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私のお気に入り 1 

これから、

「花粉と歴史ロマン」から離れて、さらに自由にこれまで気にしていたこと、気になること、お気に入りの物事を記録していこうと思います。

私のフットプリント、今回は、🔲(済州島)です。済州島に出かけた時、観光地の古い村に立ち寄った時、流暢な日本語で案内を受けた後に通されたお土産販売の部屋にチャングムの額がかけてありました。

1 自己肯定感を高めてくれたドラマ「チャングムの誓い」

 最初は、有名なドラマです。これまで再放送を録画して見てきました。
最近、ドラマのいくつかのセリフが気になり、思いをめぐらした結果、受け取れるものの一つに「自己肯定感」があるのではないか?と考えた次第です。
 歴史書の一節に示された、ご褒美をいただいた医女「大長今」からイメージされた、架空の物語。架空でありながら、登場人物のキャステインングの見事さというか、それぞれの顔立ちに表現される役柄との一致、意味深なセリフ回し、自然環境を具体的に捉えたドラマの進行が見事でした。役者陣の演技力はもちろん、脚本家と演出家の才能に驚かれたと思います。
 再放送を重ねるだけの味わいが、秘められている。「ひたむきに正義を貫く」その主人公を支える協力的な「人間社会」のあり方や、主人公を強くする試練には、多様な人物の存在が必要であり、それぞれの個性に対する「肯定感」があるように感じました。これは、他者に対する肯定だけでなく、自分にも備わっている資質(ずるさ、優しさ、愚かさ、醜さなど内面的なもの)を認める考え方です。
 いくら歳を重ねても、劣等感は消えませんし、新たな能力も身について来ません!誰か助けて!と悪夢を見るほどです。
 家の近くに、見つけました。キムチが美味しかった。コマスミダ!

昼は営業していません。

 それでは、主な登場人物から勝手に考察します。

2 チャングムのライバル?クミョン(ホン・リナ)

 王宮の炊事場(スラッカン)で長年にわたって君臨してきたチェ一族の将来を託されたチェ・グミョン(クミョン)です。チェ一族は、宮中の食事部門で実力を発揮してきた名門です。ただし、権力と富を手にした名門は、その立場を維持することが至上命題となり、人の道から外れることも厭わなくなったのです。
 少女時代のクミョンは、幼くして科挙試験に主席合格した秀才ミン・ジョンホに憧れていました。その報われない思いはドラマの最後まで続きます。
 このドラマの中で、悪人側にありながら主人公に近い自分に正直な人でした。それは、最後の最後になって、主人公(チャングム)との戦いに敗れて、宮中から出てゆくときの次のセリフに総括されます。
 別れ際に主人公のチャングムを呼び出し、
「渡すものがあるの」「お母様があなたに残した手紙よ」「叔母様に燃やせと言われたけれどもできなかった」「それが私よ」「一族の一員としては迷いがあり、だからと言って自分の意志も貫けない」「心から自分を信じられず、心から自戒することもない」「曇りのない才能もなく、曇りのない真心もない」「ひたむきに思われることもなく、ひたむきに恋に生きることもない」涙を滲ませながらも、涙をこぼさず宮中を去っていきました。(目尻の下がった女優ホン・リナさんの素顔はとても愛らしいのです。)自覚しているのに実践できないクミョン。共感できます。

 一方、主人公を演じたイ・ヨンエさんは容貌も格段の美しさで、何度も繰り返し襲ってくる困難を切り抜ける知性と運の強さを背景に、母と恩師に捧げる曇りない真心を強い意志で貫いていくのです。ですが、こんな人はいませんよね!
 むしろ、多様な脇役陣が見せる人間の醜さ、弱さ、卑劣さ、劣等感は、私たちを自己否定に導く共有する弱点ではないでしょうか? その意味でクミョンは主人公の裏返しです。追われる身でありながら正装のままの退出は、自戒する理性やひたむきに人を想う人格に敬意を示していたように思います。

3 チェ尚宮(キョン・ミリ)

 何度見ても、迫真の演技からくる悪行と言い訳を押し通そうとする傲慢さ、許せない思いは最後まで続くのですが、許せないはずなのに、最後の最後に自首を決意して山中を彷徨う時に、穏やかな表情に戻り、死地に向かう情景には哀れさが増してくる。それは、最後に自戒するセリフにありました。
 自分と対立してきたチャングムの母、同僚のハン尚宮と自分を置き換える仮定の問いにありました。一族の富と権力を守るために、幼い頃から一生独身生活を強いられる女官として宮中に入り、自分の人生を超えた目的を信じ、悪行さえも受け入れてしまった自分、個人としての人格は境遇によって変えられてしまうのではないか?という、自分の非を境遇に求める仮定です。自分のせいでは無い、環境が今の自分を作り上げたのだ。私もあなた方のような境遇で育てば、善良な人間になっていたのではないか?
 この仮定は、遺伝か教育か?氏より育ち?などなど、あるいはシュッバイツアー博士物語にあった逸話、幼少期に喧嘩して負かした相手から、「お前と同じような食べ物を食べていれば、負けやしない」と言い返された時の話も思い出しました。
 チェ尚宮も答えは出せませんでしたが、朦朧とした意識の中で子供の頃を振り返ります。子供の無邪気な遊びの中で、木の枝から手を離すことを促されつつ、友を信頼したことで、手を離す怖さを克服できたたこと、を断末魔の意識として持ちながら渓谷に落ちていきました。

4 オ・ギョモ大臣(チョ・ギョンハン)

 パワハラの権化のような、大きな体と声の持ち主です。男尊女卑・階級社会の中で大臣にまで上り詰めた人です。ドラマの中では巧妙に富を蓄積し、政敵には鋭い切れ味の論理で圧倒してしまいます。この役者さんも既に他界されているようですが、役者さんの世界では重鎮と評価されていたのではないでしょうか?
 当時の社会を律していた教養(儒教の影響?)を身につけながらも、影では規範のみを利用して悪事に手を染めてしまう。今も昔も変わらぬ政治家の姿を見ました。その彼も、最後に悪行が明白となった段階で、牛車で流刑地に運ばれる時、最悪の状況の中にも関わらず、往生際は堂々としていました。悪行を認めること、これが彼にとって最後にとりうる態度でしょうか?

5 王様(中宗チュンジュン:イム・ホ)

 権力の頂上にありながら、マザコンで親離れできない王様。部下の大臣からは、旧態依然とした規範を押し付けられ、束縛される。身近なはずの正室や側室にも、次代の後継問題から心を許せない。この、八方塞がりの境遇は、ドラマの終末段階でこぼした次のセリフに現れています。
「王座など望まなかった」「だが担ぎ上げた者たちは見返りを求め、余は従うしかなかった」「気がつけば人を殺めてばかりだ」「ある時は悔しさ」「ある時は怒りで夜を明かす」「だが余を一番苦しめるのは自責の念だ」「王の器ではないし、王として何の心得もない」「王の威厳を確立できずに自分を責める」
この叫ぶような自責、自己否定の極まり!
 これは救いようの無い状況かと思いきや、チャングムを身近に置きたいという、強烈な欲望がさらに追い打ちをかけてきます。どうすればいいのだろう?
 この問題は、チャングムの幸せを支えるために王の権力を行使することで間接的に昇華されたように思います。

6 自己肯定ばかりでは嘘になる

 年賀状の整理をしていたら、4円と5円のハガキ(小・中学校)、7円のハガキ(高校)がありました。内容はともかく、当時の13歳から15歳まで友達の顔が浮かんできます。色々な友達がいました。全ての友達との接触が糧となって今の自分にたどり着いたと思えます。
 幼稚な時代でも、しっかりした字で文章で支えてくれた優秀な人、冗談やおふざけ気分で書かれた年賀状、その全てが懐かしい!
 柔らかなゆりかごのような思い出、今でも蘇る過去。でも、あの当時、下町のスモッグを吸い、合成着色料の駄菓子を食べ、今、思えば清潔とは言えない環境にいました。その全てが今に繋がっているのです。過去の美化は、いけませんね。
次回は、ドラマの主な舞台となった済州島の自然について記します。

空港にて




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