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【読書感想文】『飛ぶ教室』

5人の少年達が繰り広げる、クリスマス青春劇。


【基本情報】

  • 作者:エーリヒ・ケストナー

  • 訳者:池田香代子

  • 出版年:2006年10月17日第1刷発行/2017年8月4日第14刷発行

  • 出版社:岩波少年文庫(株式会社岩波書店)

  • ページ数:全254ページ

【あらすじ】

ギムナジウムに通う五年生5人組
読書好きの孤児の少年ジョニー
ボクサーを夢見る兄貴分のマティアス
臆病なのがコンプレックスのウーリ
クールで皮肉屋なゼバスティアーン
秀才で絵が得意なマルティン。

5人は学校のクリスマスイベントで
発表する劇「飛ぶ教室」の練習中。

その間に様々な事件が降りかかる。

【感想】

もうすぐクリスマスが近づいていますね。

クリスマスをテーマにした物語は様々ですが
今回はケストナーの名作
『飛ぶ教室』にしました。

実は『飛ぶ教室』は初めて読みます。

ケストナーの作品とは
今まであまり縁が無かったため
読む機会がなかなかありませんでした。

今回はある意味
初ケストナー作品となりましたが
面白い小説でした。

物語は寄宿制のギムナジウムに通う
五年生5人を中心に
様々な生徒達や先生が絡む群像劇です。

5人の少年達の個性や悩みなどが
それぞれ魅力的

彼らを見守る『禁煙さん』
担任の『正義先生』ことベク先生といった
大人達も素敵です。

物語のテーマの裏側にあるのは
『本当の正しさや勇気とは何か?』
だと感じました。

作中、ジョニー君をはじめとした
キャラクター達は常に

『本当の正しさや勇気』について
問いかけて考えています。

『飛ぶ教室』が執筆されたのは
ナチスがドイツの政権を握った1933年。

作者のケストナーは、ナチスによって

自身の作品を図書館から没収されたり
焚書(本を燃やす)されたりした
経験があります。

物語が始まる序盤
ケストナーは勇気やかしこさについて
次のように語っています。

かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ!世界の歴史には、かしこくない人びとが勇気をもち、かしこい人びとが臆病だった時代がいくらもあった。これは正しいことではなかった。

p24~p25より抜粋

当時の執筆された背景を考えると
かなり勇気のいる発言だったと感じます。

ケストナーは勇気やかしこさを持つことを
ボクシングに例えて伝えています。

ただ、ごまかさないでほしい、そして、ごまかされないでほしいのだ。不運はしっかり目をひらいて見つめることを、学んでほしい。うまくいかないことがあっても、おたおたしないでほしい。しくじっても、しゅんとならないでほしい。へこたれないでくれ!くじけない心をもってくれ!

p24より抜粋

人生を生きる上で大切なことは

ツラいことや不運に見舞われても
挫けず立ち向かっていく心の強さであると
私は感じました。

【印象に残ったキャラクター】

①ゼバスティアーン・フランク(ゼップ)

メインキャラクター5人の中でも
あまり目立ちませんが
頭も切れるし物知りで皮肉屋。

彼もジョニー君同様読書家で
弁も立つので交渉の立場では大活躍します。

皮肉屋で時には
友達すら小馬鹿にしますが

ウーリ君の一件でふと漏らした
自分の弱さを吐露するシーンは印象的でした。
(すぐいつもの皮肉屋に戻りますが。笑)

クールな一匹狼タイプの男の子って好きです。

ゼバスティアーン君は基本一匹狼ですが

クリスマスには何だかんだワクワクしていたり
下級生達を冗談で楽しませたりなど
ユーモアな一面も持ち合わせています。
(そこがまたギャップ萌え。笑)

②ウーリ・フォン・ジンメルン

臆病な性格がコンプレックスの男の子。

臆病ゆえに、序盤では
親友のマティアスことマッツ君や
マルティン君に憧れを抱いていました。

本作で一番『勇気とは?』について
考え、体現したのは
彼だと思います。

物語後半、ウーリ君は勇気を示すために
ある行動に出ます。

その行動に出てから
ウーリ君は以前の弱虫な彼ではなくなります。

自分の中にある弱さと
向き合った人間が一番強くなれる
のだと
私はウーリ君の姿を見てそう感じました。

③ヨーハン・ベク先生(正義先生)

まさに理想の先生。

ベク先生は正しいことを愛する先生なので
ジョニー君達生徒からは
『正義先生』の愛称で親しまれています。

正しいことを愛する一方で、ベク先生は
子どもの気持ちがよく分かる先生です。

先生自身も子どもの頃に
辛い経験を重ねてきた過去から

生徒の気持ちに寄り添う
優しさを持ち合わせている
のです。

終盤、切符代が足りなくて両親に会えず
寂しい思いをするマルティン君のために
取った行動は本当カッコいい!

④かっこつけテーオドール

ジョニー君達と
何かと対立することの多い九年生。

意地悪な性格が目立ちますが
物語中盤ベク先生の話に感化されて
彼なりに態度を改めるシーンが好きです。

杓子定規な態度を改めたり
何かと対立するマルティン君の絵を
褒めたりするところから

根っからの意地悪では無いところが
彼の魅力だと思います。

【印象に残ったシーン】

子ども達にもそれぞれの悩みや辛さはある

人形がこわれたので泣くか、それとも、もっと大きくなってから、友だちをなくしたので泣くかは、どうでもいい。人生、なにを悲しむかではなく、どれくらい深く悲しむかが重要なのだ。誓ってもいいが、子どもの涙はおとなの涙よりちいさいなんてことはない。おとなの涙よりも重いことだって、いくらでもある。誤解しないでくれ、みんな。なにも、むやみに泣けばいいと言っているのではないんだ。ただ、正直であることがどんなにつらくても、正直であるべきだ、と思うのだ。骨の髄まで正直であるべきだ、と。

p19~p20より抜粋。

『飛ぶ教室』では、メインの少年達が抱える
悲しみや憧れ、コンプレックス
それぞれ描かれています。

成長するにつれて
子どもの頃には当たり前に感じていたことを

大人になると忘れてしまうのはどうしてだろう
と時々考えます。

ジョニー君の場合は
両親に捨てられた寂しさ

しっかり者のマルティン君は
貧乏であるがゆえの苦労や悩み

小柄なウーリ君の場合は
弱虫な自分がコンプレックスであること

それぞれ悩んでいます。

子どもだって、小さくても一人の人間

担任のベク先生は
そのことを理解しているからこそ
生徒達に共感し、寄り添います。

ジョニー君の考え事

ジョニーは、なにかをたしかめるように、じっと町を見おろしていた。ジョニーは考えた。
どの屋根の下にも、人間が暮らしている。そして、ひとつの町にはすごくたくさんの屋根がある!ぼくらの国にはすごくたくさんの町がある!ぼくらの惑星にはすごくたくさんの国がある!宇宙にはすごくたくさんの星がある!しあわせは、数かぎりない人びとにわけあたえられている。ふしあわせもだ……将来は、いなかに暮らそう。ちいさな家と広い庭。子どもは五人だ。ぼくは、子どもをやっかい払いするために、海のむこうにやったりしない。父さんがぼくにしたような、ひどいことはしない。ぼくの奥さんは、母さんよりいい人だろう。いまごろどうしてるかな、母さん。まだ生きてるんだろうか?
マルティンがぼくの家に越してくる、なんていいな。マルティンは絵をかく。ぼくは本を書く。そんな暮らしが楽しくないなんて言ったら、笑っちゃうね。
ヨーナタン・トロッツは、そんなことを考えた。

p132~p133より抜粋

みんなが寝静まったあと
こっそりベッドから抜け出したジョニー君は

学校の外に広がる町を眺めながら
上記の考え事をします。

自分の知らない世界や自分の将来の夢、
自分を捨てた両親のことを想う中
(ここはジョニー君の複雑な心境が見えます)

親友のマルティン君と一緒に暮らせたら
きっともっと楽しいだろうな

ジョニー君は考えます。

皮肉屋ゼバスティアーン君の本音

「いまからぼくが言うことは、もともとみんなにはまるで関係ないんだけどさ。ねえ、ぼくに勇気があるかなんて、考えたことがある?ぼくが不安がってるなんて、気がついたことがある?思いもよらなかっただろ?ここだけの話、ぼくはすごく気がちいさいんだ。でも、ぼくは要領がいいんでね、気づかれないようにしてるんだ。自分がいくじなしだってことは、そんなに気にしてない。いくじなしだってことを、恥ずかしいとも思ってない。それもやっぱり、ぼくが要領がいいからだ。欠点や弱みは、だれにだってあると思うよ。問題は、それをごまかすかどうかってことだ」
みんながゼバスティアーンの話を理解したわけではなかった。とくに下級生にはちんぷんかんぷんだった。
「おれは、恥を知るやつのほうがましだと思うな」とさっきの七年生が言った。
「ぼくだって」
ゼバスティアーンがちいさな声で言った。きょう、ゼバスティアーンはやけに口数が多かった。たぶん、ウーリの事件のせいだろう。いつもは、ばかにしたようなことや、人をくったようなことしか言わない。ゼバスティアーンには、とくに親しい友だちがいなかった。みんなは、ゼバスティアーンは友だちなんてほしくないんだと思っていた。でもいま、みんなは、ゼバスティアーンも孤独でつらいんだ、と思った。確かに、ゼバスティアーンはとてもしあわせな人間というわけではなかった。

p167~p168より抜粋

物語の中盤、ウーリ君は勇気を示すために
校庭にある鉄ばしごから飛び降りて
足を骨折してしまいます。

ウーリ君の事件は学校中に広まり
誰もがウーリ君の勇気を見直します。

ゼバスティアーン君だけは冷静でしたが
ウーリ君の一件は彼にも何かしら影響が
あった模様。

元々ウーリ君に対して
彼の弱虫を皮肉っていましたからね。

ゼバスティアーン君は作中でも
クールで弁が立つ弱さを見せない一匹狼
という印象なので

その分、ぽろりと見せた
本音が際立っています。

でも、ゼバスティアーン君は
自分自身について
次のフォローも忘れていません。

「それはそれとして」ふいに、ゼバスティアーンは冷たい声になった。「それはそれとして、ぼくがいくじなしだってことをからかうなんて、だれにも許さないからな。そんなことしたら、ぼくは自分の体面を守るために、ぼこぼこにしてやる。そのくらいの勇気なら、ある」
ゼバスティアーンはそういうやつだった!せっかくみんなが同情しかけたのに、すぐに冷や水をあびせるようなことを言う。

p168~p169より抜粋

自分にも勿論弱さはあるけど
そんな自分を馬鹿にするようなら
立ち向かう勇気はある

と言い放つゼバスティアーン君でした。


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