花粉と歴史ロマン たとえば、たとえば
1 2023年、8月の月
夜明け前なのに、月光が西の空に満ちていました。8月は月の最接近とともに、二回の満月が見られました。夜半の異常な明るさに、ひょっとして視力が回復したか、目を凝らして指の指紋の判別を試みましたが無理でした(😆)。
同日、夜、これぞ「盆のようなお月様」、自然物としての真円は、普遍を感じさせてくれますね!
鉛筆スケッチならば、左はぼやけた2Bの月、右は2Hか、二度寝を楽しみながら、花粉を学び始めた頃に中村先生から受けた覚え方のヒントを思い出し、実体と印象について考えました。月にウサギは見えませんが、故事からイメージすることはできますね。昔々、英語の中澤九萬夫先生が「雷はseeするがLookできない」なんて話してくれたことが思い出されます。
見る・観る・視る・診る・看る・もう無いかな。
「たとえてみる」の「みる」は?
2 スケッチの輪郭は?主観か客観か?
アジサイは集合花であり、全体の輪郭はありません!ただし、輪郭を書き入れたことで、イメージとしての花全体の丸さが表現されました。荒っぽく言えば、上手な絵になりました。表紙写真は、アジサイの鉢植えを地植えにして咲かしたものです。それにしても、自意識を育てるのも難しい!いつまでも子供扱いしてはいけませんが、わがままは社会的な協調性に欠けると判断されてしまいます。
個性を伸ばす教育もいつの間にか、遠くに追いやられ同調性ばかり求められる時代です。曖昧さが遠ざけられ輪郭が明瞭な厚化粧やアニメの表現は、薄化粧に潜む個性美や、手書きの微かな味わいを感じる能力を衰えさせるのではないか?
AIは数値情報から、画像、音声まで収集され、利潤追求の手段が拡張されています。総合化された情報収集は、インターナショナルグレイを結果する危険性を感じます。
3 花粉のスケッチ
花粉の外形は、特徴が際立つものもあれば、何の変哲も無いものもありますが、
観察力に秀でた人の目には、通常見落としがちな部分を捉えることができるのです。何の役にも立たない「花粉形態の識別」を基盤とする「花粉科学」を専門とする中村純先生の研究室では、学生と教官の部屋が内部で連続しており、不明花粉に出会うと、隣室の先生に見ていただくことができました。
たとえば、「アザミだよ。爪の三日月型が外膜の断面の形なんだ。」たとえがヒントになりました。
この他、「ノグルミだね、切られの与三郎の額の傷があるでしょ」は、歌舞伎のお富さんを知らないとわかりませんね。
4 具象と抽象
数字による具体的な表現は、漢数字やローマ数字のように、はじめは単純ですがより大きな数を扱う場合には、アラビア数字の利便性によって世界中で使用されました。ただし、機械には判別しにくいことから、二進法が採用され、0と1が残りました。利便性が鍵!であることは、わかるのですが、思いがけないこと、や、はかり知れないこと、など不可思議な魅力についてなら、心は解放されて話しやすくなります。
数学が苦手な私は絵画や書に、さらに自然の造形に明るい未来を期待してしまいます。子供の頃に見えていた物や事が懐かしい。昔、陽射しの中で流れる水に見惚れていました。
この記憶は、極めて個人的で取るに足らないことです。どうでも良いことであっても、父が撮影したことに温かな眼差しを感じるのです。主観的で個人的な感性を必要とする俳句や短歌が取り上げれています。どうでも良いことに隠れた普遍性の中に、ひょっとすると、キラリと光る大切なものがあるかも知れません。
5 たとえと実体
世の中的にはどうでもいいような花粉の形態を知り、正確に識別する研究者の存在を知り、やがて自分の将来を決める決断をし、振り返れば50年の生活が支えられてきました。
明け方の満月の世界は、虫の声に誘われて、どうでも良いくだらない想像を可能にしてくれました。芝の上に転がっていた青い柿の実、少し離れたところに柿の木はあるのですが、合理的な説明を探ります。
「自力で転がるには無理な距離、枝先の実が落ちる寸前に風に揺れた枝のシナリを受けて遠くまで飛ばされた。」ただし、これでは、つまらない!
「一人庭仕事をする男には、時々鳥や涼しい風に気付きます。その度に仕事の手を休めるのですが、この青柿も小休止をプレゼントしてくれたかも知れません。」
これなら幼い孫には受けるかもしれませんね。
「たとえば、たとえば」は、その昔、ヒットした渡辺真知子の曲名でした。現在、和歌山県田辺市でアライグマの駆除に取りくまれているSuzuさんの愛唱歌でしたね。恋の不安な気持ちを「たとえば」の仮定の中で繰り返し、思考実験をする歌詞には、現実を見極めたい心情が現れています。
今回はここまでです。ご愛読ありがとうございました。
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