いまの大学を取り巻く問題の背景について

 先日東北大学の学祭で栗原康氏、白石嘉治氏を呼んで開催したトークイベントの補助資料としていまの大学問題の背景をまとめた資料を作成しました。といっても、このような資料が必要だろうと判断したのは開催の直前でしたので、すべて私の記憶のなかから引っ張り出してきて急ごしらえでつくったものになります。不足している部分はいくらかあるとは思いますが、私はとにかく素早いアウトプットを重視していますのでとりあえずそのまま公開することにしました。

 大学問題の歴史的背景を3000字というちょうどいい長さで終戦後からいままでをまとめたようなものはなかったと記憶していますので、各所で改変したりして便利にご活用ください。


 今回の講義では、ひろく大学問題について扱いますが、おそらく原理的な話が中心となると思います。そこで補助資料として、いまの大学はどのように変わりつつあるのか、どのような問題を孕んでいるのかについてまとめましたのでご活用ください。

【第1部】学生運動とはなんだったのか

 大学の問題を捉えるときに、私はあくまでも学生という当事者の立場から捉えたいので、学生と大学が双方どのような主張をしてきたのか把握するために、まずは学生運動の歴史をひも解いてみたいと思います。

 太平洋戦争末期、日本の大学から多くの学生が学徒出陣として駆り出されました。戦争が終わると、戦地から帰ってきた学生たちが続々と大学に集まります。この時、彼らは戦争が終わったことによって学問に打ち込めることを喜ぶとともに、ふたつの要求を掲げることになります。ひとつは環境の整備です。都市部の大学はその多くが空襲によってとても講義や研究などできない状態になっていましたし、そもそも多くの学生が明日食べるものにも事欠く状態です。学生たちは生協などを作ることによって、戦後の物資不足の中で学ぶ環境を整えていきます。そして、もうひとつは自分たちを戦地に向かわせた大学―国家の体制を根本的に作り変えることです。戦後の大学は5年ほどをかけておおきく再編されていきますが、終戦直後はまだまだ大日本帝国下でのトップダウン的な大学組織が残存していました。そのため、学生たちは「学園民主化」を掲げて、学生にも大学の決定に関われるように要求していきます。ここで重視されたのが「自治」です。

 大学における「自治」には「大学の自治」と「教授・学生の自治」のふたつがあります。大学の自治とは、学問の自由を保障する=大学での研究・教育内容に国家が介入できないように、大学のなかのことについては大学の構成員が決定するという原則のことです。戦前の日本の大学では、大日本帝国に批判的な研究をしていた学者が職を追われたり、あるいは731部隊などで軍事研究や非道な人体実験に協力させられた学者もいました。そのようなことが起こらないようなしくみとして作られたのが大学の自治です。

 「教授・学生の自治」とは、さらにその大学のなかの構成員がどのように意思決定に関わるかに関しての議論となります。理事・総長のもとで大学の実質的に運営を担う「大学当局」だけでなく「教授会」と「学生自治会」にも同様に大学の決定に関与できる権限を与えるべきだという考えになります。この考え方は、戦後のあらゆるものの民主化・爆発的な数の労働組合結成の流れのなかで強く支持され、1948年には「全日本学生自治会総連合」が結成されるに至ります。

 その後は1965~1968年にかけて、全国の大学で学費値上げ反対運動を契機として学生運動が爆発します。

【第2部】中教審46答申

 学生運動、とりわけ東大を中心とした全共闘の学生運動で構想された「全人民に開かれた大学」という像、また「帝大解体」というスローガンにおいて示された旧体制の大学のあり方の完全な解体という主張に対して文科省中央教育審議会(中教審)は一定の回答を示します。それは「中教審46答申」と呼ばれ、明治初年と第二次大戦後に行われた教育改革に次ぐ「第三の教育改革」として戦後の大学政策の転換をはっきりと規定することになります。そこで重要なのが大学の学費についての認識です。多くの大学で、学生運動はまず「学費値上げ反対闘争」として始まりました。これに対する文科省の回答は次のようなものでした。学費に関しては「教育予算は一種の投資であるが、その投資から得られる利益が個人に還元されるか社会に還元されるか客観的な判断基準はない。したがって、高等教育にかかわる費用は個人の投資に有利とみられる限度内とすべき」と定められます。そして学生運動が起こった背景には教育の量的な充実だけを追求してきた教育制度の問題があり、「教育の質をあげていく」ことで対応するとの回答がなされました。また、大学をゆくゆくは法人化することもここで構想されており、90年代以降に中曽根・小泉政権によって進められた大学改革の源流がここにあります。

【第3部】自治の崩壊

 この中教審46答申で大学には次の変化がもたらされました。それは「自治の縮減」と「受益者負担の原則の適用」です。2000年代初頭の国立大学法人化によって、大学の代表が明確に学長となり、大学の経営陣に学外者が入るようになりました。これを契機として、徐々に大学における決定権が教授会から大学当局へと移動していきます。また、学生自治については学生運動の土台になるとして、70年代半ば以降は各大学で急速に学生自治に対する切り崩しが始まります。こうして各大学の自治は形骸化が進んでいきます。特に、2010年代から言われるようになった「ガバナンス改革」は全国の大学で実施され、大学における責任と決定権の分離を問題視し、学長を中心としたトップダウンの組織体制へと大学が作り変えられるようになっていきます。しかし、これは同時に総長による不正(総長任期の延長、特定の学部学科のえこひいき、学術的実績のない「お友達」の教授への登用など)を続出させることになります。東北大学では、総長裁量経費が100億円と従来の10倍となり、総長参りに長蛇の列ができたり、総長任期が2年間延長されようとしていることが職員組合から報告されています。

 そして、このような大学改革路線の延長線上にあるのが東北大学が最終候補に選ばれている国際卓越研究大学です。一部の大学だけを支援するというのが、そもそも教育の機会均等からすると問題ですが、それに加えて、卓越研究大学には次のような問題点があります。
「学費の自由化」「学外者が過半数の合議体が総長のさらに上に設置される」「年間3%の事業成長というノルマの設定」「儲からない学問へのさらなる冷遇」
 詳しくは私が書いた「国際卓越研究大学はなにが問題なのか:東北大生の視点から」という記事を参考にしてもらえればと思います。

【第4部】受益者負担の原則の適用

 46答申を契機に大学の学費はぐんぐん上がり続けたので、それだけとっても「受益者負担の原則」は問題であるわけですが、それだけにとどまらない問題がそこにはあります。特に問題として取り上げたいのが「管理強化」と「福利厚生の縮減」です。

 管理強化の例として、首都圏の大学で顕著なのが、大学に学外者が入れないようにされるという変化がこの20年ほどで進行しています。国公立大学は、当然社会全体の利益として貢献することが使命だったので、いまの東北大学のように近所のお年寄りが散歩をする場所でもあったわけですが「学費を支払っていないのに大学から利益を受けるべきではない」という原理によって、あらゆるレベルにおいてこうした大学の公的性格というのは縮減されてきました。

 大学の管理強化のあおりを受けたのはサークル活動や政治活動をはじめとする表現の自由でしたが、福利厚生の縮減も忘れてはいけません。最近、京都大学吉田寮の寮生が大学から立ち退きを求めて訴えられるという事件が広く報道されました。大学の教育が個人の利益になるとすると、教育の機会均等のための安価な学生寮は縮小の対象となってしまうのです。

 簡単にまとめると、いまの大学をとりまく問題としては、学生が「共同体の構成員から単なるいち消費者」へと変えさせられようとしているということがあり、私たちはこれに問題意識をもっています。これを踏まえて今日のイベントを聞き、参加していただけると有意義なものとなると思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?