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花粉と歴史ロマン43 幻の寄り道

1 もう帰れない

 表紙写真は、今は立ち入ることのできない福島県浪江町の西方、葛尾村に通じる高瀬川渓谷の自然林です。震災の前年(2010年.10月)に撮影しました。モミが特徴的な中間温帯林です。
 2011.3.11の放射能汚染により立入できなくなった高瀬川渓谷は、降り注いだセシウムによって600年間(Cs137の半減期30年を20回繰り返すと震災前までの水準に減少します)、人為から隔離された自然環境となり阿武隈山地に残されました。
 降り注ぐ日差しは、自然美の回帰を促す優しい光のようにも思えます。「幻の」で始めた今回の幻シリーズですが、立ち入ることの出来ない自然も幻になってしまうのでしょうか?人が近づけてこその自然だと改めて思います。

東日本大震災の直後、家のあった地域が「更地になった」という知人の話、衝撃的でした。故郷が突然に幻になったのです。翌年、3月25日に墓参が許可されました。国道6号大熊町夫沢付近通過中、線量計の限界値を超えていました。 放射線を出す見えない粒子の存在、危険であっても感じ取ることができません。この体験は語っても伝えることもできません。記録の意味に期待して、

2 自然(シゼン) と ジネン(自然)

 英国の生態学の教科書(first ecology )に、Nature or nurture…or neuter.のコラムがありました。この記事は、Natureを「性質」と解釈する説明が秀逸でした。
英和辞典でもNatureの訳語に、自然(シゼン)と結びつきにくい「性質」がありますが、本来は「性」を決める「質」を意味していました。
つまり、哺乳類のように生命の内部の染色体の組み合わせによって、性が決まること、これがNatureです。爬虫類では、産み落とされた卵の環境(地温)によって性が決まります。この外部環境の影響する場合がNurtureとされ、nurse(乳母)やnursery(育児室)とのつながりが理解できます。さらに、植物の世界のように様々な性の分化が生じている場合がNeuterです。無性とするのか中性とするのか、雌雄の別の無い、あいまいなギアの入らないノイトラル(ニュートラル)状態ですが、決定機構が多様化した結果でしょうか?
 日本語のジネンは、人間世界を含めた現象や状態を示す意味があり、外部環境と連続する自然観を認めています。この点、英語(Nature)の語源(性質)にも、内部環境の自律性に及んでいることが示されており、浅学を救うための新鮮な知識になりました。

国道6号線大熊町 指定されていた避難場所には、皮肉にも常磐牛が屯(たむろ)していました。人に置き去りにされた家畜たち。リーダー格の雄でしょうか?通り過ぎる私たちを睨んでいるようでした。

3   人新世の始まりはいつ?

 人類の誕生は、いつ頃なのでしょうか?旧人、新人、現生人類など肉体的な特徴によって年代も推定できるのでしょうが、人為として、自然環境に大きく作用が及んだ時代に対して、人新世が提唱されています。

 地質年代を英語で覚えるのに苦労しましたが、地質年代の一部に新たな時代が「人新世」として設定されそうです。
 この時代は、人為が鍵になりますが、人為が浸透した現代の起源を知る興味深い話題です。その境界として、特に20世紀中頃を起点とする考えがあるのですが、その根拠の一つに、核実験が地上で行われた1952年があります。プルトニウムの蓄積が指標になっているそうです。放射性物質の他にマイクロプラスチックや化学物質(PM2.5)などが急増を開始した年代が基準になりそうです。まさに、私たち現代人が生を受けてからの時代です。
 人間の生活領域の拡大は、文明・文化によって極域での生活も可能にしてきました。人間の歴史は元来、本来の制限を超えた不自然に満ちたものであったこと、河合雅雄著の「森林がサルを生んだ」で知り、自然から逸脱した「原罪の自然誌」を学びました。生まれながらに罪を背負っている生き方、何に対する罪なのでしょうか?罪に続く「罰」に脅されながら、私たちの将来があるように思えます。

2012, 3,25 いわき市から国道6号線を北上するにつれ、線量が上がってきました。

 人新世は、従来の地質年代で言えば、新生代、第4紀(その開始期が約160万年前)、完新世の中に置かれます。完新世は、氷期の寒冷な気候に覆われていた約1.2万年前以降の1万年間、温暖化が開始され現在に至る期間を示しています。
 完新世の中で、多くの文化・文明が誕生していますので、「人新世」は「完新世」の約1万年間と同義に扱われる危険性もありますが、さらに強力な人為(Great accelation)の兆候を基準とした時代を問題としており、20世紀中頃以降になりそうです。自然環境の復元力さえ損なうような人為的作用の強大化が問題なのです。
 花粉分析では、人為の影響は、森林破壊に伴う二次林の拡大期(マツ花粉の急増期)や、稲作の開始および拡大期(イネ科花粉の急増期)に焦点が当てられてきました。今後は微粒子の分析が、意味を増してくると思います。微粒子から、何を学び、未来に役立てるか?
 地球圏科学、生物圏科学というような総合的な学問分野が期待されますが、かつての生態学ブームのように細分化されてしまうのでしょうか? それとも栗原 康著の『有限の生態学』にあった「共存共貧」の関係を築くことや、『生態システムと人間』の結語にあるように外部環境の異変に受け身で従って生きているのではなく「すべての生物と同じく種の存続のための内的衝動の炎を絶やさないこと」で、克服して行けるのでしょうか?

4 科学的であることは、

  2011.3.11からほぼ1年後、墓参で許可された請戸を訪問しました。

原発から5km程度、北側の請戸川河口の地域です。あちこち測定しましたが、概ね0.3μシーベルト
でした。距離ではなく方向が重要なこと、知っていたはず、知っていたにも関わらず公表できなかったことの不備、科学的知見の運用が非科学的でした。

 自然の中で生物は、気温が低下すれば、より温暖な標高の低い場所、あるいは南方へ移動すれば生き残れる。 熱帯の海から暖流に乗って北上してきても冬の寒さでやられてしまう。ただし、この無謀な移動を集団として繰り返す不断の努力あるいは無駄があれば、いつか気候環境に変化が生じた時、新たな分布域の拡大につながります(存続に対する内的衝動か)。 
 十分な時間の中で、植物の移動経路を妨げる地理的条件や気候条件がなければ、植物の集団は気候帯の中で成熟林を形成します。その中では短期的な撹乱も許容されて来ました。ところが、都市部の拡大と急激な気候変動は、逃避ルートが分断されるため、気候帯を代表する成熟林の成立が妨げられてしまいます。そして、生き残れる集団は、人為の圧力に耐えうる集団になることでしょう。

請戸漁港付近に設置されていた線量計0.103 最も低い測定値でした。
この測定値が、この地域を代表してしまうのでしょか?

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