

経営について勉強したいと思う人は、ビジネス書を読む、ニュースサービスに課金する、セミナーに参加するなどいくつもサービスがある。しかし、「経営者と一日一緒に過ごす」というサービスがあったらいくら払うだろうか。本物の経営者の日常の佇まい、社内での振る舞い、日々の意思決定の瞬間に立ち会える価値は測り知れず、おそらく相当高額な値段が成立するサービスではないだろうか。

野球が好きな人なら、プロ野球選手と1日一緒に練習できるサービスにどのくらいのお金を払うだろうか。おそらく、公式戦のチケット代と比較にならない値段設定が可能であり、サービスを受けた人はかけがえのない経験を得られるだろう。もっと単純に「プロ野球選手の練習の球拾いを手伝う」というサービスでも十二分に課金できるだけの体験価値を提供できると思う。

これらの価値は、誰もが簡単に経験できない希少性はあるのだが、本質は、能動的な参加ではないか。座って見ているだけでは得られない、自分が体を動かし、擬似的であろうと体験から学ぶ機会が得られる価値である。

人は消費するより、「つくりたい」生き物である

翻ってみると、今の様々なサービスにも、この考え方をもっと挿入できそうだ。「お客さんにやってもらう」ことで低価格を実現する発想ではなく、体験価値を提供することから高付加価値への転換という発想である。

人は好きな製品やブランドを購入しようとするが、その裏にあるのはコミットしたい願望である。好きなブランドを身につけたり、所有したりするのは楽しい。それ以上に、好きなブランドに関与できる機会があれば、人はもっとハッピーになれるはずである。僕が以前やっていた雑誌でも熱心な読者は、ボランティアで喜んで作業を引き受けてくれた。雑誌が広がる活動の一端を担うこと、雑誌の中の人(編集部)と関わりを持つことに面白さと価値を感じてくれたように思う。

これは言い換えると、企業の生産プロセスに顧客を関与してもらうことでもある。そしてその価値の本質は、企業のコスト軽減ではなく、顧客に高付加価値を提供し、かつ顧客のコミットメントを高められることである。

実際に生産プロセスに顧客を参画させるとオペレーションコストが付加され、手間がかかる。それでも顧客は能動的な体験をすることで満足度が高まるばかりか、その企業への愛着が深まるものだ。人は関わったものに親近感を覚えるものである。食べたことのあるケーキより、製造工程に参加したケーキの方が、人に勧めたくなる。自分の一部になるのだ。

人には楽(ラク)をしたいという欲求とともに、楽しみたいという欲求がある。楽は辛いというマイナスな状況をゼロにする現象だとすれば、楽しいはプラスを大きくする現象であり、それは状況に関わらず無限大の欲求である。

人のネイチャーは消費するよりも、つくることを欲するのではないか。体験によって自分の中に何かが醸成されることも、クリエイト、「つくる」ことである。消費する側からつくる側に顧客を移行するサービスはもっと生まれる余地がある。

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