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きのことココダトレイル「7日目: イスラバでのDawn Service(夜明け前の慰霊祭)」

 慰霊祭の当日。正確に記録に残そうと思います。


(1) 真っ暗闇の中の起床

 オーストラリアの慰霊祭は日が登る直前の真っ暗闇の中、厳かに取り行われます。Dawn Service 、夜明け前の慰霊祭。

なぜこの時刻なのか。
戦場の最前線に置かれた兵士達が起床し、守備位置に配置された時間帯なのです。毎日決まった時刻に同じことを繰り返す。戦地から戻った兵士達は、この朝の軍隊でのお決まりの儀式を感慨深く思い出すそうです。そこから、この時間帯に慰霊祭が行われるようになりました。

ココダトレイルを歩く場合は、イスラバの地で慰霊祭(Dawn Service)を行います。トレイルを北から歩く場合は2日目の朝、南から歩く場合はトレイル最終日の朝になります。

(2) 慰霊祭(Dawn Service)の内容

5:30 AM 開始

1. 慰霊碑の前に一同整列
2. 音楽 THE LAST POST (BUNGLE MUSIC)
3. 音楽 ROUSE (BUNGLE MUSIC)
4. 黙祷(The period of silence 2mins)
5. 国歌斉唱
6. スピーチ、含むODE
皆で誓いの言葉斉唱
“We will remember them. Lest we forget”
7. 献花
8. 解散

(3) 緊張の朝

 この日の日記を見てみました。
目が覚めて、起床するまでにいろんな思いが交錯したと書かれています。何故か精神的に整っていたはずが、前の状態に逆戻り。

ここで精神が整っていたという点ですが、トレイルを歩く前に5年以上連絡していなかった友人と再会し、その彼女の持つ不思議な力を目の当たりにし、力を借りて、瞑想と体のエネルギーをクリアにして集中する方法を学びました。目に見えるもの、論理的な事、科学で説明するものしか受け付けなかった自分が、目に見えないもの、言葉でも科学でも説明できない精神世界というものに出会うきっかけになりました。

「5:30のDawn Serviceを前にして、どんどん緊張が高まる自分がいた…やるしかない…日本人はここに私1人しかいない訳だから、逃げるわけには行かない…絶対に負けない‼︎なんてそんな強気には最後までなれず…」

トレイルを歩いてきた中で、精神的に1番追い詰められていた日でした。時間は刻一刻と迫る…この怖さはどこからくるものだろう。改めて、また緊張を思い出しています。

(4) 私達の慰霊祭(Dawn Service)

 
続々と慰霊碑の前に集まり整列し始めました。

私はこの時不思議なものを見ました。

慰霊碑を前にして、目の下半分にモヤモヤとした煙のようなものが激しく波打つ。寝ぼけているかなと、目をこすりましたがやはり目の下半分は、なんらかのエネルギーが波打っている…見たこと、経験した事のない事でした。おかしいな…と思っているうちにだんだん収まってきたのでその時はそれ以上考えませんでしたが、その後、瞑想すると時々同じものが瞼を閉じた中で見える事があります。まだ理由は分かりませんが、気になっています。

🩶は慰霊碑、💚はパプアニューギニア人
💙はオーストラリア人、❤️は日本人、中央💙は司会役

 
 ボスに促されて司会進行役のセクシーボイスが話し出す。暗い中、皆の輪郭しか見えない明け方。美しいセクシーボイスの声が一帯に響く。

The Last Postは、天パ坊やのハミング。
「優しい、心地よい響き…」

(ご興味があれば以下をお聴きください。バングルというトランペットに似た楽器で演奏されます。)

The last post は、軍隊で1日の作業の終わりに演奏された作業終了を意味する音楽です。慰霊祭で使われる時、戦闘で亡くなった兵士達を悼み、弔う目的で演奏されます。

物悲しい音色は、私の感覚としては思考をクリアにし、そして第三の目を開くような集中した時を参列者に与える気がします。

2分間の黙祷。

2分たったところで、もう一度天パぼうやのハミングでRouse。

パプアニューギニアの国歌斉唱。
ポーター、クルーが歌う国歌。素晴らしく心地よいあたたかな国家。皆優しい気持ちになりました。帰ったらもう一度ネットで聞こうと思いましたが、あの時の優しい歌声に匹敵するものは見つかっていません。

Shout again for the whole world to hear
Papua New Guinea

We're independent and we're free
Papua New Guinea

国歌抜粋

キリスト教の要素と、オーストラリアから独立して4年後の1975年に正式に作られた国家は、独立の喜びが伝わる歌詞です。

次に日本の国歌斉唱。
私の今回のミッションに賛同してくれた友人が作ってくれた音源。今考えると、日本では国歌斉唱の時には、今でこそ一緒に口ずさむようになりましたが、昔は音源に耳を傾けて心で歌う…のが主流だったような。少しここの点が分からないなと思いました。

気持ちが込み上げてきていましたが、震える声で斉唱。

ご興味があればどうか友人の歌声を聞いてください。
気持ちを一つにし、この地で命を落とした兵士達に捧げた、美しく、力強い歌声の君が代…こんな君が代を聞いた事がないと思いました。

我々は会話を重ねる中で、もうこの地で亡くなった戦士の霊がこの地に留まるのではなく、自由に羽を伸ばして光の方向に飛び立って欲しいという願い、共通の思いがありました。

深々と頭を下げました。
ありがとうございました。Thank you…と呟いたと思います。涙がボロボロこぼれました。仲間が皆、よくやったねと、、みな優しく見つめてくれていました。

そしてオーストラリアの国歌斉唱。

ちゃんと覚えなきゃ💧独り言です……

私の第2の故郷、誇りに思う国歌です。
2021年に先住民族を配慮して'For we are young and free(若くて自由な国)' が、'For we are one and free(一つで自由な国)'に変わりました。

後日談ですが、、あの時、歌詞間違えた…とオーストラリア人メンバーが明るく、アッハッハーと打ち明けてくれました…(アッハッハー…笑)

日本人が君が代の歌詞を間違えたら…どうなると思いますか?(怖っ……)

そして軍曹が残してくれた言葉を全て読み上げました。

パプアニューギニア🇵🇬への感謝の言葉
証言 ココダの戦い
“Those Ragged Bloody Heroes” by Peter Brune
Lest we forget 
誓い、私達は彼らを、戦いを忘れない

ここで、元兵士の証言などを語り伝えるのは大切な気がしました。

ふと、、「私達は、あの悲惨な戦争を繰り返しません。」だけでは心に強く響かない気もします。戦争を知らない私達の世代の慰霊祭というものは、現代に合わせて少し変えてもいいのかもしれないと思いました。

そして献花。皆で握手を交わす。
皆涙でぼろぼろでした。肩を叩き合って、ハグして…

我々はそれから暫くそこに無言で立ち尽くしていました。

軍曹にも立ち会ってもらいたかったオーストラリア、日本、パプアニューギニアの合同慰霊祭。

そして日の出の時刻。

無言の時
感謝
🇦🇺🇯🇵🇵🇬

(6) 参考までに


2023年 PNGのボマナ墓地での慰霊祭スピーチ

https://www.minister.defence.gov.au/speeches/2023-04-25/anzac-day-dawn-service-bomana-war-cemetery-port-moresby-papua-new-guinea

PNGボマナ墓地での慰霊祭ビデオ(75周年の慰霊祭)

(おしまい)
読んでくださってありがとうございました。

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