HSPの2児のママ

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HSPなわたし

HSPという言葉を知ったのは3年ほど前。 仕事をしているうちにやりづらさや 心のしんどさがどんどん積み重なり、 症状を調べたときに出てきた言葉だった。 いわゆる、繊細であるということが 書かれていた。 弱いだけだろうと言う人ももちろんいるし 自分自身が何よりそう思っていた。 自分は精神的に弱いから もっと強くならないといけない 恥ずかしいことだ と、ずっと思っていた。 例えば、私は電話が嫌いだ。 電話の音がしたらその場から離れてしまいたくなる。 自分に対してのクレームかも

    • 毒親まとめ

      こんな感じで私は両親と関わってきた。 手を挙げられることはあったが、 虐待のようなことをされてきた訳ではない。 必要なものは買い与えてもらっていたし、 欲しいものがあれば買ってくれていた。 誕生日、クリスマス、そういうイベントごとは しっかり祝ってくれて楽しかった。 家族で過ごすことも嫌いではなかった。 私を思いやる気持ちも強く 大切にしてくれているんだということは 伝わっていた。 だからこそ、毒親なんて考えたこともなかったのだ。 でもスイッチが入ると手がつけられなくなる

      • 毒親13

        その後も両親との付き合いは続いた。 子育てのことで悪く言われることも 全くなくなった訳ではなかった。 私の主人に対する嫌味を私に言うこともあった。 私が聞きたくないと分かっていることを あえて言ってくるところも嫌いだった。 我が家は節約のために車を持っておらず 両親に借りることがたまにあった。 夜暗い中、帰ってきたときに車の中を しっかり確認できず車を返却してしまったことがあった。 ゴミが1つ落ちていた、 レンタカーを使うときにゴミを残して返すのか? だらしがない 使う

        • 毒親12

          その後間も無くして2人目が生まれた。 私自身も1人目の経験を活かし、1人目のときよりも楽に育児ができた。 特に困ることもなかった。 下の子が8ヶ月ごろのとき。 私に予定が入った。 好きなアーティストのライブだった。 どうしても主人と行きたかったため、 母にお願いをした。 意外と快諾してくれ、子供たちを預けて ライブに行った。 とっても楽しかった。感動した。 いい気分だった。 その余韻に浸って帰宅していると 母からLINE。 下の子がすごく泣いているという内容だった。 大変だ

          毒親11

          娘のはじめての七五三を迎えた日。 何日も前から着物を抑え、フォトスタジオも 予約していた。 撮影のあと、そのままお参りに行けるコースだった。 娘と主人と私の3人で行く予定をしていたが 数日前に自分も一緒に写真に写りたいと 母が言ってきた。 それなら、と実父母と義父母も入れての 大人数撮影になった。 その前日から母はなぜか機嫌が悪く、 撮影の空気を悪くしていた。 撮影が終わり、主人と私がお会計をしているところに母がやってきた。 値段を見にきたのだ。 値段を見て、大激怒しは

          毒親⑩

          娘もすくすく大きくなり、イヤイヤ期に差し掛かってきた頃。 私は仕事復帰をした。 ハードな仕事だったが、お給料面も考えて フルタイムを選んだ。 娘は保育園に通うことになった。 18:00には職場を出て18:30までにはお迎えに行きたかった。 が、ブラックな職場のせいでその時間に お迎えに行けることはあまりなかった。 そんなときに母が助けてくれるようになった。 パート終わりにお迎えに行ってくれた。 母と関わることが娘も私も増えた。 夜ご飯を食べさせてくれた。 私の分も、と用意

          毒親⑨

          娘が生まれた。 比較的若い出産だったため、周りにはまだ 子を持つ友達はいなかった。 全てが初めてだった。 手探りの育児がスタートした。 生まれる前に母は育児に必要なものをたくさん買ってくれた。 私よりあれこれ調べてくれた。 大きなお腹を抱えて一緒に買い物に行った。 幸せだった。 あんなに悪化したこともあった関係が なかったことになったような時間だった。 穏やかに時は流れていた。 実家と自分の家はすぐそこだったので 里帰りはしないことに決めた。 母も仕事を休むことができなか

          毒親⑧

          その後間も無くして結婚した。 初めて実家を出て彼と暮らしたときに 自由を感じた。 嬉しかった。 狭い賃貸だったが、自分で選んだ家具や インテリアを置いた。 自分の大好きな空間を作れて とっても嬉しかった。 それと同時に仕事と家事の両立の大変さを 思い知る期間でもあった。 母はこれをこなしていたのか、 本当にすごい、感謝しかない こんな気持ちに日々なっていた。 母へのリスペクトの気持ちが高まっていた。 少しずつ家事も料理もできるようになって しばらくしたとき、妊娠が発覚した

          毒親⑦

          そんな感じで中高時代が終わり 希望の大学にも行けた。 母の満足そうな顔を見て安心した。 行けた嬉しさより、母の笑顔で安堵した。 ずっと縛り付けられていた反動で 大学時代は遊び回った。 朝まで家に帰らないことも何度かあった。 お酒に溺れ、日常を忘れることの楽しさを知った。 自由を手に入れた気分だった。 もちろん怒られたし、常に鬼電は来ていた、 が、無視していた。 バイトである程度の自由になるお金もあったのは大きかった。 その後就職し、毎日しんどかった。 朝は6時代に家を出て

          毒親⑥

          今思い返すと、自分たちの思うように動かなかったら許せなかったんだと思う。 親は子供より偉い、だから逆らってはいけない という考えを教え込まれていた。 誰のおかげで学校に行けてる? 誰のおかげでご飯がある? 誰のおかげで……というような言葉を 何かあるたびに聞かされていた。 また、髪の毛を伸ばしたくても 汚らしいからという理由で切られていた。 周りの子が可愛く伸ばしていても 勝手におかっぱヘアで予約されていて 切られていた。 地元の床屋で。 美容院に行きたかった。 恥ずかしか

          毒親⑤

          中学受験には無事受かり、 母も私も肩の荷が降りた。 合格発表の日は涙を流して共に喜んだ。 受験勉強は自分からやっていたのではなく やらされていたので 自分で勉強をするやり方が全く分からなかった。 今まで付きっきりで勉強をさせていた母が 中学に入るとノータッチになった。 どうすればいいか分からず、 テストの点数はめちゃくちゃだった。 怒られた。 母とぶつかり合う日々だった。 ここで私は気づいた。 やらされていることは何も身につかないということを。 高校に上がり、いい先生と

          毒親④

          常に母親の顔色を伺うようになっていった。 小学校が荒れていたため、こんな低俗な人たちと同じ学校に行くな、ということで 中学受験をすることになった。 それは伝えられず、勝手に進学塾に入会させられた。 夏休みはなかった。 ずっと塾。 お弁当を持って1日塾だった。 嫌だった。 テストの成績で座席が決まる。 賢い人は前、出来が悪い人は後ろだった。 テスト後に塾に行くのが本当に嫌だった。 成績を返されて、母に見せるのが苦痛だった。 毎日怒られた。 怒鳴られた。 塾に行くのが嫌で塾が始

          毒親③

          家族団欒をしていた夜、私は父に殴られた。 原因は言葉遣いだった。 何を言ったかも覚えていない。 当時まだ幼稚園の年少組だったが 父の癪に障ることを言ったらしい。 とにかく痛かった。 顔は青あざができ、腫れ上がった。 次の日会った祖母がこんなことは絶対してはいけない、と言ってくれた。 このときから母は何か私に対して腹が立つことがある時は父に言うようになったと思う。 こうやって殴ってくれるから、だと思う。

          毒親②

          幼稚園に入ると共に塾に入会した。 母に怒られながら練習していたひらがなは 大の得意になっていたので塾も楽しかった。 先生がとてもいい人だったので 自分の得意をさらに伸ばしてくれた。 私がテストで満点を取ったり、表彰されたりすると母はとても嬉しそうだった。 その笑顔を見るのが本当に好きだった。 褒められることが好きだった。 幼稚園で仲良しの友達ができた。 毎日遊んだ。 母同士も仲良くなり幼稚園以外でも出かけたり 旅行もするような仲になった。 いつも夕方まで遊んでいたが、友

          毒親①

          幼少期の話から。 生まれた時、それはそれは可愛がられていたという話を何度も聞かされていたため、 大切に育てられてきたんだと自覚していた。 しかし幼い頃からすぐに親に怒られる、怖い、という感覚があった。 まだ2歳の頃、家の外に追い出された記憶がある。アパートだったため、向かいの部屋のおばちゃんの家に入れてもらったことを覚えている。 しばらくしておばちゃんとうちに帰って 母に許してもらった。 2歳の頃の記憶なんてほとんどないのに この追い出されたという記憶が鮮明に残っている。

          毒親なのかもしれない

          20代後半になり、初めて毒親なのかもしれない と思うようになっていた。 母親とは周りの誰が見ても仲睦まじい関係で、 もはや自分でさえも喧嘩はするけど仲はいいと 思っていた。 世間の毒親に育てられた方たちからしたら こんなのは毒親ではないと思う方もたくさんいるだろう。 でも、知らず知らずのうちに苦しんでいたことに気づいた話をこれからしていきたい。

          毒親なのかもしれない