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鏡に映った自分

働き始めるまでいよいよあと一週間を切りました。
今度の職場は私服だから着回しを考えなきゃと、服のことは気にしていましたし気にされていたのですが、今日ふととんでもないことに気づいてしまったのです。

私、ファンデーション持ってない。

ファンデ処女という意味ではなく(20代も曲がり角でもしそうだったら今頃バブル絶頂期をボディコンで謳歌した伯母に抹殺されていることでしょう)、使い切ったまま買い足すこともなく、気づいたら2シーズンほどすぎていた…という状況です。あぁ、伯母どころかその辺り寛大な母にも眉をひそめられそうです。

前の職場を辞める三ヶ月前ほどから、職場でのいざこざや祖母の病気発覚、その他色々から「いいやもう顔なんて日焼け止め塗って下地塗ってパウダーはたいときゃ」とかなり、いえ、だいぶ適当に済ませてました。(それでもまだ頑張っている方でした)
そのまま退職して、この三ヶ月は家で主婦業をやるか、海外に一人ででて旅をするか。会う人もいないし、近所に知り合いがいるわけでもない。すっぴんの日も多かったです。
会社で働くことを意識しだして、ようやく「ああ、ボトムスが足りないな」「そういえば気の利いたネックレスの一つも持っていないな」と気づき始めたのです。
そうして気に入ったネックレスとピアスを見つけた帰りにふとコスメショップが視界に入ってきて、ようやく先ほどの事実に気づきました。
綺麗にライトアップされた店内の鏡に映った私の顔と言ったらありませんでした。
肌の赤みがまだらに目立っていて、化粧をしていないのは明らかでした。なんというか、垢抜けない、もっというなら野暮ったい、そんな顔でした。

恐ろしいなと感じたのは、「外界とつながりがないと、年齢なんて関係なく見た目が錆びて行く」という事実です。
毎日会う人といえば祖父母だけ。その気にならないと駅まで出られない家の距離、やろうと思えばいくらでも出不精になれました。ピアスなんてつけてもつけなくても一緒だし、カバンも靴もなんだって同じかぁ・・・
本気でそう思ってました。たったの三ヶ月で。

個人的な感想なのですが、そうするとなんとなく、一日に張り合いがなくなってくるのです。おしゃれをすることは、私にとっては人生の本質そのものではないけれど、けれど自分を奮い立たせるためには必要なものだ、と痛感しました。結局張り合いが生まれることで、ほかのことも不思議とうまく回せているような、そんな気がするのです。
過度な承認欲求や自己顕示欲は考えものでしょうが、自分をよく見せる努力をすることは、必要なことだなと思います。それは他人に対して求める承認ではなく、自分で自分を肯定するために。

それにしても、おしゃれするって安くはないなぁ。
レシートの束を見返して、短いため息をついています。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!