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根本的に異なる新しい意味を探る「本質観取(現象学)」と「ライフワークの本質」と「真の知力」


人類の「知」は単なる
”量的”な拡大だけではなく、
”質的”な発展も遂げてきました。
わかりやすくいえば、
それは様々な「法則の発見」であり、
また「言葉や数といった
抽象概念の発展」です。


数学は、
「自然科学を記述する言語」、
目の前で起こっているあらゆることは、
数式で表すことができます。
そして、数学で証明していることは、
数式を使わずに言葉だけで
表現することもできます。
ただ、数式を用いて説明すると、
非常に正確になります。


たとえば、
容積の大きい物どうしの
「距離が近い」というとき、
どこを起点として、どのように測った
距離をいっているのか曖昧ですよね。
それが数学では厳密に定義されているので、
正確に人に伝えることができるのですが、
数学というのは、
「なぜ、この答えが出てくるのか」
その原理を知っていないといけない、


答えがないもの、道がないところに
道をつけることをやっているので、
自分の使っている道具が
正しいか常にチェックする、
そのために数学が使われている
と思います。
ですから試行錯誤して、この方法で試して
「だめだった」ことがわかるのが大事で、


真実かどうかは、当然、
現実との整合性であるので、
「数学」で”表現”された
「科学的理論」も
「実験」や「観測」で
確かめられて初めて、
科学的「事実」として
認められるものであると思います。


では、なぜ「数学的計算」で、
「未知の現象」を予言できるのか、
それは、この宇宙
(ひとつながりの現実の全過程)が、
「法則性」を持って
変化しつつあるからであり、
「数学」は、その「法則性」を
”表現”するために
科学者たちが発展させてきた
「表現手段」であるからだと
いわれています。


一方、”ことわざ”は、
「言葉の業(わざ)」のことで、
日常生活の中から生み出され、
昔から人々の間で言い習わされて
きた「ことば」、
短い「ことば」の中に
教訓や知識、風刺、物事の法則
などが含まれています。
生活体験の中で生み出された
人間の習性を短い言葉で
まとめたもので、
社会の真理をすばやく
伝えてくれるので、
知恵の結晶ともいえます。


『氏より育ち(うじよりそだち)』
この”ことわざ”がいつ頃から
言われるようになったかは
定かではありませんが、
京都に伝わる『上方かるた』に
収録されている言葉です。


先祖代々の家柄や家系よりも、
”成長過程でどのようなしつけや
教育を受けたか”によって、
人間が出来上がっていくという
考え方が由来となっています。


「氏より育ち」の意味として、
どのような家柄に生まれたかよりも
その後の教育や環境によって
「その人の器」が決まる、
つまり、
生まれながらに決まってしまう
家柄・身分よりも、
本人や親の意思、努力によって
変えられる環境、共育のほうが、
”人格形成”にとって重要である、


すなわち、
生得的な要因である家柄、身分よりも、
後天的な要因としての環境、教育
といった育ち方のほうが、
人格形成やその後の人生に
大きな影響を及ぼしている、
及ぼしていく、ということです。

昔から使われ、
「ことわざ」として
定着した言い回しには、
後世に残るべくして残った理由が
あることがほとんどです。
家柄や身分にとらわれることなく
努力で成果を残せる人は、
本当の意味で強い人といえると
思います。


科学が発達した世の中とはいえ、
変わらないものもありますね、
”サービス”は私たちの毎日の生活に
欠かせないコトであり、
現代に生きる人々は、例外なく
その恩恵に預かりながら
日々を過ごしています。
その一方で、
私たちは「サービス」という
言葉が指し示している
「ライフワーク」の本質について、
どれだけ理解しているのでしょうか。


あたりまえと思っていること
(法、教育、医療、企業、仕事、
また、正義、真、善、美、人生など)
私たちにとっての本質を
問い直す(哲学的に考える)とは、
このような物事の本質を洞察して
自分たちの進む方向を定め直して
共有することです。


人々が対立を乗り越えて、
力を合わせて何かを
成し遂げなければならない時、
物事の本質について誰もが納得できる
共通了解を洞察し、
共有することが必要になります。
物事の本質的な「意味」を
上手に掴み取ることを
哲学者フッサールが提唱した
現象学では、
「本質観取」と呼びますが、
現象をどう理解するかによって
現象学はさまざまな意味をもちます。


たとえば、
ラッセル・エイコフ・アコフの著書
「問題解決のアート」の中に
掲載されている「エレベータの話」
をご存知でしょうか。


話の舞台は、
ある大きなオフィス・ビル。
そのビルの支配人は、最近、
「ビルに設置されたエレベーターの
待ち時間が長い」と店子から
クレームを受けることが
多くなっていました。


何人かの店子は、
「エレベーターが改善されなければ
引越もやむをえない」と支配人を脅し、
困った支配人は、
エレベーター・システムの
設計の専門家を呼んで、
「事情」を調べさせました。
専門家たちはエレベータシステムの動作や
キャパシティを子細に分析し、
シミュレーションを行いました。


その結果、解決策として

1、エレベータを増設する。
2、エレベータの機種変更を行う。
3、新たに開発された
  エレベータ制御装置を新設する。

専門家たちは大幅なコストをかけて、
エレベーターを増やすか、取り替えるか、
関連する装置を新設しないかぎり、
店子から寄せられたクレームの
問題解決は行えないことを
明らかにしたそうです。

エレベーターが1台しかない
高層ビルでは、ボタンを押しても
すぐにエレベーターがきません。
利用者はエレベーターホールで
いつもイライラしていて、
クレームになっている場合、
どうすればこの状況を解決できる
のでしょうか。

1、低層階への移動は
  階段を使うように促す。

2、特に混雑する出社とお昼の時間帯を
  部署ごとに分ける。

3、エレベーターの速度を上げる。

たとえば、
このように多くの人は考えて
現実的な解決方法を導き出すのでは
ないかと思うのです。


しかし、
この話に出てくる「答え」は、
「エレベーターホールに 
 鏡を設置する」です。
つまり、
このクレームの課題を
「エレベーターがくることが遅い」
ことではなく、
「エレベーターを待つ時間が
手持ち無沙汰で退屈であること」
と設定し、
身だしなみを整えながら待っていれば
手持ち無沙汰にならずに時間を過ごせる、
と考えるということです。


実はこの話は、面接や企業の
社員研修などでよく取り上げられる
問題です。
そして、この
「エレベーターを待つ時間が
手持ち無沙汰で退屈であること」
という”本質的な課題”を
設定できるかどうかが
ポイントだとされています。


なぜなら、
「エレベーターがくるのが遅い」
という課題をそのまま解決しよう
とすると、
エレベーターが混まないように

1. 低層階への移動は
 階段を使うように促す。

2. 特に混雑する出社とお昼の時間帯を
  部署ごとに分ける。

3. エレベーターの速度を上げる。

などの解決方法しか浮かびません。


しかし、ここでなぜ、
「エレベーターがくるのが遅い」と
困るのか?と抽象化して考えると
「エレベーターがくるのが遅い」
ことによって、ユーザーが
「手持ち無沙汰で退屈な時間を過ごす」
ことになることが
より本質的な課題だと気づけます。


そして、この上位の課題である
「手持ち無沙汰で退屈な時間を過ごす」
ことを解決する方法を考えることが
より重要であり、
そのためには、必ずしも
「エレベーターがくるのが遅い」
という課題を解決しなくても
いいことになります。


結果的に
「手持ち無沙汰で退屈な時間を過ごす」
という課題に対して、
身だしなみを整えながら待っていれば
手持ち無沙汰にならずに
時間を過ごせると考え、
「エレベーターホールに鏡を設置する」
という解決方法が採用される
というわけです。


数学を学ぶこと(理解)は、
生活やビジネスの場面でも
さまざまな可能性を想定し、
条件を組み合わせて
最善の道を選べる創造性も
身につくと思いますし、


今から2500年前の孔子の論語にも、
「学びて思わざれば即ち罔(くら)し、
思いて学ばざれば即ち殆(あやう)し」
というものがあります。


(広く他人の説や解釈を)学ぶだけで
自分なりに考えて理解しなければ、
何も身に付かず(また活かせず)、
(逆に)自分なりに考えるだけで
(広く他人の説や解釈を)学ばなければ、
(独断偏向に陥り)危ういものに
なってしまう。
真の学習とは「広く学ぶこと」と
「自身で考えること」の両方が
できてはじめて達成されるという言葉。


”思考は抽象化だけでは完結せず、
具体化されて初めて価値が世界に
現れる”


一般的に「キャリア」という言葉は、
”それまでに行ってきた仕事”
”職歴、経歴”といった意味で
使われる場合が多いようですが、


キャリアを英語で書くと
「carrier」「career」の
2つがあります。
前者の「carrier」は
「運ぶもの」という意味で、
そこから運送業者、通信事業者、
航空会社を指すようになりました。
また、ウィルスなどの保菌者
(菌を運び広める者)という
意味にも使われます。


一方、後者の「career」は、
専門的な知識や技術を必要とする
職業を指す言葉として定着して
きました。
専門性が高い仕事をバリバリこなす
女性のことをキャリアウーマンと
呼んでいますが、
こうした意味合いで使われる
「career」はキャリアアップ、
キャリアダウン、キャリアプラン
といった用語の中で使われています。


つまり、
”キャリアアップ”とは
仕事の能力や専門性を磨いて、
社会的に市場価値の高い経験を重ね、
なりたい自分になって
自己実現するだけではなく、
それによって組織や社会に
貢献することです。
そして”キャリアプラン”とは、
一般には自身の今後の職業人生を
どのようにしていくかを
計画することを指す言葉です。


この2つの単語
「carrier」「career」は、
もともとの語源を辿ると、
共にラテン語で”四輪車”を
意味する”car”に行きつくのだ
そうです。


4つの輪がついた馬車を
イメージするとわかりやすい
と思いますが、職歴という意味での
キャリアの説明をする場合に、
「馬車の轍(わだち:道についた
車輪の跡)を思い浮かべてください
ということもあります。


自分が今までに歩んできた道のりを
振り向いて、ちょうど馬車の轍を
見るように返りみたのが
”キャリア(職歴や経歴あるいは
人生の歩みそのもの)だと思うのです。
単に職歴だけにとどまらず、
「今までに歩んできた道程」
「人生の営みすべて」といった
意味まで含み込んでいるのも
キャリアといえるかもしれません。


キャリアが馬車の轍のように、
今までに通ってきた道や
人生の軌跡のすべてを指して
いるのだとしたら、
”ライフワーク”はそのうちの
一部という見方も出てきます。
より根本的には人生の価値観も
重要な要素になってきますが、
そもそも”ライフワーク”を通じて
何を大事だと思っているのかと
いったところです。


絶対に見逃したらいけない
大事なポイントに気づく人は、
「些細な変化」に敏感です。
そして、そのことに気がつくとき、
橋のデザインを考えるより、
渡り方を考えているかもしれません。


あなたをいつでも応援しています!
ありがとうございます。


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