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『元気です。』 よしだたくろう


 1972年7月21日に発表されたこのアルバムは、アルバム・チャートの第1位を13週連続で独占した。前作の『人間なんて』に収録された「結婚しようよ」と本作収録の「旅の宿」のヒット、そしてこの『元気です。』のビッグ・セールスによりテレビというメディアを使わなくてもヒット曲は生まれるということが証明され、フォークソングが広く世間に認知されることになったいわくつきのアルバムである。
なぜなら、一様にフォークシンガーはTVに出演することが無く、ラジオの世界で生きており、テレビ=ヒット=体制といった図式がフォークファンには刷り込まれており、フォークが売れるなんて誰も思っていなかったのだ。フォークファンのコアは学生運動に疲れ、反体制を声高に訴えていた。

 横顔の大写しのモノクロジャケットからは、やる気や高揚感がみなぎるといった雰囲気は微塵も感じられない。うつろな瞳とぼてっとした唇は、どこか不満気な表情だ。これは当時の音楽業界へのフラストレーションやフォークソングに対する世間のとらえ方、レコードセールスが良いと「裏切り者」扱いされるフォークファンなど、たくろうには様々な疑問があり、それが表情に表れているようだ。
 しかし、レコードに針を落とすと、そこには屈託の無いよしだたくろうの世界が広がる。
1曲目の「春だったね」の軽快なメロディとリズムが、これから始まるたくろうワールドのイントロとして耳に残る。字余りでたくろう独特の歌いまわしは、それまでのフォークや歌謡曲には無いものだ。
(くもりぃいガラスのぉ、まあどをたたいてぇ、きみのぉ時計をとめてぇみたい・・・)なんて歌うアーティストはそれまでいなかった。きれいなコーラスとIVYルックで歌っていたカレッジフォークのシンガーはきっと眉をひそめたに違いない。しかし、そんなノリの歌のあとに「せんこう花火」や「夏休み」などといった叙情的な作品も並ぶ。「加川良の手紙」「馬」のようなコミカルな歌。「親切」「まにあうかもしれない」「祭りのあと」「ガラスの言葉」のような内省的な歌など、15曲の歌たちはどれも外す事は出来ない。
 バッキングも松任谷正隆中心に、林立夫、後藤次利、小原礼、猫のメンバーなど実力派や石川鷹彦が「リンゴ」「旅の宿」「高円寺」などフォークギターの弾き語りの王道を、印象深いフレーズで構築している。マーチンD18の乾いた音が、70年代アコースティックサウンドのスタンダードになった瞬間である。

 たくろうは自身のライナーノーツで、
「もうフォークなんて関係ない。俺は俺だ。「帰れ!」なんて言ってはいけない。自分の歌を歌うだけだ・・・」
フォークファンに向けてこのようなニュアンスの言葉を綴っている。「結婚しようよ」「旅の宿」のヒットで、一躍有名になったことが一部のフォークファンから攻撃を受けた。ヒットすることは体制側に回ったとされ、「ザ・芸能界」に神聖なるフォークが乗っ取られてしまうという妄想(かつてのGSブームの衰退を想起)をたくろうに見てしまったのだ。
しかし、その後ある事件をきっかけにたくろうバッシングはコアなフォークファンからマスコミへ移行することになる。
音楽と関係ないところで彼のとりまく環境が激変し、巻き込まれることになるが、それにしてはあまりにも大きな傷を追うことになる。この件について詳しく書いてもこのアルバム『元気です。』には関係ないので割愛するが、要は有名税としては高く付いたということ(金沢事件)。
そんなことより、たくろう当人としては大嫌いなフォークソング(どちらかというとフォークファン)というブームの中で一番コアな作品を作り上げたこと。そしてこのアルバムを境に、その後メインストリートを30年以上も駆け抜けることとなる。そういう意味でいくと『元気です。』は、たくろうの代表アルバムであり、拓郎は嫌うがフォークソングの代表アルバムという言い方もできるのではないか。

日本の軽音楽の歴史的アルバムの1枚である。

2005年6月14日
花形

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