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自分の命の値段は知らず知らずのうちに決まってくる

私は生きる道を探した時に、それまでの人生で
間違いなく一番その道を探した。

元々、映画や海外ドラマは好きだったし、
歴史にも強かったが、遥かに範囲を広げて
その道を探した。

しかし、同様な状況に陥った男1人と女1人が
いたが、どちらも死の道を選ぶかのように
早死にしていた。

神々の世界にまで知識をのばしたが、解釈次第
というものもあり、答えを得る事は出来なかった。

私は一応、一族の長である父の長男として
生まれた事に対して、最低限のモラルは
持っていた。

しかし、私が知っている道に生は存在しない
と分かった時、違法薬物も試した。
私はやると決めたら徹底的にやるが、普段は
そんなものに頼らなくても問題無かった。

一番激しい薬物にも手を出したが、
もう既に私の心は死んでいたのか、
全く効き目は無かった。

私の精神は私が思っている以上に酷いものと
なっていたとその時、悟った。

勘違いしている人もいるとは思うので言うが、
生きるエネルギーと死のエネルギーは同等な程の
エネルギーを要する。

誰もが簡単に死を選ぶ事など無いという意味として
知ってもらえればいいと思う。

私が自殺未遂をした時、運悪く東京で暮らしていた
年上の幼馴染が、普段は入ってこないのに、
入ってきて、私が海外から取り寄せた毒性のガスを
家にあるチューブ付きマスクで顏にガムテープで
固定して、バルブを捻った状態だった。

私をゆすっても全く起きる様子を見せなかったらしく
気が付いた時には頬をぶたれていたが、痛み等は
感じず、私の第一声は、

「なんてことをしてくれたんだ」

と言ったのは私の記憶にも残っている。

彼は何があったのかを執拗に私に聞いてきた。

私は彼と居酒屋に行って事の一部を話した。

当たり前のように大笑いされ、私が本当に精神異常者
になったと思い込んでいた。

私の家に帰り、私は居酒屋から5分も経たないうちに
逃げた母親に対して言った。

「今度は逃げるな。そこに座れ」と言ってテーブルに
座らせて、彼に話していたが、それでもずっと大笑い
していたが、母の顏が青ざめるのを見て、実際に起きた?
という疑問が彼の中にようやく生まれた。

居酒屋から話し始めて、5時間話してようやく事実だと
分かった様子を見せた。

そして彼は言った。自分の父親も早く死んで欲しいと。
しかし、私には分かっていた。

大抵の人間は、身内が死んだ時、自分の思うような想像を
して、真実から遠ざかることで、ケリをつける。

そして、本当に殺したいほどの憎しみが生まれるには、
相当な精神状態だと言う事も私は理解していた。

年上の幼馴染が言う言葉には、殺したいと思う程の憎しみ
は存在しなかった。

そこに底の無い溝が存在することも知らずにいた。

彼の父親が死んだ時、答えは分かっていたが
私は彼に尋ねた。

「悲しかった?」

彼は悲しかったと言った。

そういうことなのだ。
実際に殺意が生まれる程の憎しみと、
普通に嫌っている程度の差は、
実際には限りなく別物な程のものであって、
そこまで憎むには当然疲れるものである。

私の場合は父が死んだと聞いた時、
心の中で「終わった」と思った。

私の命の価値は父が生きていてこそ活きるもので
あって、死んだ後に私が自殺をしても、真実は
闇に消えるだけであって無意味だった。

幼馴染といっても歳は離れていたので、
一緒にお酒を飲んだのも初めてだった。

彼と私はお互いに逆のように思っていた。

私は少しは賢いのだろうと思っていたが、
呆れるほどダメだった。

彼は私の事を賢く無いと思っていただけに
衝撃を受けたと後に言っていた。

話をしても知識の深さも範囲も全く話に
ならない程の差があった。

彼はどうしても生きて欲しいと言っていたが、
理由を尋ねると分からないと答えた。

私は自分の命の価値を知っていた。
父が生きているうちに自殺をすれば、愚かな母が
一度、警察を呼んだ時、父母ともに自分で呼んで
おきながら黙秘権を行使した。

私は病院できた警官の中の責任者と話す事にした。
あまりにも非現実的な話であったが3時間、私は
話し続けて、もう夜明け近くにまでなっていたが、
真剣に話を聞いてくれていた。

その人はこう言った。

「私のような者には分かりかねますが、賢いだけに
辛さも大きなものでしょう。しかし、お辛いでしょうが、
生きてほしいと思います。この話は記録として全て
保管させて頂きます。どうか生きて下さい」

私は私の心の辛さを初めて人に聞いてもらえた。

だから私は本当の意味での第二の人生を送る事にした。
まだ自分の中でケジメはつけてはいないが、
私の病気は西洋医学では治らないもので、医師会や
国立病院等で調べたが、原因不明で、今でもストレスを
なるべくかけないように生きている。

しかし、絶対的に良い方面に変わった事もあった。
あの頃の自分は酷い状態だった。

あの頃の記憶を探ろうとした事があった。
自分はもっと強いはずだと、言い聞かせて開けては
ならない扉を開けた。

後悔はすぐにやってきた。
想像を絶する苦しみに襲われ、ベッドで横になって
30分ほど経っても苦しかった。

次の日、突然、目がチカチカして、目薬をさしたら
収まったので、PCで仕事の整理をしていたら、
また同じく目がチカチカして、その頻度がどんどん
短くなってきて、これはヤバいやつだと気づいた時
には、もう立つ事さえ出来ずに、私は這ってベッドで
横になった。

医者の息子だったので、多少の知識はあった。
従妹や叔父などにも医者がいたので、ヤバいやつだと
気づけたのも早かった。

色々調べたが心不全だった。しかし、通常の人と違う
タイプで特殊な例であった。

私の場合は全てストレスから来ているため、西洋医学の
知識でさえも殆ど役に立たない事を知った。

開けてはならない扉を開けてから、
心不全には2度なったが、一度目で対応の仕方が
分かっていたので、確かに死を近くに感じる程の
苦しみではあったが、私の悪夢と比べたら心不全でさえも、
楽な病でしかなかった。

それから一度コロナにかかったが、史上最大の苦しみと
比べれば何とでもないようになったのは、予想外であったが
大きな収穫と言えた。

もう五年くらい体内出血しているが、体内が切れているのも
痛みで分かるようになった。

私はある種、特別な身体を手に入れたようなもので、
病気には心不全を2回、コロナ1回だけで他の全ての
病気にはかからなくなった。

死なないとカウンセラーさんと約束をした。

私は嘘と汚い世界で育っただけに、真逆に生きる事を
決めたので、約束も可能な限り守ることにした。
ここで1日に三本書くのも、自分自身との約定のような
ものとして誓いを立てた。

数年間は死人のようなものであったので、
時間を取り戻す意味でもあるし、
元々、哲学は自己流で学んでいたので、
複数の事を重ねる事によって、非常に強い絆のような
ものを打ち立てた。

約束も守るし、頑張る。嘘をつかない。等を重ねて行き、
非常に強固なものとして絶対的に守らなければならない
様にすることで、頑張れるようになった。

だから私は決して無理はしていないし、持論を書く場合も
あれば、辛い目にあった偉人たちの気持ちも、以前よりも
身近に感じることが出来るようになった。

そして、嘘が蔓延る世界は普通だと知っているので、
事実を知るためにはどうすればいいかも持論で見つけだし、
それにより、より多くの事に触れる事を可能にした。

残念な事は、私しかいない点だ。

中学生の時の親友も闇に堕ちたが、彼は戻る事が
出来なくなった。完全に精神がやられてしまい、
もう私にもどうすることも出来ないと悟った。

残りは自殺したり、不遇な目にあったりしているが、
私は新しい私で生きる事にした。

自分の中で確かな手応えを感じる。
実際に生きているという手応えだ。

生きる上で、大事なのは生き甲斐を見つける事だ。
何も目的を持たずに生きていたら、いつの日か必ず
人生とは何だったんだろうと思う日が来る。

これは晩年の哲学と呼ばれるもので、
人間として生を受け、それまで何もしてこなかった
人が感じる最後の哲学と言われている。

そうならない為にも、色々な事に挑戦する事を
私は奨励する。

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