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元伊勢、高天原シリーズもいよいよ佳境へ

トップ写真 天岩戸別八倉比米神社拝殿


筋金入りの曖昧気質の原因


以前も書いたのですが、日本古代史の闇。
未だに邪馬台国論争は決着していません。

魏志など、外国の記録。
記紀他、日本の記録。
双方の文献に矛盾点が多い。

照らし合わそうとしても、
年代、人物名、地名他、
つじつまが合わない場面が多いから。

どちらかが正しいのか。
どちらかが嘘を書いているのか。
どちらも正しいのか。
どちらとも間違っているのか。

プロの学者先生が、長年研究しても
出せない結論。
私のような素人に解明できるわけはありません。

日本に残る最古の記録。
古事記、日本書紀。
作製した人が、
なんらかの意図で、
国の起こりに関することを明確に示さず、
あえて、うやむやにしたのかもしれません。

古事記イメージ

隠さなければならない理由があったか。
それとも、ただなんとなくそうしたのか。

現代を生きる私たちには分かりませんが、
うやむやあいまい
外国人から理解しにくい日本人像。

記紀は、
現代も続く日本人の気質に、
大きな影響を残しているのかもしれませんね。

天岩戸別八倉比米神社

さて、いよいよ、
昨年末から続きで書いてきた、
元伊勢、高天原はどこかシリーズ。
一旦、締めさせていただこうと思います。
noteは続けますが。

悲願寺という寺もご紹介したかったのですが、
(卑弥呼が居た場所、卑弥呼の最初の塚説)
春が来るまで、道が通行止め。
取材に行けないので、
またいつかご紹介させていただくとして、

高天原、元伊勢シリーズの最後を飾る神社。
天岩戸別八倉比米神社。
(あめのいわとわけやぐらひめ)

徳島県の一之宮を調べると、
鳴門にある大麻比古神社が出て来ます。

阿波一之宮大麻比古神社 雨の日


しかしながら、
この天岩戸別八倉比米神社。
徳島にある神社の中だけでなく、
全国的にみても、かなり位の高い神社です。
延喜式大社。

あまり表に出て来ないのが、
なんらかの意図を感じてしまうくらい。
最近はテレビ取材も入り、
バラエティ番組などで
観られた方もいるかもしれません。

卑弥呼と天照大御神は同一人物


神社についてご紹介する前に、
古代史阿波説についてお話しますと、

阿波説といってもいくつかの流派があります。
全体の主張が一致するわけでもないのですが、

邪馬台国の女王、卑弥呼。
邪馬壹国(やまとこく)
邪馬壱国(やまいちこく)
諸説あり。

高天原を統治した天照大御神。
実はこのお二方は同じ人物。(あえて人物)

えッ?
どういうこと?

そうなりますよね~。
つまり、
卑弥呼と天照大御神は呼び方違うだけで、
同一人物である。

というのが多くの阿波説なのです。

混乱した読者の皆さん。
それは当然のこと。

だって記録に残された年代が、
大きくかけ離れていますもんね。

卑弥呼は約1800年前の弥生時代頃。

天照大御神はというと、
神武天皇が即位されたのが約2680年前。
神武天皇の父がウガヤフキアエズ。
ウガヤフキアエズの父が山幸彦。
山幸彦の父が天孫降臨したニニギノミコト。
ニニギノミコトのおばあちゃんが天照大御神。

通説ではそういうことになっているので、
この年代の矛盾は、到底受け入れられない!

そうなりますよね。
私もそうでしたので、

まあ、こいつは頭がおかしい。
かわいそうなやつだ。
でも面白そうだから・・・

そんな感じで読んでいただけたら。

長生きだった初期の天皇


皆さんも、古代史の年代については、
思うところがおありかと思います。

初期の頃の天皇の寿命。
長すぎひんか!
今ならギネスに余裕で載るくらい長生き。

昔の天皇は霊力を兼ね備えていたから。
100年、200年くらいは生きられた。
いやいや、その頃の天皇は神様だから。
いや?
神様だったら死なないよな~?

私の頭の中はそんなことを考えていました。
そして結論的に、
ま、いいか!
考えんとこ。
そんな感じ。
皆さんは、この疑問。
どう処理してましたか?

うやむやであいまい。
でも、三種の神器は現存している。
これが日本古代史の面白さなのです。(笑)

三種の神器 イメージ

古の天才が仕掛けた罠


年代だけでなく、
神様のお名前。
これが、一神につき、
いくつものお名前をお持ちです。

天照大御神様のお名前。
呼び名。
いったい、いくつあるのでしょうか?

この名前に対する認識の相違。
これも、古代史をあやふやにする原因。

誰が仕掛けたのか?
多くの人が言うように、
藤原不比等なのか?(ご先祖かも)

各地に残る伝承記録の矛盾も重なり。
まんまと、古の天才たちが仕掛けた罠に
はまりこんでしまった大人たち。

多くの人たちが、
ああでもない。こうでもない。
何百年も楽しんでいる。

特定の主張にどっぷりはまってしまうと、
客観的に自身を観察できなくなるので、
私のようなことを書いていると、

「ふざんけんな~!」
と、お怒りになる方もいるでしょう。

しかし、未だ続く論争絵図。
客観的に俯瞰すると、本当に楽しいのです。

それぞれの見解。
私にとっては全て新鮮。

この先、何年寿命があるかわかりませんが、
命尽きるまで、飽きることなく楽しめる。

日本古代史は最高の趣味だと思います。(笑)

隠岐島で代々後鳥羽上皇の墓守を務める村上家48代当主助九郎さん 息子さんの元奥さんは西川峰子さん 神社巡りでの出会い 本編とは関係ないです

続きは次回へ


八倉比米神社については次回。

祀神は大日孁貴(おおひるめのむち)。
すなわち、天照大御神です。

詳しくは次回をお待ちくださいね。
価値観はそれぞれでしょうが、
多くの日本人に知ってほしい貴重な神社です。

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