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『南から来た男』 クリストファー・クロス

 時は1980年。ちょうどロックも時代の曲がり角にさしかかっていた時分のことだ。
なぜなら、この年、レッドツェッペリンのジョン・ボーナムは死亡し、バンドは後に解散を表明したし、ディープパープルはリッチー・ブラックモアの脱退が響いて人気は低迷し、解散(1976)。エアロスミスに至っては、看板ギタリストのジョー・ペリーの脱退が響き、発表されたアルバムは酷評。時代錯誤のハードロックと揶揄され、メンバーはドラッグ漬の日々だったとか。
 世界中の音楽界はテクノが席巻し、ポリスやエルビス・コステロといったニューウェイヴの時代に移っていった。アメリカの歌姫であるリンダ・ロンシュタットやポール・マッカートニーでさえ、ニューウェイヴの波に飲まれた。そして、リズムマシーンと打ち込みの時代に突入し、ドラマーは失業して行ったのだ。
 無味乾燥なリズムは、新しい時代を表現したかもしれないが、僕の耳には平坦な音の繰り返しに過ぎなかった。そんな時代に敢えてソフトロックの範疇から一人アーティストがデビューを飾った。

 クリストファー・クロス。
デビューアルバムは、『CHRISTOPHER CROSS』(1980)邦題:南から来た男。
 大物ゲストの参加で話題になった新人のデビューであった。ギター・ソロにラリー・カールトン、ジェイ・グレイドンなど。コーラスでは、ニコレット・ラーソン、マイケル・マクドナルド、ヴァレリー・カーター、ドン・ヘンリー&J・D・サウザー・・・。
 プロデューサーがエア・プレイ系でなく M・オマーティアンというのも意外だった。
但し、参加メンバーの名前を見るだけで、音が聴こえてくるようだが、一番驚いたことは、C・クロスの歌声だ。風貌とは似つかない声が意外性を生んだ。頭髪の薄いちょっと太った年齢不詳の男がいきなりボーイソプラノで爽やかに歌い、ひとたびギターを弾き始めれば、バリバリ弾きだす。意外性の連続であった。
 当時の最先端だったアクティブ・ピックアップEMGを搭載したバレー・アーツのギターで速弾きを決める。ちょっと出たお腹にギターを乗せ、弾きまくる。C・クロスは、バークレー卒業ということもあり、ギターの腕前も基礎に忠実な運指を見せた。スタイル的にはちっとも格好良くないのだが、ついついMTVでは、彼の姿(指)を見入ってしまう。
 
 このアルバムは、グラミー賞でロックやフォーク、ジャズ、クラシックなどのカテゴリー枠を超えた全ジャンルの作品が対象である「最優秀レコード」、「最優秀アルバム」、「最優秀ソング」、「最優秀新人」の主要4部門を総なめにしてしまった。1958年からはじまるグラミー賞の長い歴史の中でその4部門を独占したアーティストはクリストファー・クロスだけである。

 僕はこのアルバムを聴くたびに、あの頃の時代を感じるのだ。アレンジや曲調ははっきり言って驚くほどスタンダード。奇をてらったものは無く、むしろ正統派のAORである。その作品がニューウェイヴの中で輝いていたのかな、と。カミソリのような鋭いビートが街にあふれる中、落ち着いたポップスが人々の安息の地になったのか・・・。
 このアルバムの後、C・クロスは映画《ミスター・アーサー》のテーマソング「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」をヒットさせ、これは日本でも大ヒットした。

 僕は1986年の彼のライブに行ったことがあるが、相変わらずの美声がよみうりランド・イーストの野外ステージから夏の夕空に溶けていく。目を閉じて聴くと心地よいが、どうもあの風貌で歌われてもなぁ、なんて思ってライブを観ていたが、ステージにかける真面目な姿勢には好感が持てた。
 ラストソングの「Ride Like The Wind」では、ギターが壊れるんじゃないかと思うほど弾きまくっていたが、体をのけぞらせていても運指はクラシックギターのようにしっかりしていた。
 野外コンサートの開放的な雰囲気でもけっして取り乱すこと無く、収まりの良いショーだった。
因みにカップリングでその後登場したグレン・フライのライブのほうが、大味に感じた。
同じアメリカ人でこうも違うか、といった感じ。

 最近、C・クロスの話題を耳にしないが、元気に歌っているんだろうか。相変わらず太っているんだろうか。

2006年12月8日
花形

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