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「大事なのは正しさか?それとも」

沈黙は金と言わんばかりにアウトプットを控えている人があまりに多すぎです。学校教育の影響が大きいと思いますが、間違っていることを恐れ、正しさを求めてしまっているからでしょう。

少なくとも日本の戦後学校教育では、思考力訓練をカリキュラムに含んでいません。(インターナショナルスクールや、一部の私立学校を除く)
人の自立性や自主性、そして成長性に大きく影響を及ぼすメタ認知の獲得やメタ認知能力の向上、論理的思考力は各人にまかされ、知識量とその正誤で出来不出来が測られ、並べられてしまいます。大まかにいえば、その並び順で生涯賃金まで決められてしまう、しかも、お金持ちの子供たちは横道からエスカレータにのっかっていけるという、とても乱暴なシステムになっています。

その結果、正しさに支配されてしまった人を量産しているとも言えるでしょう。

大事なことは、誰かに与えられた正しいことでも、自分勝手に認定した正しいことではなく、自分の考えをアウトプット(発言や行動)することなのです。それによって周囲の人達からのフィードバックを得ることができ、自らをアップデートする機会を得ることができるのです。

その価値を知るためのメタ認知でもあるので、アウトプットかメタ認知かはまるでニワトリ卵ですが、過酷な環境によって良い方向に覚醒するケースがないとは言いませんが、メタ認知は積極的なアウトプットで得られるものと断言したいと思います。

そう、つまりアウトプットこそがインプットの原動力となり、思考力とともにメタ認知能力をも鍛え、そして成長成果を実感することで、認知的不協和や不確実性の恐怖を凌駕できる継続的成長力の源泉であると考えます。

誰かの決めた正しさや自分勝手の正しさに誇りを持つのではなく、継続的な成長をしていることに誇りを持ってほしいし、私はそういう人の仲間でいたいと思います。

#誇りを持って生きる
#ご機嫌に暮らす
#メタ認知

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