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0476:小説『やくみん! お役所民族誌』[11]

第1話「香守茂乃は詐欺に遭い、香守みなもは卒論の題材を決める」[11]

<前回>

        *

 9時前に始まったインターンシッププログラム第1日目午前の部は、二階堂主任の講義と質疑応答で概ね2時間、あとは40分ほど消費者啓発のパンフレットや映像素材などを観る自習時間に充てた。
「ここまではインプット、午後からアウトプット準備に移ります。ちょっと早いけど、1時まで昼休みということで自由にしてていいよ。あ、2人はお弁当?」
 二階堂の問いかけに、みなもと小室はほぼ同時に「いえ」と首を振った。
「そっか。この近くはコンビニ不毛地帯なんだよね。本庁舎まで戻れば地下に売店と食堂があるけど、このビル周辺にも飲食店がたくさんあるから、外食で良ければ選択肢はよりどりみどりかな。どこかに連れて行ってあげられるといいんだけど、やらないといけない仕事があって、申し訳ない。一番近いのは」
 二階堂は胸の前に手を上げ、真下を指さす。
「ここの一階にあるGON(ゴン)てお店。700円前後で定食やカレーが食べられる」
 学生にとっては学食より高いが、官公庁や大手企業の集まるこの地区のサラメシ相場としては抑え気味の価格帯だ。
「美味しいんですか?」
 さらっと尋ねた小室の質問に、二階堂は「価格相応のお味ね」と笑った。
 ガラス張りのエレベーターを一階まで降りると、GONは南側すぐに見つかった。入り口前のメニューを確認する。いくつかの定食類とカレー、うどん類。
「どうする?」とみなも。
「ぼくはここでいいよ」と小室。
 この流れで単独行動するほどの食のこだわりは二人ともなく、そのまま入店する。12時より十数分早い時間帯が幸いしてかそれほど混んではおらず、ガラス張りに面した席を陣取ることができた。
 半日一緒にいたけれど、だからといって途端に気心が知れる筈もない。こういう時の話題は「敢えて作る」ものだ。必然、午前中のプログラムの所感が入り口になる。
「知らない話ばかりで面白かったなあ。小室君はもしかすると、割と知ってる知識だった?」
「そんなことないよ。専攻は民事法だから、行政法や行政学の話になると一年の法学総合で聴いたくらいで覚えてないし」
 民事法、行政法、行政学。すま大法文学部生として、学科は違うけどなんとなく違いは分かるような分からないようなというのが、みなもの正直なところだ。民事法(私法)と行政法(公法)は法学の枝分野、行政学は政治学の枝。学問分野はその成立由来と性質によって分化する。いわば学問の都合だ。行政現場にとって必要なデータや知見の総体は、単一の学問分野に収まるものではない。必然、あるひとつの現場に関係する学問分野は多岐にわたることになる。
「私はどれもちんぷんかんぷんだからなあ」
「香守さんは、どうして澄舞県庁のインターンシップに応募したの?」
「えっ……あー、まあ、知らない世界を見たかったというか」
 不意に触れられたくない核心を突かれた気がして、むにゃむにゃと言葉を濁す。エントリーシートに書いた適当な「作文」をなぞっても仕方がないし、さすがに「役所に関心はないけれど彼氏の職場を見てみたかった」なんてぶっちゃけ話は言えない。
 無意識に左薬指の指輪を右手で触れていたのだろう、小室の目線がみなもの指輪に向かうのに気付いた。みなもにとって少し気まずい1.5秒。
「おまたせしましたーっ! ハンバーグカレーはどちら?」
 不意に元気な男の声が響いた。細面の小柄な店員がプレートを手にしている。胸元から膝上までのモスグリーンのエプロンには、その店員にそっくりの似顔絵とGONの文字。
「あ、私です」とみなもが小さく手を挙げると「はい、どーぞ」とプレートが前に置かれた。
「じゃあこちらはソースカツ丼ね。ごゆっくり!」
 もうひとつのプレートを小室の前におくと、店員はくるりと華麗に踵を返した。そこへ別のテーブルの馴染み客らしい男性から「ゴンちゃん、次いつ釣り行くの」と声が掛かったことから、彼がここの店主と知れた。
 カレーの香りが鼻腔をくすぐる。みなもは合掌して「いただきます」と小さく頭を下げた。
「……なんかいいね、それ」と小室。
「え?」
「『いただきます』って。最近見かけないから」
「そう、あんまり意識したことないや」
 香守家では空気のように当たり前の習慣、おそらく信心深いおばあちゃん由来だ。でもそういえば、他の人のやっているところをあまり見ない。みんな小学校の給食で6年間やってた筈なのに。
 小室もみなもの真似をして合掌し「いただきます」と呟いた。なんだ、素直な良い奴じゃん。
「小室君は、公務員志望なの?」
 先ほど曖昧に中断した話題を継ぐ、ただし、ボールは手放す。そういう問いだ。
「まあね。国か地方かは迷ってる。できれば国の総合職で東京に出たいと思うけど、難関だからね」
 国家公務員採用総合職試験は、いわゆるキャリア官僚への道だ。大卒枠は例年十倍を超え、東大京大早稲田慶応が合格者の半分近くを占める。とはいえ五百島大学も旧帝大に迫る数十人の合格者を出すから、いお大生にとって手の届かない門ではない。あとは本人の努力にかかっている。
「ふーん、澄舞に帰るわけじゃないんだ」
「あんまり帰る気はないなあ。ぼくの地元は木継(きつぎ)、知ってる? 人口一万人を切る小さな町だよ。そこで18年過ごして、大きな街は松映と美雲(みぐも)くらいしか馴染みがなかった。それにしたって人口二十万前後だ。進学で五百島に出て、当たり前だけど、世界は澄舞だけじゃないと実感したよ。だから、もし能力が適うなら国家公務員として東京に出たい。地方公務員を選ぶなら、五百島県庁か五百島市を考えてる」
 ならどうして澄舞県庁のインターンシップを受けたのか、とは聴かなかった。人にはいろいろな事情がある。インターンシップ生の三日間だけの繋がりは、決して不躾な深追いをしていい間柄じゃない。
 みなもは生まれてから21年間、澄舞以外で暮らしたことはない。暮らしたいと夢想したこともない。それでも、遠い都市部に進学した友人たちは少なくないから、小室の気持ちはわかる気がした。充もそうだ。どうしても東京の大学に行きたいといい、勉強を頑張って難関・紫峰大学に進学した。家計の事情はよく知らないけれど、とうしゃんかあしゃんが充の願いを叶えてやりたいと苦労する様子は間近に見ていた。
「小室くんは、偉いなあ」
 みなもの口から自然と言葉が漏れた。小室は将来の道をしっかりと考えている。比べて自分には何もない気がした。卒業後の進路は、まだ何もイメージできない。それ以前に……
「あぁしまっえほえほっえほっ」
 みなもが奇妙な声を上げて咽(む)せたものだから、近くにいたゴン店長が「どうしました、料理に何か?」と俊敏に歩み寄る。いやなんでもないですむせただけごめんなさい、と早口に弁解して、みなもはコップの水をひと口飲んだ。その様子を少しだけ見守って、店長は再び華麗にターン、カウンターの向こうへ早足で戻っていった。
「どしたの。大丈夫?」
「うん、ちょっとね、大事なことを思い出した瞬間に気管にスパイスの香りが直撃した。卒論テーマの発表準備しなきゃなのに、忘れてた」
 昨日のゼミの時には意識していて、夜に実家のパソコンを借りて作業を始めようと思っていたのに、家ではちらりとも思い出さなかった。今週昼間はインターンシップで丸三日つぶれ、夜は他の科目の予習もある。3回生になると履修科目数に余裕の生まれる学生が多いが、みなもは4回生で楽をするためにそれなりの密度で詰め込んでいた。だから、構想発表会まで6日あるとはいえ、時間的余裕が十分にあるとはいえない状況だ。
「へえ、3年の今の時期に、もう? 僕らは4年になってからだよ」
「すま大でも普通はそうだね、これはうちのゼミの特徴みたい。文化人類学ってフィールドワークが必須だから、就活が忙しくなる前に準備を始めた方がいいってことで」
 卒業論文は文献調査5+フィールドワーク3+執筆1+推敲1と心得よ。みなもの指導教官である石川准教授の教訓だ。つまり実際に論文を書き出す前の段階が極めて重要な役割を果たす。そのため文化人類学ゼミでは3年生の秋に自分の研究テーマとモチーフを宣言し、準備を始めるのだ。もちろん、その後にテーマは変わって構わない。むしろ、考えが深まるにつれて変化して当たり前と見做されていた。
「文化人類学って人文科学だよね。法学は同じ文系でも社会科学だから、人文系のやってることは想像つかないよ。ひとことで言うと、どんな学問なの?」
「ひとことで? ふふーん、わかんない!」
 みなもは胸を張って正直に答えた。正直すぎて、小室は少し引いた。

        *

 文化人類学をひとことで表すのは難しい。「ひとこと」とは多様な研究蓄積全体の共通項を言い当てることだからだ。敢えて言えば「人間の文化・社会を」「比較して」「理解する」学問、という漠然としたものになる。対象・手法・目的のどのフレーズも、単語自体は平易で素朴だ。しかしそれぞれ複雑な概念と多様な論点が織り込まれているため、この「ひとこと」から文化人類学を的確に把握できる部外者は、おそらくいない。
 文化人類学は「民族学」と呼ばれることもある。特に昭和期までは、民族学の呼称の方が一般的だった。民俗学と同じ音で紛らわしいことから、当時の文化系学生は前者をエスノ(エスノロジー)、後者をフォーク(フォークロア)と呼び分けていた。
 狭義(日本語の字面的語義)の民族学と民俗学の違いを単純にいえば、前者が「異文化」を、後者が「自文化」を対象とする点にある。わかりやすい例を挙げるならば、大阪の国立民族学博物館(みんぱく)は世界各地の文物・模型を展示し、千葉の国立歴史民俗博物館(歴博)の展示内容は国内のそれだ。どちらも単なる展示施設ではなく、それぞれの学問の研究機関でもある。展示はその研究成果を社会に還元する営みといえる。
 外国の文化であれ自国の文化であれ、研究者が研究対象に密着参加して祭祀・家族・労働・貨幣・相互扶助などのテーマを観察し考察する手法は、ふたつの学問分野に共通する。ただし、民族学の場合は必然的に「比較」ということが問題になる。なぜなら研究対象が異文化──研究者自身の所属するものとは異なる文化だからだ。
 異なる民族の文化習俗を理解すること。それは異文化が接する場面で必ず生じるものであり、その意味では古代から行われてきた営みだ。それが近代的学問として成立するのは19世紀半ば、植民地主義の時代に欧米の研究者がアフリカ・アジア・オセアニアの文化習俗を記録したことによる。この記録こそ民族誌(エスノグラフィ)と呼ばれるものだ。
 エッセイや報道などあらゆる記録的記事がそうであるように、民族誌もまた完全な意味で「事実の客観的な記録」ではあり得ない。書き手の価値観や先入観を排除することは、ある程度までは可能だ。しかし、言葉の選択、描写の浅深、エピソードの採否など、さまざまな面で書き手の主観の下支えがある。こうした原理的問題に自覚的である時、民族誌は「書き手の文化」と「観察対象の文化」の接点に生まれる比較表現と受け止められる。言い換えればそれは他者を理解する営みであり、反射的に自己を理解する営みということだ。
 白い箱は、黒い紙を背景に置いた時に、よく判る。比較することで初めて白い箱の特徴、黒い紙の特徴がそれぞれに浮かび上がる。これが、他者理解の手法としての比較のアドバンテージだ。
 民族学は、百数十年の歴史の中で、他者理解の理論と技術そして倫理を磨き上げてきた。そのように洗練された学問は、既存の哲学・美学・社会学などの枠組みに収まることなく、対象を総合的に把握することを指向する。それは単に異なる民族文化の理解にとどまらず、さまざまな集団の理解に有効なものだ。
 ここに、狭義の民族学を包含しながらその対象領域を超えた文化人類学(カルチュラル・アンソロポロジー)が成立する理由がある。実際に文化人類学は、研究者個人にとって「異文化」と捉えられる様々なもの──例えば暴走族、精神障害者ケア施設、アイドルコミュニティ──を幅広く研究対象としてきた。その多様性が文化人類学という学問の説明を難しくする要因でもある。
 ──というような小難しい話を、みなもは二回生の時に入華教授の講義で聴いていた。ただ、それを理解し消化して自分なりの「ひとこと」で表現するような芸当を求めることは、研究者志望でない学部生には酷というものだろう。

【続く】

--------(以下noteの平常日記要素)

■本日の司法書士試験勉強ラーニングログ
【累積193h25m/合格目安3,000時間まであと2,807時間】
実績28分。やくみん脱稿後の残り時間で記述式演習第二回の二問を消化。あー、買戻特約後の抵当権設定だから抹消登記申請が必要なのね。択一の知識が記述で繰り返されるシステマティックな作り。

■本日摂取したオタク成分(オタキングログ)
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