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月夜の晩に、二人で

 私は時雨。一人寂しく暮らす鬼だ。
 鬼と言っても、姿が変わっているとかではまったくない。化けている姿とそうではない姿は、あまり見分けがつかないとよく言われる。
 さて。今夜は十三夜の栗名月である。だが、私の場合はただの月見はできない。
「やはり、ここで飲む酒は格別だな」
「……毎年思うんですが、なんでここなんです?」
 隣で猪口の酒を一息に飲み干すお方は、私の主であり、守護神でもある月読命だ。私は月読様と呼ばせていただいているが、本当は夜宮よのみや様と呼ばなければならない。
 だが、本人が望まないためこうなっている。
「構わんだろ? どうせ来ても来なくても、お前からの酒は毎年もらうのだから」
「一応、神酒なんですけど……」
 こんな呑んだくれのような方でも、一応日本の三貴神の一柱である。もてなしくらいはしっかりと……と、思っていても、この人はそんな私の姿勢すら崩してくる。
 深いため息を吐き、ふと大事なことに気づく。
「あの、月読様。貴方、高天原の宴はどうしたんです?」
「……いつも通り、ただ祝宴を催すだけだ。私がいなくとも、さして問題などない」
「ならば、いいのですが……佑樹が作ってくれたお団子、食べます?」
「もちろんだ」
「食い気味……」
 いつもは涼しい顔をして余裕そうなくせに、今は表情筋が緩み切ったそこらの呑んだくれのよう。
 こんな顔を他の誰かに見られでもしたら、神としてのメンツは丸潰れである。
「今持ってきますので、お待ち下さい」
 呆れながら厨房へ行くと、ちょうど料理担当の佑樹が出てくるところだった。
「早々に団子?」
「うん。今取りに来たところ」
「なら俺が持っていく。戻っててもいいよ」
「え、でも……」
「大丈夫。俺もあの人に話したいことあるし、ちょうどいいよ」
「そう? なら、お願いしよっかな」
 彼は私がこの屋敷に住まうようになってから、月読様の配慮で派遣された配下だ。なぜなら私は料理が壊滅的に下手だからである。
 彼がいなければ、おそらく私の生活は大変なことになっているだろう。
(頭が上がらないなぁ……佑樹にも、あの方にも)
 なぜか、こんな美しい月夜には素直になって甘えたくなってしまう。
 かつてに、過去の日々に、戻されるようだ。
「先に行っててよかったのに」
「別にいいでしょう? 同じところに行くんだから」
 そうして話しながら戻ると、月読様が杯を傾けている最中だった。
「今夜は、進みが早いですね」
「そうか? いつもこのくらいだろう。お前も似たようなものだしのう」
「私はちゃんと加減をしています。一応、自分がザルなのは知っているつもりですし」
「そこはお二人とも自覚があったんですね」
 佑樹の冷静なツッコミが入るも、月読様はまったく気にする様子もなく酒を仰いでいる。
 軽く息を吐いた佑樹は、なぜかふざけ出した。
「さて、夜宮よのみや様。お久しぶりですね。どうせ仕事も、厄介な神とのやり取りも全て放り投げてきたんでしょうね」
「はぁ? 失礼なやつめ。これでも仕事は片付けたぞ」
「仕事は、ですよね。宴会を抜けてきたのは、時雨に会いたいたかっただけでしょ」
「それは言うでない」
「事実を言ったまでです」
 あまりに淡々と進む言い合いは、私が口を挟む暇を与えなかった。
 二人のやりとりをただ見つめていると、急に真剣な話をし出す。
「ボクの赴任延長、お願いできます?」
「あぁ。というか、時雨がここにいる限り、お前の任を移すことはない。確認などいらぬだろう」
「そりゃそうですが……こうして毎年、確認も兼ねて話をしておかなければいけないかな、と思いまして。貴方、忘れっぽいんで」
「おい」
 ギリギリ喧嘩腰になりそうでならない。そんな言葉の投げ合いだったが、とうとうツッコミを抑えられなかった。
「本当に仲がいいですよね」
「「よくない(です)」」
「……」
 本当に仲のいい主従だと、心から思った。なのに、どこか……寂しかった。
(……なんでだろうなぁ)
 話を続ける二人に、この感情を悟られぬよう、私は酒を煽った。
 すると、佑樹が突然話を切り上げてしまった。
「そろそろお邪魔みたいですので、俺はこれで」
「ん? なんだ、急に」
「別に。では、おやすみなさい」
「あぁ」
「おやすみ〜。今日もありがとね」
 私は至って普通に笑う。
「いえいえ。俺の仕事ですから。飲み過ぎにはご注意を」
 微笑を浮かべ、佑樹はそのまま部屋に戻って行った。
「なんだったんだ……?」
「さぁ? たまに含みを持たせた言動をしますし、特に気にしなくてもいいのでは?」
「……ここ数日、何かあったのか?」
「……何も、ないですよ」
 思わず、言葉に詰まってしまった。
 月読様は少しばかり呆れた様子でため息をついた。
「なんだ。また何かに首を突っ込んだのか」
「……違います。私、何も話していないのに、なんで何かあるって分かるんです?」
「そういう表情をしていたからだ。……本当に何もないのか」
「……」
「せっかくの酒の席だ。不満も鬱憤も、何もかも吐き出せばよかろう」
 また胡散臭い笑みを浮かべ、こちらを見た。
 まるで、甘えるのが不得意な子供をあやすように。
「あなたはずるいです」
「ずるいとはなんだ。私がお前を気にかけるのは、今に始まったことではあるまい。それで、何かあったのか」
 本当にずるい。胡散臭い顔になったと思ったら、今度はとても穏やかで優しい顔をする。だからいつも、甘えてしまうんだ。
「……少し、ここが静かになりまして」
「誰も来ないのか」
「来ますよ? あなたとか、他にも酒飲み仲間とか。昔馴染みはよく来ます……でも、どうしても静かなのが……気になるんです」
 この屋敷には、なぜかいろいろな者が来る。自分でも理由が分からないのに、いろいろな者がやってくる。それでも、どこか寂しい。
 妙な寂しさの理由は本当に分からないし、思い当たることもない。
「どうして、なんでしょうか」
「……それは、お前の性格ゆえの悩みだろうな。気づいておるか? お前は元来、寂しがり屋だと」
「……気づきたくなかったです。でも、嫌というほど思い知りました」
「だが、その悩みは近々解決するぞ」
 あっけらかんと、この方は言った。
「はい?」
 こちとら、いつも悩んでいるというのに。
「新たな出会いがある、ということだ。その子らはおそらく、お前の残りの時間を彩るものになる。……次にこうして酒の席を設けた時は、おそらく笑っているだろうさ」
 月読様は、笑っている。あの穏やかで、優しい笑みを私に向けていた。
 グッと来たものを隠すように、猪口を傾ける。
「なんですか? それ。でも……一応信じます」
「一応、か……複雑だな」
 そう言って、月読様はお団子を頬張った。
 またやってしまった、そう思った時には既に遅し。弱音を吐くときは、いつもこの方がいる時だけだ。
 自分に呆れて、軽くため息を吐く。
「……あなた相手だと、どうしても甘えてしまいます。これも悩みの一つです」
「何を言うか。私はお前を甘やかすために、ここに来ているようなものだぞ? 私が大切だと思える者は、もうお前くらいしかおらぬからの」
「それはそれでどうなんです?」
「まぁ、これくらいがちょうどいいのだろうな。ほどよく楽しい、それがいいのだ」
 笑っていながら、どこか遠いモノを見つめるような月読様。
 本来、神とは孤高の存在だ。こうして、私のような鬼が隣に座っていいお方ではない。
 それでも、この方が望むのなら。そう思うのは、私がこのヒトに心酔しているからだろうか。

 鬼と神の、奇妙な酒の席。話す間も夜は更けて。
 美しい栗名月のみが、彼らを見つめていた。



 一年後ーー……。

「茜! 渚! 今日だけは帰りなさい!」
「「はぁーい」」
「来るならば明日の昼以降。いいね?」
「分かってるよ〜」
「そこは理解してる」 
 あの方の言う通りかもしれない。あの栗名月の夜から、私は明らかに変わった。
 それは、この賑やかな二人がいるからだ。

 その日の夜ーー……

「言った通りだな」
「何がです?」
「今のお前は……とても楽しそうだぞ?」
「……だとしたら、あの二人とあなたのおかげです。月読様」



 いつでも私は、あなたの隣で酒を飲む。
 あなたが私の暗黒の旅路を照らす、月の光だから。
 あなたが、私を甘やかしてくれるから。

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