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【読書日記】 「異彩を、放て。」を読む

画期的な企業、「ヘラルボニー」の過去、現在、未来について知りたいと思い、読みました。

第一刷:2022年10月20日
発行所:株式会社新潮社
著者:松田 文登  松田 崇弥
内容:「障害」が絵筆となって生み出されるアート作品を世に解き放つ双子の起業家。ジャケット、バッグ、さらには駅や空港のアートラッピングと、その活動範囲はこれまでの常識を軽く飛び越え広がり続けている。「僕らは未来をつくっているんだ」という彼らの原点、そして未来を初めて明かす1冊。(amazonより)

「ヘラルボニー」とは

この本の副題は
「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える
です。
「ヘラルボニー」は著者らが起業した会社の名前。
詳しくはこちら。
↓ このサイト、見るだけでうっとりします。↓


文字通り「世界を変える」お二人

この本を読む前は、「著者のお二人が、障害のある人のアート作品を使って商品を作り、ビジネスにしている」という認識でした。
しかし、単にそれだけではないということが、この本の全てのページから伝わってきました。
いくつか、彼らのポリシーについて書かれたところを挙げてみましょう。


ポリシーには非常に刺激を受けました


まず、ビジネスに対する発想の転換。

知的障害のある人がいなければ成り立たないビジネスモデルを、「健常者であること」が前提の資本主義社会の中で、成立させる。それこそが「ふつう」を肯定する社会から、「ありのまま」を肯定する社会につながると信じている。

173ページ



「文化」を作ることもミッションにしています。

僕らがやろうとしているのは、身体と同じくらい大切な「心」をケアし、障害があってもなくても、互いの違いを認めて、肯定し、尊敬しあえるような「文化」を作ることだ。

183ページ


人の心や価値観をアップデートする会社とも。。

世の中には、社会の仕組みやハードをテクノロジーやアイディアでアップデートできる会社はいくつもある。けれども人の心を、価値観をアップデートできる会社は、ほとんどない。
へラルボニーには、その力が確かにある。

186ページ

彼らは、障害のある人の作品を商品化するということを通して、この国の文化を変えていこうとしているのですね。
そして、それは、岩手県という地方で確実に変化として現れているということがよくわかりました。


ポリシーに沿っていろいろ展開



養護学校での私の経験と重ねて考える

私は養護学校で知的障害のある子どもさんと過ごしています。
以前担任してた子どもさんで、絵を描くのがとても好きな方がおられました。
無心に描く姿は、本当に嬉しそうで楽しそうでした。
まるで自分の中からどんどん描きたいものが湧き出てくるかのようでした。
そして、描いたものはいつも大事に自分の手元に置いていました。


この手から多くの作品が生まれる


私はそのような姿を見て、「今、作品を見える形ではっきりと残してあげよう」と考え、次の3つに取り組みました。
・描いた作品をきれいな額縁に入れて飾る
・学校の冊子の表紙に作品を使ってもらう
・コンクールに応募する

その時に私が考えたことは、いつも手元に大事にもっている作品を本人から「引き離す」ことを本人に理解しやすい形で伝えようということです。

例えば、ひょっとしたら、本人は、額縁に入れて壁に飾るよりも手元に作品を持っておきたいかもしれない、額縁に入れるということは「よい」ことだと私たちが勝手に思っているだけかもしれないと考えたのです。

そこで、作品を「これは〇〇さんの絵だね。先生に貸してね。今は、額縁に入れるの。そしたら、他の人も見ることができる。先生はうれしいの。」と話しながら、一緒に額縁に入れました。

また、描いた絵が学校の冊子の表紙になることについては、「〇〇さんの絵は素敵。学校の人みんなに見てもらいます。本にかきます。たくさんです。校長先生、うれしいです。」と話し、冊子を見せます。

作品をコンクールに出したときには、「他の先生に見てもらいます。他の先生は遠くの学校の先生です。配達してもらいます。」と話しながら、梱包しました。
そして、コンクールのサイト上に作品がアップされたときには、家庭でも学校でも
見ました。


こうした過程を丁寧に踏むことで、その時は十分に理解していなくても、後になって『こういうことだったんだ』『こういうこともあるんだ』という体験をすることができたと思うのです。
絵を描いた本人の文化と、それを残したいと考える私たちの文化の融合でもあります。

文化の融合の積み重ねです



養護学校でのこのような経験を思い出しながら読んだ箇所がありました。

・知的障害のある人は、作品をつくること自体を楽しむ
・作品が二次利用されることが理解しにくかったり、嫌だったりすることもあるかもしれない
・「うれしいだろう」という思い込みをしない
まさに、私が感じていたことでした。

へラルボニーでは、こういったことについて非常に丁寧に扱っておられるということも知り、嬉しくなりました。


知的障害のある人がこだわったり、同じことを繰り返したりするという特性から生まれる素敵な作品たち。

作品に光を当てる人がいて、次は、作品が人々に光を当てる。

それには長い月日がかかるかもしれません。
私は、ゴッホが生前ずっと創作し続け、見向きもされなかったことを思い出したのでした。


ゴッホを思い出しながら読んだ本でした


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