被虐待児だった私の洗礼式体験レポ

 2022年12月18日に33歳でキリスト教プロテスタント教会にて洗礼を受けました。この記事は記念に、覚書としてアップしたいと思います。
 被虐待児であったことが私を教会に結びつけたので、今回はあえて明示します。気分を悪くさせてしまったら申し訳ないです。虐待からのこういう救われ方もあるんだと知っていただければ幸いです。
 詳しくは救いの証しをご覧下さい。
 時系列で記載していきます。

洗礼槽を前にスタンバイ

洗礼前夜の気持ち

 緊張!主の恵みに感謝しながら、洗礼式の成功を祈りながらド緊張しています。荷物の確認とかお風呂とかやることはあるけど、忘れ物絶対する気がするし不安でいっぱいです。神様がどうか導いて下さいますように。
 数日前からパックをしたり、自分で記念の品を買い求めたり、救いの証しの練習をしたり。
 今までの自分が死ぬ不安、恐怖。新しい自分に生まれ直す不安、期待、喜び。初めてのことで次は神様が降臨される時まで無い体験。
 恵み深い主よ、あなたは全てご存知です。あなたの前で御心にかなう洗礼式になりますように。水のバプテスマと共に聖霊様で満たしてくださり聖霊のバプテスマを授けてくださいますように。

洗礼式当日

持ち物

衣装の下に着るTシャツ・ズボン(透け防止)、小タオル3、大タオル1、ドライヤー、化粧品、ヘア用品、不織布マスク2(化粧で汚れる)、ナプキン(生理)
聖書、証し原稿

進行

誓約→記念撮影→洗礼式→通常礼拝→救いの証し→洗礼証書、記念品贈呈→皆からお祝いの言葉

誓約

 神を信じるか、イエス・キリストの十字架の贖いを信じるか、など五つの誓約をします。

牧師先生のクリスチャン心得に応答


記念撮影

全員集合です。白服のサンタさんが私。

洗礼式

 透け防止のレギンスが丸見えになっています笑
 水とともに聖霊様に満たされた瞬間でありますように。

ガシッ
じゃぼん
ざばあ

救いの証し(3分程度、長いです)

①イエス様に出会う前の自分
幼い頃から私は家族ぐるみの虐待を受けていました。幼稚園や学校では元気で親も世間体を気にしていたので誰にも助けてもらえずに育ちました。誰に訴えても子供の言うことと信じてもらえず、辛い子供時代でした。

②どのようにイエス様に出会ったか(信じたきっかけ)
・教会に来るきっかけ
中学生の頃、家に帰りたくなくて近所を散策していたところ、たまたま教会を見つけました。掲示板には当時のマタイの福音書11章28節「重荷を負う者は誰でも私の元に来なさい。休ませてあげよう」と掲示してあり、ここが私の居場所かもしれないと、迷いながらも日曜日の教会へ足を踏み入れました。教会ではみんなが優しく、食べられるご飯も出してもらえて、親からも離れていられる。愛に飢え乾いた心には神様が寄り添ってくださる。通ったのは数年でその後受験などで足は遠のきましたが、神様の愛を知った大切な数年でした。

・救いを求めたいきさつ(問題、悩みなど)
その後○○市の大学で学びそのまま○○市に就職して10年近く働きましたが、障害を負って仕事が出来なくなり仕事を辞め、それを機に家族全員と縁を切り、引越し先が分からないように警察と役所で手続きをして、引越しをし、ついに私は本当にひとりになりました。養う猫たちがいたので心の支えはありましたが、孤独で愛に飢え乾いた私が思い出したのは子供の頃の教会、そして神様でした。

・信じたきっかけ(聖書、祈り、クリスチャン、出来事など)
神様を信じたきっかけは子供時代の教会での牧師先生の言葉でした。教会で小さな子供たちが大騒ぎをしているので私は先生に尋ねました。「教会は神様の家なのにこんなにうるさくして良いんですか?失礼なのではありませんか?」先生は答えました。「神様は愛のお方だから、きっと喜んでいらっしゃいます。これでいいんですよ」感激したのを覚えています。人生で初めて与えられた愛がどんなに大きいものか、信仰に目覚めた瞬間だったと思います。

③救いの告白(例)「私はイエス様を罪から救う、救い主と信じました」
私は神様の大きな愛を信じ、そのひとり子イエス様の罪からの贖いを信じ、救い主として信じました。

④これからの歩みについて
イエス様を信じてからはイエス様と二人三脚の人生となりひとりではなくなりました。現状が幸せであることにも気づけました。新しい趣味も与えられ、勉強しながら刺激的な日々を送っています。小さな夢もできました。また、食生活も見直し、運動をして、健康に100歳まで生きようという気持ちが初めて生まれました。自分にも他人にも優しくなれていると感じます。
感謝を忘れず祈り、聖書に学び、神様を信頼し、みことばに従っていくキリスト者になっていきたいと思います。

⑤聖書のみことば(大切なみことば、救いの確信のみことば)
私の好きな聖書のみことばを読み上げます。
マタイの福音書11章28~30節「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

記念品+プレゼント

 教会からの記念品と個人的にいただいたプレゼント一覧。
 まずは教会から小さな花束、ヨシュア会から大きな花束。
 そして教会から洗礼証明書とサイン入りの本2冊。

教会とヨシュア会から花束
Happy New Birthday🎼
教会からの本2冊

サイン入りです✨

記念の本のサイン
記念の本のサイン
洗礼証明書
洗礼証明書の裏にはみことばが


 そしてクリスチャン仲間の女の子から、飼ってる猫3匹と同じ3匹の子猫ちゃんのバッグをいただきました!可愛い…しかも作りもしっかりしててファスナー付き…。お出かけが楽しくなってしまいますね!ヘビロテしよ!

ラッピングも可愛い
クリスチャン仲間から3匹の猫バッグ


洗礼式を終えての感想

 確信します。今日キリスト者になるために神様は大きな愛で私を生き延びさせてくださいました。友達を亡くして信仰を捨てた時も、就職して辛くて病気になった時にも、イエス様はずっと隣にいてくださった。中学時代に神様を信じてからずっと、神様は決して私をひとりにはなさらなかった。感謝です。すべて神様のご計画でした。
 洗礼の記念に買ったネックレスも、ちょっとチェーンが長かったかなと思ったら洗礼式の日のニットにぴったりでした。驚くことに、主は些細なことまで全てご覧になって私を導いてくださっています。感謝です。

 そして牧師先生がお祝いの言葉で「もう一人じゃありませんよ」と仰ったので少し泣きました。教会のクリスチャン皆が新たな家族になりました。
 また、お祝いの言葉をくれる先輩クリスチャンに泣いておられる方もちらほらいて、もらい泣きの形で少し泣きました。緊張して思ったより泣きませんでした笑

 話がとっちらかってしまいますね。ぽつぽつと語っていきます。
 ちなみに証しを書く時、虐待の話はショッキングなので牧師先生に削られる覚悟をしていたのですが、深く関わっているせいかOKが出ました。ただ詳しい内容については遠慮するよう言われましたし、私もそのつもりでした。私には日常でも内容に傷つく人が居るからです。

 ところで洗礼式でのお祈りは必ず叶えられると言う方もいるらしく、私は婦人科の病気の治癒と猫たちの長寿をお祈りしました。いつも通りでした…しまった、もっと欲張れば良かった!「よく考えてきてくださいね」って言われてたのに準備に追われて忘れてました…。日々祈ることにします。

 洗礼式で水に浸かったときは足先が浮かんでしまっていきなり不安に駆られました。足が地に着かない感じがちょっと予想外で。写真でも結構浮いてますね。
 でも牧師先生も緊張していたのでちょっと冷静になりつつ、「そうだ、聖霊のバプテスマを願わなきゃ」と思いつつ。

洗礼で頭を水につけるとき
私「(温水プールよりお水ちべたい…)」
牧師先生「一瞬ですよ〜すぐおわりますからね〜」
私「(突然の歯医者み)」
じゃぼん(in)ばしゃっ(out)
私「ゴボァッ(水が鼻に入った)」
Twitterより

みたいなポップな感じに進んでいきました。

 水から上がったらずぶ濡れびちゃびちゃのままバスタオルをかけられて退場し、パンツまで脱いで穿き替えて化粧と髪の毛を直したわけですが、水と戦いつつも髪を短く切っていったので乾くのが早くて良かった!全て神様は分かって用意してくださること、願いを聞き届けてくださること、最近しみじみ理解してきたところです。
 でも自転車で大きな花束を持ち帰る時は

牧師先生「それを見越して教会からのお花は小さいんですよ」
ヨシュア会(教会内の若者の団体)会長「アッ」
私「チャリでもいけるいける大丈夫です!」

今「花瓶1個しかない…」
Twitterより

ペットボトルで切り抜けました。ふふふ、嬉しい悲鳴ですね、ありがたいことです。

 日本のクリスチャンの寿命は3年くらい、なぜなら真面目に頑張りすぎて燃え尽きてしまうから…と聞きました。私もがむしゃらにやってしまうタイプなので、ゆっくりマイペースにクリスチャンとして、また趣味の短歌の学びも忘れず、素敵なクリスチャンライフ、趣味人としての日々を送っていきたいと思います。

 今日中に記事をアップしたいのでこれで閉じますが加筆するかもしれません。

※加筆
1分間に合わず!19日投稿でいきます。

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