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『Denim』 竹内まりや

 2007年に発表された時に書いたエッセイ。
山下達郎がプロデュースする竹内まりやの作品については、それまであまり良い印象が無かった。達郎カラーが出過ぎてしまい、デビュー当時のポップス感が薄くなった気がしたからだ。勿論、竹内まりやが望む味変だったらそれはそれで良いかもしれないが、私は女版の達郎を聴いている感じがした。
しかし、この作品は違った。
2024年3月

 日本の軽音楽、特にロックとカテゴライズされる音楽について歴史は非常に浅い。それはGSブームの終焉とそれに続く新たな日本のロックが、せいぜい1965年から1970年にかけての出来事で、商業的には全くといっていいほど認知されていなかったからだ。
 これがポップスになるともう少し歴史は長くなる。洋楽の焼き直しが主流だった日本のポップスは、1958年から1971年まで続いた日劇ウェスタンカーニバルがその歴史を紐解いてくれる。
コニー・フランシスやリトル・エヴァなどの曲に日本語の歌詞をのせて歌ったことが、日本ポップスの黎明期の事象である。テレビでも<夢で逢いましょう>や<シャボン玉ホリデー>を欠かさず見ていた世代が現在の50歳アッパーだ。その世代の中で今でも第一線で作品を発表し続ける竹内まりやが6年ぶりの新作を発表した。

『Denim』(2007)である。(2007年5月23日発売)
 彼女は古くからある日本のポップスを上手く継承しているポップス・シンガーである。自分のスタイルを変えず、洋楽・邦楽問わず畏敬の念を持ちながら自分のオリジナリティでカバー曲を発表する。もちろん彼女のオリジナルもアメリカン・ポップスやヨーロピアンなテイストを上手く浄化し「竹内まりや」というジャンルとして確立されたものである。

 今回の竹内まりやの新作は、今までの彼女の集大成とも言える出来ではないだろうか。特にまりや自身が50歳を数え、人生を振り返り始めた大人のポップスを真正面から訴えかけてくれることが、ここにきて新たな音楽の幅を広げたようにも思えるからだ。
世代交代や2007年問題(団塊の世代のリタイヤ時期に抱える諸問題)を抱える日本の中で、同世代に対しこれほど前向きな音楽作品を投じた竹内まりやに拍手を送りたい。
 拓郎や陽水が20代の頃、人生を語る歌を歌い、それに鼓舞され元気付けられたことはそれで成立するもの。しかし、20代や30代では理解できなかった歌が、この歳になって初めてうなづける瞬間もある。それをロックやフォークのようなメッセージ色の強い音楽性ではなく、ポップスとしてサラリと歌いきってしまう『Denim』は、非常に意味深い作品だ。
 アルバムの曲順もこれ以外考えられないというくらいの完成度。1曲目から洋楽ビッグバンドのスタンダードで竹内まりやの世界にいきなり引き込まれる。2曲目からはオリジナルが並び、そこかしこに重い言葉がちりばめられ、軽快なポップスに踊る。
 最初のヤマは、7曲目の「Never Cry Butterfly」である。6曲目「哀しい恋人」の無機質なデジタルサウンドから一転しバンドサウンドで歌い上げる。もともとはピカデリーサーカス(杉真理、伊豆田洋之、上田雅利、風祭東、松尾清憲を中心としたバンド。ビートルズに影響を受けたメンバーなのでサウンドはブリティッシュ・ポップ)が1999年に発表した作品。竹内まりやはこの曲を聴いたとき、「私が歌う曲」と確信したという。それくらい彼女自身が気に入った曲だ。歌詞の中性的な表現が、竹内まりやの中域のヴォーカルに見事にマッチしている。また、演奏もピカデリーサーカスが担当しているのでバンドのグルーヴがそのまま伝わり、躍動感に溢れている。

 そしてこのアルバムの肝は12曲目の「人生の扉」である。人が歳を重ね、それぞれの生き方をデニムの色あせとオーバーラップしながら歌い上げる。歳を重ねる不安は誰でも持つものであるが、いくつになってもその歳を受け入れ、前向きに生きることを支えてくれる歌である。もし、センチメンタル・シティ・ロマンスの奏でるカントリー調のサウンドが郷愁の音に聴こえたら、このアルバムを受け入れた証となるだろう。3拍子の歌は中々最近では珍しく、ヒット曲の類いではまず見る事は無い。しかし、この作品を聴いてテーマを持った歌に響くリズムだと改めて感じた。

 竹内まりやのプロデューサーは、周知の通り山下達郎である。今までの彼女のアルバムのほとんどを手がけ、時には達郎のコーラスも相まって誰のアルバムだかわからない時もあったが、今回は非常にバランスの取れた仕上がりになっている。
そんな訳で、私にとって『Denim』は、MOONレーベルにおける竹内まりやのベストアルバムである。

2007年5月24日
花形

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