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勝手に震えておく


怒りが湧き出すと体が震える事がある。

「ワナワナ」とか「メラメラ」とかそんな擬音語の表現が合うかもしれない。

私の沸点は割と低い。

今年のクリスマスイブは散々だった。

事の起こりはイブの夜。夕食時の義理の母一言からだった。

「あなた(夫)来年厄年でしょ?厄払いしなきゃね。神社とか決めたの?
あと厄払いのための品を買っておいたの。あなた(私)も職場の方に配るわよね、もちろん。

私は正直、「は?なんで?」
と言いたかった。おそらく「狐につままれたような顔」をしていたのだろうなと想像する。

「彼に任せるつもりでした。妻の職場で配る事なんてあまりないと思っていたので・・・」と返す私。

夫も「自分で振り分けくらい考えるからそこまで指図しなくていいよ」
と返した。


私たちの言動に義母はキレた。

詳細は覚えていないが
「私の好意を踏みにじるような態度と言動をしたわね」的な内容だったと思う。

気が付くと、私の手は震えていた。

おそらく怒りで。

その過干渉さに恐怖すら感じていたのかもしれない。

「親心」なんだろうなと、自分に言い聞かせて怒りを鎮静化する。

義母は「もういいわ」といい、鼻息荒く、さっさと二階に上がって行った。
ああやって、好きなだけ怒れるのだから羨ましい限りだ。

こんなどうでもいいようなストレスを生む事が、3世代の家族にもなると日常の中に溢れ、息苦しさを感じる事は大いにある。

私は、好意の受け取り方まで配慮すべきだったのだろうか…。


義母の中での正解を想像する。
おそらく、「はい、わかりました」と笑って言えば良かった。

おそらく、大切な夫のために一肌脱ぎます!的なパフォーマンスをすれば良かった。

おそらく、「ご親切にありがとうございます。」と義母の気遣いを労い、夫をなだめ、協力する姿勢を見せれば良かった。

冷静に考えればいくらでも母をキレさせない方法はあった。

しかし、どれも私の「意志」とは異なる。

つまり、不器用とはこういう事なのだろう。

社会人とは誠に面倒だ。

なぜ、このご時世に、「同居」なんて…?

なぜ、こんな息苦しい生活を選んでいるのかと聴かれたら、いい答えはまだ見つからない。

ただ、私自身が幼少期に祖父母と暮らし、田舎で多くの親戚たちに囲まれ、混沌とした中で暮らしてきたため、「異常な免疫」がついていること、医療従事者として勤めてきた経験の中で、「人は生死を彷徨うとき、どこに行っても人間関係の面倒事からは逃げられない」という事実を目の当たりにして来た事…
などが大きいかもしれない。

逃げることはいつでも出来る。

「勝手に震えてろ」という映画の題名を思い出した。

内容は恋愛映画っぽいから全く違うのだが。

我慢しているのではない。
「争うに値しない」から諦めて、勝手に震えているだけ。

こんな小さな家族という社会の中でも争いは絶えないのだ。

義父・儀母・夫・息子・娘と戦っても仕方ない。
戦う以外の向き合い方を模索し続けていくしかないのだ。

諦めと、震えるほどの小さい怒りとともに。


家族とのクリスマスイブ事件 短歌











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