青春とスラムダンクと東京オリンピック

東京オリンピックが始まったとき、私は新潟のホテルで開会式を見ていた。

猛暑の中でのパターゴルフやサイクリングなどの外遊びに疲れたころ、ホテルの中にある漫画本コーナーで子供も一緒に漫画を読みだした。

子供はデスノートやドラゴンボールを選んだ。どの本も何年も読み継がれた古さで、表紙カバーもなく、新しい漫画はおいていない。島耕作やら美味しんぼが並ぶ中、以前から息子に読ませたいと思っていたスラムダンクを手にとった。読んだ記憶はない。たぶんテレビアニメを数回見て、ただただ湘南の高校生たちを眩しくうらやましく思ったことだけ覚えている。

何で埼玉に住んでいるんだ!何で海がないんだ!何で江ノ電じゃないんだ!

それが私のスラムダンクの記憶だった。

東京オリンピックの年、息子は小学六年生だった。
勉強はあまりできない。スポーツマンでもない。中学や高校を通しての部活は学生生活を大きく左右するものであり、その後の人生にも影響が大きいことは、自分の経験からわかっている。

息子には、親友と呼ぶべきような友がいて、彼はバスケをやっている。もちろんその子が入ると決めている部活はバスケ部だ。一方うちの息子は、走ることは好きだが、短距離は遅く、日焼けに弱い。野球やサッカーといった外でやる部活は本人も難色を示している。バスケは外コートで練習することも中学生ならあるだろうけれど、試合は体育館でやるスポーツだ。別にバレーボールでも卓球でもいいけれど、本人が夢中になれるもの、良い仲間を作れる部活を選んで欲しいというのが、親の願いだ。

スラムダンクはよく知らないし、スポーツに興味がないけれど、息子のために読んでみた。この漫画を読んでバスケを始めた人が多いというのなら、息子に読ませる前にまず自分が読まなければ勧められないからだ。そうして読み始めたら、新潟のホテルの公共の漫画エリアで笑いが止まらず、子どもにはたいそう不審がられ、ものすごい勢いで9巻の翔陽戦が始まる前までを読んでいた。

スラムダンクがギャグ漫画だったとは!しかも、この90年代のお笑い感!少年漫画の絵柄から北斗の拳みたいな話かとか思っていたが、違った。いや、私の北斗の拳もだいぶオリジナルと離れて記憶されているけれど、とにかくシリアスに試合ばかりしているスポーツ漫画(ある意味後半になればそうだが)だと思っていたのに、私は人目のある場所で一人で大笑いしているのである。こんなに笑ったのは久しぶりなぐらいだった。

さすがに31巻ある漫画を、滞在中に全て読むことはできない。後ろ髪を引かれながら、帰路へと車を走らせた。


夕方、渋滞にはまり、車のカーナビのチャンネルをオリンピックに合わせた。柔道をやっていた。
無観客の中、闘志を燃やす選手たち。それぞれの想いやドラマを背景に数分間の試合にその瞬間までの、彼らのできること、すべてをぶつける。彼らが練習という、地味で孤独な時間にどれほど人生を費やしてきたのか、スラムダンクの高校生たちと、オリンピック選手が重なった。

私は運動が苦手で、中学では文化部だったし、高校では生徒会をやっていて、運動部の経験はない。
だから、いつでもスポーツする彼らを眩しく眺めていた。その頃の少女漫画の影響で、高校に入るとマネージャーにも憧れたが、マネージャーブーム全盛期であまりの志願者の多さにおののき、遠くから好きな男の子を応援するだけだった。


生徒会室へ向かう間に通る外廊下から見えるグラウンドの中の彼らや、聞こえてくる声に、どこかうらやましい気持ちがあったのかもしれない。自分が青春していなかったわけではないけれど、誰もいなくなったコートで、一人練習を続けるような孤独は知らない。でも、自分が体験できなかったからこそ、汗を流すことが日常である、スポーツをする人たちの見えない努力が、とても尊い。


結局ホテルから帰宅後、スラムダンクの続きが気になってしかたなく、翌週には全巻購入して、息子にも読ませた。
そのおかげか、私の無言の圧力か、はたまた隠しきれない私の熱意のせいか、息子は秋になるとバスケを習い始めた。

春、これから中学で部活を始める息子は、私が経験しなかったスポーツを通じての、友情をはぐくみ、喜びやら悔しさやらを経験していく。正直、やっぱりうらやましい。私が流したことのない涙を流す時があるかもしれない。
それでも短い青春を想うと、スポーツをすることは素敵だな、と思う。
年を取ったらスポーツができないわけではないけれど、あんなに情熱と時間をかけられるのは、プロでなければ、学生だけだ。


今自分が何かに情熱をかけることができないもどかしさも感じながら、彼らを応援している。そして、やはり自分にも何か夢中になれるものが欲しいと思ってしまうのは、一生青春、と言う恥ずかしさを感じる言い回しに、心のどこかでは憧憬の念を抱いているのだろうか。時間や体力のなさを言い訳に、日常に追われてしまう日々から、私も少し踏み出したい。

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