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私的吉田拓郎史(小学生編1971~1977)

 少年マガジンを愛読していた小学校時代。「あしたのジョー」や「天才バカボン」が好きな漫画だった。漫画を読み終え、最後のページを開くと、いつもと違うページがそこにあった。カラー刷りのイラストが描かれており、「最新ヒット曲」という文字。少年マガジンではあまり見ることの無いタッチの絵が描かれていたのだ。
 小学2年生の僕は違和感を覚えた。池田理代子や里中満智子の描く少女マンガのようなそのイラストは、白い服を着た男女が笑顔で教会にいる図。文字は「結婚しようよ」とあり、イラストの下部に「僕の髪が肩までのびて、君と同じになったら・・・よしだたくろう」とある。
なんじゃ、これ?という印象。これが最初の吉田拓郎との出会いだ。
では、なぜ7歳の時の記憶が鮮明に残っているかというと、この絵を見ていた時に親が流していたラジオから偶然にもこの「結婚しようよ」がオンエアされたからなのだ。だから、目の前の文字と耳から入る音楽がシンクロし、今まで聴いたことのない音楽の出会いがそこに生まれたのだ。
 それまでは、親と見る歌謡番組でしか歌なんて聴いたことがないわけで、五木ひろしや森進一、アイドル歌手でもせいぜいフォーリーブス。そんな中、「結婚しようよ」の自由な歌唱は子供ながらに心をときめかせたのだ。
「よしだたくろう」。ひらがなだから小学2年生でも読むことが出来た。

 それから時が過ぎ、親とテレビを観ていた時、拓郎がテレビに出たのだ。「ベスト30歌謡曲」という音楽番組を観ていた時のこと。画面上手側に長髪の男がギターを抱えて座っている。画面のテロップには「よしだたくろう」。そして下手側にも長髪の男がギターを抱えて座っていて、テロップは「かまやつひろし」。2人とも小学3年生でも読める歌手だった。真ん中には漢字表記の「南沙織」(でも南沙織は知っていた)。そして、南沙織のために書いたという「シンシア」という曲を2人が歌い出した。初めて見る動く拓郎。郷ひろみや西城秀樹が人気爆発している時に、妙に落ち着いたかっこいい兄ちゃん。そんな印象だった。
(ちなみにこの時の演奏は愛奴で、ドラムは浜田省吾)

 この動く拓郎を見てなんだかわからないけど確信に変わったんだよね。最初に歌謡曲以外で好きになった軽音楽のミュージシャンが拓郎だから、もう親も同然なわけ。そういえば、さっきの少年マガジンの中の天才バカボンで、こういうやり取りがあったのを思い出した。

「やぁやぁメシダタカロウ君、あいかわらずしみったれた顔をしてるねぇ」
「あ~パパ・・・腹がへってて・・」
バカボンのパパは相変わらずのあの表情。そこへチューリップハットを被り、ベルボトムのGパンに下駄を履いた長髪の男がふらふらと現れたシーン。
多分、こんなシーンだった。
小学2年生の時の僕はその意味が良くわからなかったが、テレビの中の拓郎を見て、そうか、メシダタカロウは赤塚不二夫の描いたよしだたくろうを駄洒落で表現した笑いだったと思い出したのだ。
当時は笑えなかったが、動く拓郎で蘇ったシーンである。

 それからもう一つ。後から意味がわかったエピソード。
森進一が「襟裳岬」でレコード大賞を獲った。授与式でタキシードで臨む他の受賞者をおいて、拓郎は普段着のGジャンにGパンで現れ、みんなを驚かせた。司会者の高橋敬三も驚いていた。そんなシーンで母親が「いろいろあったからね、拓郎は。反抗してるんだよ、あれは。」と言ったのだ。
僕の好きな吉田拓郎に母親がテレビを見ながら言った言葉の意味。その意味を尋ねても答えてくれなかった母親。その時はよくわからないまま、過ぎてしまった。

1974年レコード大賞


 その後、僕は貪欲に拓郎を追い始め、親戚の姉さんたちから音楽雑誌やレコードを借りまくりどっぷりと音楽の世界に浸かっていった。
母親の言葉の意味・・・多分それは拓郎が1973年に巻き込まれた「金沢事件」(注1)でのマスコミ不信を思ってのことだろうと後々僕は思料した。

 小学4年の頃、日本テレビで「俺たちの勲章」という刑事ドラマが始まった。主演は松田優作と中村雅俊。破天荒な刑事ドラマで、その後の「あぶない刑事」の基礎となった作品ではないだろうか。
このドラマの音楽担当が吉田拓郎だった。この1975年あたりを境によしだたくろうから吉田拓郎に名前も変化したのだが、テレビ画面のテロップで漢字表記が出ても僕はもう読める歳になっていた。
学校で「俺たちの勲章」は人気のドラマで、優作派か雅俊派に分かれてよく刑事ドラマごっこをしていた。僕は2人とも好きだったのだが、そんなことより音楽の吉田拓郎って知っているか、と聞いても誰も知らなかったので、がっかりした記憶しかない。

 小学6年のある日、親戚のお姉さんの家に遊びに行くと発売されたばかりのアルバム「明日に向かって走れ」がそこにあった。
お姉さんに感想を聞くと、「なんか、暗いんだよね。去年のつま恋で燃え尽きたのかな。でもって、フォーライフなんて作っちゃって大変なんじゃないの。なんか、CBSの頃の方がパンチがあったよね。タイトル曲だって歌詞は威勢がいいんだけどメロディーが寂しいのよ。そこへ行くと、こうせつのソロは良いね~」なんて言う。
確かに全体を通して暗い。だけど、僕の好きな拓郎だっていろいろあるんだろうなんて考えながら、聞いていた。(注2)

 小学校を卒業する時、周りはピンクレディー一色だった。僕はキャンディーズ。なぜなら拓郎が曲を書いていたから。そして、拓郎なりに解散するキャンディーズにエールを贈る歌をセルフカバーしていたから。「アン・ドゥ・トロワ(ばいばいキャンディーズ)」。

1975年 つま恋

 1975年のつま恋オールナイトコンサートは、参加した親戚のお姉さんから聞いた。とにかくすごいコンサートだったと。そんな生の拓郎が見たいとお姉さんに言うと、もうすぐ中学に上がるんだから、その時は一緒に行こうよと言われ、夢見る日々が続くのだった。
しかし、拓郎がフォーライフレコードの社長に就任してしまい、コンサートの本数が極端に減ってしまったので、この約束も叶うことがなかった。

初めて見たものを親と思うひな鳥のような感覚で拓郎を追い始めた小学校時代。親戚のお姉さんが案内人のように僕の音楽観を導いてくれたから、学校でたった一人の拓郎信者でもいられたのだと思う。

あ、唯一分かり合えた人を思い出した。
小学校の時の音楽のS先生。矢沢永吉が好きで、放課後の音楽室でその時発表されたばかりのアルバム『A DAY』と拓郎の『今はまだ人生を語らず』を聴いて、「お互い広島じゃ!」なんて言って笑い合ったことがあったな。
 それも良い思い出。
以上

2019/8/15 

花形

(注1)新六文銭(吉田拓郎、小室等、チト河内、柳田ヒロ、後藤次利)の金沢公演のあと、ファンの女性の狂言により拓郎が婦女暴行罪として逮捕されたもの。真相は拓郎ファンの女性が遅くまで拓郎らと飲んでいたが、深夜となり彼氏や親からの叱責を恐れたことで拓郎に無理やり部屋に監禁されたと狂言したもの。
 それまでの拓郎は、でっちあげの記事やプライバシー侵害を声高に叫び一部を除くマスコミとは敵対関係にあったため、この事件にはどのマスコミも飛びつき、拓郎を糾弾した。しかし、拓郎が金沢にて拘留期間中に女性が起訴を取り下げたため、不起訴処分となり収束。しかし、拓郎の汚名を返上する記事を載せるマスコミは1社もなかったと言う。


(注2)「明日に向かって走れ」が何故暗いか。それは多分に1回目の離婚によるものであると思料する。子供との別れもあり、思い悩んでいたに違いない。また、浅田美代子の存在も面白ろおかしく報じられた。拓郎はレギュラー番組であったオールナイトニッポンの生放送中に離婚発表を唐突に行い、自分の言葉で聴取者に訴えた。それはマスコミを介在することなく、曲がって報じられることを嫌ってのことで(あることないこと書きやがって、あんたら地獄にいくからな!はラジオから聴こえたとき僕も怖くなったものだった)、マスコミにしてみれば、面白くない話であり、再びバッシングを受けることになる。そんな時期に制作したアルバムなので明るいはずが無い。




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