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「吉本ばなな」さんと話したい

吉本ばななの「幸せへのセンサー」をAudibleで聴いている。


なぜ聴いているかというと、「三浦しをん」さんの「墨のゆらめき」を聴き終え、また三浦しをんさんが聴きたいなぁと思って検索していたら、なぜか「吉本ばなな」さんが現れたから。優しい絵のカバーに惹かれ、聴いてみる事にした。

私は最近「あっ、なんか聴きたいな」と思ったら聴く。それって当たり前じゃん?とも思うのだが、以前の私は基準が「私」ではなくてどこかの知らない人達が評価を出し、「売れてます!」とか「史上最高!」など書かれたものばかり手にしていた。

他人の評価ばかりきっと気にして生きていたのだろう。それはかなり無意識だったのだが、自分が好きなものとか欲しているものに蓋をしてきた時間が長かったようだ。

この年になり、ようやく選択するとき、「感」というのか、「勘」というのか、気分というのか、そんなものを大切に出来るようになってきた。

あとは、社会的とか世の中的に?読んだり、聴いたりした方ががいいのかなーと、少し努力的に取り組んだものは、見事に第一章すら最後までいかない。
こんないい方をするのは申し訳ないが「息が詰まってくる感じ」を拭えないから。

わたしは、人の心情や情景を丁寧に描いている作品が好きらしい。だからエッセイとか小説とかが多くなる。おそらく、どこか共感出来る部分とか、納得できて腑に落ちる部分とか、少し感情が揺さぶられたりとか…。

いろんな自己啓発本とか「幸せの法則」的なものに目を通してきたけど、途中で挫折してきた。

けれど、「吉本ばなな」さんが伝えている事には全く無理が無く、心地よく、心の深いところに優しく降り注ぎ、丁寧に丁寧に料理をしてもらえているような感じがした。

否定も肯定もせずに。

仕事、家事、育児、同居、夫との関係、友人達との関係…
「我慢の先」の幸せな未来に期待して私は生きていたのかもな…と思うとホロっと涙が出た。

「幸せになりたい」って素直に思えば良かったんだ…

なんて。

「欲」とは無縁だと思っていたが、かなり欲深い人間だったんだと思うと、どこかで納得したし、それは悪い事では決してない事なのだと思う。そして、幸せになりたいと思っていたんだと優しく認めてあげる自分がどこかにいると、ムウムウと突っ走って考えなくなってくる。

転職も「もっと違う場所で自分らしく働きたい」という欲求だったわけだし、「人のため」なんては2の次だったのかもしれない。

結婚も「この人となら歩んでいける」と思って何かが淡い期待を抱いて、その先に幸せを望んだからだし、欲深かったと思う。

腹八分目とはよく言ったもので、満腹になるまで食べ続ける事に慣れると、苦しくて大変で辛いはずなのに、満腹にならないと気が済まなくなる。内臓はとっくに疲れているのに、負荷をかけ続ける。

先の先の未来の幸せのために今を犠牲にしてるのだとしたら、わたしは「今」この瞬間に感じている自分の感覚について、もう一度感じ治していこうと思うのだ。

欲張りだった自分を認めると少し笑える?

欲を少しだけ手放すとどこかに余白がやってきて、心が潤い、優しい諦めがやってくる。

諦めると自分を責めなくなる。
そして、もっと深く自分を知りたくなる。

自分のことが、実は1番わからないものなのだろう。

聴き終えた後、私は「吉本ばなな」さんに会いたくなった。そして、色んな事を聴いてみたくなった。

それくらい、今の私には優しく降り注ぐ言葉達だった。

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