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神さまのかくれんぼ

ぼくの人生がかわろうとしている。
高ぶるこの気持をどういったらいい?
つぼみに向かって棒をふったら、花びらはほぐれ、はらりと花がひらきそう。
はじめての給料日と誕生日が一緒にきたから?
それだけじゃない。
それだけじゃないんだ。

ぼくは、ふがいなさを木にぶつけることしか知らなかった。
ぶつけてもたたいても音のしない世界があって、ぼくはそこの住人だ。
木に与えた痛みだけがてのひらに還ってくる静寂の時空。
耳のきこえないことは、つらくない。
もう、なれっこだから。
でもそれをいいわけにして、あらゆるものを遠ざけ、ただひっそり息をするかのように、三十五年も生きてしまった。
ふがいなさはたまりたまって、苦い涙となり、一滴また一滴とこぼれだした。
親戚の和菓子屋さんがようすを見かね、とりあえず一週間、うちで働いてみないかともちかけてくれた。
あまい匂いがぼくをさそった。部屋のそとはまぶしかったよ。
ぼくは水を打ち、なべを洗い、お菓子をせっせと折りにつめた。
筆談の字がきれいとおだてられ、筆を墨にひたし、和紙にお菓子の名を書いた。
つるばみ、はごろも、うすやなぎ――和菓子の名はどれもいい。
おじさんはにこにこしながら、茶封筒を手渡してくれた。
「とりあえず一週間」ぶんの給料だ。

給料をもらったら、自分の誕生日プレゼントにスニーカーを買おうと決めていた。
水のしみるおんぼろとも、これでおさらば!
帰りしな、おもてからおじさんに頭をさげると、足もとで星がひかった。
五円玉だ。
反射的にひろいあげる。
神さまありがとう!
お店のかざり窓にぼくがうつる。笑いかけた顔がかたまって、向うもこちらを見つめてる。ガラスの自分と目が合った瞬間、

ぴいん――

はじけ散る火花のように、記憶のかけらがきらめいた。

火鉢でおもちを焼いているのは、天国のおばあちゃん。
おばあちゃんはいつも、おだやかなまなざしをそそぎ、なにひとつ求めることなく、ただひたすら、ぼくをいつくしんでくれた。
あれはどういう話の流れだったのだろう。
おもちがぷうっとふくれたら、おばあちゃんはつぶやいた。
それは、記憶の花園にしまってある大切な声の宝もの。
聴力をうしなったぼくにとって、思い出すことのできる、最後のひとの声だから。
おばあちゃんはこう言ったんだ。
「ひとからもらうよりもね、ひとにあげるほうがしあわせなのよ」

ふいに、まばゆいひらめきが心に落ちて、きらきらとひろがった。

あたえる誕生日――

泥にぬれた自分を洗うと、そこに淡い光の自分が立っていた。
あたらしい気持がこんこんと湧いてきたのは、この時からだ。

あたえよう!
ありったけあたえてみよう!

ぼくは路地へかけこみ、封筒の中身をたしかめた。一万円札が一枚、のこりは千円札とわづかな小銭。道ばたの花がぼくを見あげ、微笑している。ささやかながら、これがぼくの与えられる全財産だ。
スニーカーを買い、一万円札を崩す。千円札のあんこで、封筒はもなかのようにふくらんだ。
ぴかぴかのスニーカーをはくと、翼がはえたみたいにからだが軽い。雲をつきぬけてゆく足どりで、駅前のコンビニへ直行した。
めあては募金箱だ。なんにも買わず、千円札を一枚ささげる。
「ありがとう」
レジのおばさんは言ってくれた。くちびるがそう動くのをぼくは見た。
この世は百万回のありがとうに充ちてるだろう。なのにめったに出逢えなかった美しいことば――ぼくはそれを胸に受けとめ、深くきざんだ。

ぼくはうちまで歩いて帰ることに決めた。
線路からつかずはなれず、三駅の距離を歩こう。
耳こそきこえね、さいわいぼくは目も見えるし足も動く。
そういったことがほとんどはじめて、輝かしいめぐみに思えてきた。
道すがら募金箱をさがす。
町のそこかしこに、小さな箱はかくれていた。
ゆきあたりばったりに見えて、そうではなかった。
金糸を織りこんだ赤い帯にひかれ、着物のうしろ姿についてゆくとスーパーがあらわれたり、青い鳥のとまる木にかけよると、はす向いにこぢんまりしたコンビニがあったり。
箱はそのなかで待っていた。

もういいかい
まあだだよ

音の波が寄せては返したおさない日、友と呼びあったなつかしい声がこだまする。

もういいよ
みいつけた

まるで募金箱を相手にかくれんぼをして遊んでるみたい。
みつけるたび、ぼくの心はよろこびにおどった。
千円。また千円。
みんなの口が「ありがとう」の形にほころんだ。

くばり終え、うちへ帰った。
おそかったねと母さんが手話でむかえた。うなづいただけで、ぼくは階段をかけのぼり、部屋のドアをしめた。そとは小雨がふりだしたらしい。薄闇がそっとしのびこむ。
机の上に小銭をひろげたら、五円玉が輪を描いてころがった。
にぎりしめると、奥のほうから、あつい涙があふれてきた。

ずっと、たすけてもらうばかりだった。
ひとに与えるなんて、できっこないと信じてた。
そんなぼくが、われをかえりみず、自分をささげられた。
おばあちゃんのことば。
店員さんのありがとう。
ぼくの善意をうけとってくれる遠い国の見知らぬ人々。
すべてをつなぐふしぎな力に、やっと気づいた。

もういいかい

ひとはよろこびを求め

まあだだよ

神さまはよろこびのうちにかくれ

もういいよ

よろこびへひとをみちびき

みいつけた

よろこびにたどりつかせてくれる

ぼくは今日、神さまとかくれんぼをしていたのだ。




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