ちいさいせなか
子どもは親が知らないうちに成長している。
そしていつの間にか親から少しずつ離れていく。
全く、私は身勝手で、子どもを「育てている」という錯覚をしてしまう事があるのだが、子どもは育っているのだと実感する。
その小さな体や心を震わせながら。
足を怪我をし、今までのように子ども達と触れ合えない中、ふとそんな事を思う。
私は先日、10年ぶりに地区のバレーボール大会に参加した。
体を動かすのは久しぶりだったし、体力に自信もなく、あまり乗り気では無かったが、「ひとが足りない」なんて言われると、断れない所は悪い癖だ。
適当にやろうと心に決めていたが、いざ試合が始まるとアラフォーは本気になったのだった…。
ボールに向かって踏み込んだ瞬間…
誰かに右足が強くぶつかったような感覚を覚えた。
振り向くと誰も居ない…
「やったな…」
私は確信した。
倒れ込むわたしに、大勢の人が集まってくる。
「うわー…恥ずかしい…お願い…見ないで。」
と心で叫ぶ。
「大丈夫、大丈夫」とごまかすが、内心分かっていた。おそらく靭帯だと…。
応援に来ていた子ども達は「どうしたの?」と状況が理解出来ない様子…。
夫は「病院行くよ。休日診療の整形探すよ。」と、
私を諭し、帰り支度を始めた。
診断名:右アキレス腱断裂
踵骨(かかとの骨)から近い部分でしっかりと腱が切れているため、腱を縫合する手術が必要との事。
(全荷重)足裏を完全につけるまで1ヶ月ほどかかる事になる。それまでは、ギブスと足につける装具を使用し、松葉杖で移動しなければならない。
自分の身の回りの事以外の家事、育児、仕事、車の運転…全て不可能になったわけだ。
私の仕事の業界用語では「作業の喪失」と呼ぶが、その意味の深さを実感しないではいられない。
とくに、わが子に対しては強く思った。
4歳の我が愛娘はまだまだ甘えていたい時期。
そんな娘もけいれん発作(ひきつけ)のような症状がよく起こるため、大学病院に検査入院する事が決まっていた。
私が怪我をしたため、付き添うのは夫になった。
「おかあさん、だっこして」
「おかあさんさん、おててつないで」
と言われるたび、「今ね、出来ないの。ごめんね」
を言う事を、こんなにやるせ無く思った事はない…。
娘が入院中当日。
その車に向かう「ちいさいせなか」が切なかった。
2日間だけだったが、わたしはずっと不安だった。
MRIを撮るための麻酔は大丈夫だろうか…
脳波を撮るための睡眠導入剤は大丈夫だろうか…
小さな体で寝たり起きたりを繰り返さなければならいわけだ。心配で仕方がなかった。
娘は、退院して帰ってくるとすぐに、こう行った。
「おかあさん、りーちゃんがいなくて寂しかったでしょ?だからね、早く帰って来たんだよ。一緒にねてあげるからね、足痛くても寂しくないからね」
そう言って私を横切り、おもちゃ箱を引き出す娘。
そうか、私を心配していてくれたのか。
そんなに、小さな体を震わせて…
幼いながらもしっかり思考をもって…
娘の方が一枚上手だったんだ。
その、「ちいさいせなか」はとても逞しかった。
私は答える。
「ありがとう。寂しかったよ。そばにいてね。」
そばにいて欲しいのは親の方なのだ。
そばにいてくれてありがとう。
もう少しだけ、子どもでいてね。
私が心も体もしっかりするまでに。
ありがとう。私の娘よ。
「ありがとう」は奥深い言葉で、その言葉の短さ故に、安易に使いがちだ。体が不自由になっている今、その使い方について考えたりする。
ありがとうは特別な時に、特別な人に使いたい。
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