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逃げ延びた平家が隠れ住んだ町。鳥取県八頭郡。グーグルマップをゆく㉑

 グーグルマップの上を適当にタップし、ピンが立った町を空想散策する、グーグルマップをゆく。今回は鳥取県八頭郡。

 中国地方は歴史が色々とあるが、今回も色々と面白うそうな町だとマップを眺めていると、若桜鬼ヶ城跡という名前が目についた。

 中国地方には「鬼」のつくところが多い。これは大和朝廷から見た中国地方、特に出雲族を鬼と指すのか、もしくはそれよりもさらに先の大陸、朝鮮半島や中国の人のことを鬼と指しているのか。

 理由はわからない。とにかく、鬼のつくところが多い。

 若桜鬼ヶ城について色々と調べようとその周辺を見ていると、「平経盛隠棲の洞窟」という文字が目に入り、気になった。

 平経盛は平清盛の異母弟で、歌人としても名高く管弦の名手であり、平清盛によく従った優秀な人物であったらしい。

 壇ノ浦の戦いに敗れて入水し、62歳の生涯を閉じたとされているが、実は海から上がり生き延びて落折集落奥の洞窟に隠れ住んだと言う伝説があり、それがこの八頭郡であったらしい。

 平家にはこの手の伝説が多いが、それは平家以後の源氏が治める武士の世の中よりは平家の治めていた時代の方がよかったということの表れなのかもしれない。

 平家について思う時、どこな切ない気持ちになるのだが、それは、桓武天皇の子孫として平姓を名乗るも貿易で経済力をつけ、政治力で朝廷を掌握するというあり方が、明らかに武力行使によったものとは違う方法で繁栄している。

戦については素人同然だったのではないだろうか。武士以前の社会において、戦のあり方が確立していなかったために武力に弱かったのではないかと思うのだ。

 平経盛隠棲の洞窟を眺めていると、およそ人が住むようなところではない。当時の人が今ほど便利な暮らしをしていなかったとはいえ、京都で貴族然として悠々自適に暮らしていた平氏が洞窟で暮らすなど、耐えられたものではなかったであろう。

 戦いに負けたものの惨めさとはそういうものかもしれないが、洞窟に逃げ隠れて生活をしていた平経盛のことを思うと、胸が締め付けられる思いである。


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