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分かち合いの中で相手を内に感じ続ける

 友人と定期的な分かち合いの時間を持っている。なんでもない話をするだけの時間だけど、相手を内に感じ、日々を形作ってくれている

 仕事でもそうした、ただ相手を感じるだけのなんでもない時間があればいいのにと思いつつ、目的に沿って人が集まっているのが組織なのだとしたら、その目的を忘れた関係性というのもなかなか難しいのかなと思ったりもする。

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 前置きはそのくらいで、久しぶりにnoteを書いたのは友人に触発されたからだ。

 記事の中でも書かれているのだけど、日々のできごとを発信することで内が整理される。人に伝えるために書くのだからよりそうだ。

 良いことも悪いことも含めて起きたできごとを一つ一つ整理して完了させる。そうすることで引きずりにくくなるし、そうして整理した課題と解決策は別の誰かの状況を改善できるかもしれない。

言葉にできない期間は期間で好きなのだけど、あえて言葉にしていきたいと思った。

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 その上で、僕自身としては友人の文脈から少し外れるけども、何かを分かち合うことの癒しについてnoteにまとめたい。

 僕のこの数ヶ月を形作ったものとして、日々の良かったこと、苦しいこと、感じていることなどを定期的に分かち合う時間をとったというのがある。

 きっかけは、友人が仕事のことで苦しんでいて仕事を続けられない状態になった時、僕は後にそのことを知って、その時にはもう自分にはできることがあまりないと感じたことだった。

 相手の本当の苦しさは相手にしかわからないし、相手の状況をよくしたいという気持ちすら重荷になるかもしれない。

 そのことやその他色々な状況も重なり、大切な友人とは、普段から日常のささいなことでも定期的に分かち合う時間を持ちたいと思うようになった。

 それで、今は東京や、仙台、北海道や、熊本などにいる友人と月に一度のペースではあるけれど近況報告をしている。

 また、僕が所属しているコミュニティでも、年齢も国籍も違う友人たちと週に一度、その一週間のできごとなどを分かち合っている。

 そうした日々のささいな分かち合いを続けていく中で、相手が内にいる感覚が芽生えてきた。

 自然と相手の喜びが自分の喜びに変わり、相手の苦しさにはその状況が癒されるようと願う気持ちが与えられた。

 一週間でも一ヶ月でも、その人の生活や考えは変化し、その変化を感じられているのは、自分にとっても励みとなっている。

 苦しい時にその時間を共有し、できることがあれば手を差し伸べられる距離にお互いがいる。そうした関係性を築くことは、何よりも心理的な安心を与えてくれるものだ。


 僕としては、この定期的な日常の分かち合いの時間を今後も大切にしていきたい。

 私たちの日常が喜びで満ちて、大変な中でも支え合えますように。祈りを込めて。


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