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「オリジナル・アルバム・シリーズ フォリナー」 フォリナー

 この「オリジナル・アルバム・シリーズ」は良かった。レコードでは所有しているが、車の中でちょっと聴きたい時はCDという媒体になるわけで、全てを揃え直すのも躊躇していた時に登場したからだ。
amazonで買いまくった記憶がある。
また、この企画やって欲しいなぁ。
2024年2月


 ライノがアッパー40に向けたロックエイジへの叩き売り企画であるオリジナル・アルバム・シリーズ。70年代や80年代の名盤を紙ジャケに無造作に突っ込んでBOXセットで販売。その価格が2,000円台という破格の安さ!もう、CDというメディアの終焉を予測したレコードメーカー側の最後の儲けどころとしか言いようがない企画なのだ。
 サイモン&ガーファンクル、イーグルス、キャロル・キング(この企画は泣かせる。なんと「タペストリー」を除くその近辺で発表されたアルバム5枚組。もちろん「タペストリー」みんな持っているよね的な配慮なのねん)、ブルース・スプリングスティーン、ボズ・スキャッグス、ジャーニー、ジョニ・ミッチェルに至っては10枚組で2,887円!1枚287円ですよ。もうこれはダウンロードミュージックに対する最後の反撃てな感じか。
 さて、今回取り上げるアルバムはそんな中「即買い」してしまったフォリナーのBOXである。1枚目の『Foreigner』(1977)から5枚目の『Agent Provocateur』(1985)までのアルバムが紙ジャケで収録。洋盤なので歌詞カードなんてついていないが、1枚1枚楽しみにして購入していた中学、高校のあの頃のLPが5枚で1,982円という価格(ちょっと寂しい気持ちになった)。

 こういったライノのBOXシリーズは、昔アナログで所有していた人が再度聞いてみようという気にさせるための企画であり、アナログ盤のライナーなどを眺めながらこのCDを聞くというのが効果的なのかもしれない。昔、レコードが購入できず、テープでしか持ってなかったという人もいるだろう。ま、聞き方は買った人にそれぞれお任せするとして、音楽に罪は無いのでスピーカーからは当時の音ががんがん響き渡る。ミック・ジョーンズの古臭いフレーズやルー・グラムの泣き節。イアン・マクドナルドのアナログシンセに時代を感じるが、もう35年も前のことだから仕方ないか。

 私の中学高校時代、フォリナーはもっとも売れていたバンドの一つで、うるさがたの音楽評論家たちからは「産業ロック」と揶揄されていた。しかし、当時の私には「それがどうした」と不思議な気分で聞いていた記憶がある。売れる前が良かったとか、売れたら迎合しているとか、そんな声はどうでもよくて、聞き手の気持ちひとつなんじゃねぇの心の中で叫びながら聞いていた思い出がある。
確かにまだあの頃はプロモーションビデオも無く、「ベストヒットUSA」も無かった。洋楽はよっぽどヒットしなければお茶の間まで届かない音楽だったのだ。
しかし、そんな中フォリナーは突然やってきたのだ。
当時の洋楽音楽雑誌といえば「ミュージックライフ」か「ロッキングオン」なのだが、確か「ミュージックライフ」が大々的に取り上げており、私も中学生ながらちょっと興奮したものだった。
“クリムゾンのイアン・マクドナルドがスプーキートゥのミック・ジョーンズとニューグループ結成!”なんてデカデカと掲載されていたのだ。しかもその佇まいはイギリス、アメリカ混成のバンドとは言いつつも限りなくイギリスに近く、ファーストのアルバムのジャケットデザインもヨーロッパのギルド職人の集まりのような雰囲気だったのだ。

 当時流行していた他のバンドはキッスが火を噴きながら「ラブガーン」と叫んでいたり、エアロは「ドローザライン」で腰をくねらせていた。ボストンはファーストからの流れを組んだ「ドントルックバック」をワンパターンリズムフィルで大ヒットさせていたっけ。フレディはちょうど伝説のチャンピオンに輝いた頃だ。片や日本では中島みゆきが「道に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか」という恐ろしい情景描写を歌にしてヒットを飛ばしていたあの頃、フォリナーは「Cold as Ice」の印象的なピアノイントロで鮮烈なデビューを飾ったのだ。キッスやエアロが悪いわけではない。ちょうど売れ始めたチープトリックなんてものあったし、下着姿で股を広げながら「チェリーボム!」と叫んだお嬢さんもいたが、フォリナーと比べるとみんな子供っぽく見えたのだ。
中学生の分際でまだ大人の恋愛も知らない僕がフォリナーのファーストで大人っぽくなったのだね、きっと。
だって「Cold as Ice」を「つめたいお前」と訳すその感覚。中学生の私は痺れたねぇ。

 さて、僕の中学校の文化祭。クラスの出し物は「ロック喫茶」だった。ロック好きの友人数人が家から何枚もレコードを持ってくる。事前にアメリカン系、ブリティッシュ系と打ち合わせを行ない、ダブらないようにしていたはずだったが、フォリナーのファーストとセカンドアルバムの『Double Vision』(1978)は4枚もだぶってしまった。みんなフォリナーにいかれていたのだ。

ダブルビジョン



2013年6月21日
花形

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