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デザインという言葉を再定義しています

最近、20代の若いデザイナーの人たちが羨ましくて仕方がない気持ちになることがあります。

実は自分の中で、デザインの定義がアップデートされて1、2ヶ月くらいなんですが、色んなデザインに対する、当たり前の言葉たちを、いちいち再解釈しては、びっくりするという行為を繰り返してきたら、目の前に広がる世界の見え方が変わってしまいました。

これは比喩ではなく、本当に。

新幹線の椅子のリクライニングを直しているとき、街の文字が流れる電光掲示板を見るとき、MacBookを開いてTouch IDを使うとき、コンビニでiDないしはnanacoで決済するとき。
あれ?なんでわたしは、こんな事してるんだろう?って思うと同時に、あるべき世界の映像が広がります。

座ると同時にちょうどいい位置にしてくれる椅子、シンプルに必要な情報が手元に送られてくる媒体、Face IDで起動するMacBook、タッチするだけで決済できるシステム。
粒度は無茶苦茶ですが、イメージがどんどん、否が応でも目の前に展開されてしまい、正直、楽しすぎてしんどい。

なんだなんだ?
わたしの頭はどうなってしまったのだろう?
なんなんだろう?

不便な世の中と素晴らしい世界を同時に見ながら、大混乱中です。
そしてあるべき姿の世界を思い、えー、世界は最高じゃないか未来は素晴らしいじゃないかとひとりごちて、ニヤニヤします。

きっとこれは、今このときだから思える、1人の小さくて無力なデザイナーの未来の気づきで、たくさん降ってくるインスピレーションと戯れているとデザイナーやってて良かったなぁと心底思います。
今はまだ作れなくても、頭の中で何でもかんでも作れてしまいます。まるでそれは白昼夢を見ているようで、不思議な感覚に陥ります。
万能感でもなく、なんだろう?これは?他のデザイナーもこんな世界を生きているのか?えー?頭の中しんどくない?
世界は広くて深くて、色んな知識に出会うと、やっぱり、毎日毎日いちいち、びっくりしてしまいます。

で、冒頭にあるように思います。

あと何年か(何年必要なのかは知識がないからわかんない)経ったデザイナーの人たちはこれを作れるんだなぁ!?と、思うと、すごくすごく羨ましい。少しテンションがおかしくなるまでに。
だって、それは、わたしが、iPhoneと出会い、それのもつ世界を変える力に強く惹かれ、UIデザイナーになりたいと、フェンリルに転職した、その動機そのものです。

えー羨ましい。もっと生きたい。

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