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東京サリーちゃん

桑田佳祐
「(アルバムの中で)特に聴いてほしい曲は、映画の中では使われていない『東京サリーちゃん』。これは映画もサントラもちょっと忘れて聴いていただけたら嬉しいなと。」(1990年)

桑田佳祐
「映画には使わないけど、聴いてもらったら10人中9人が『あ、ジョンレノンだ』と思うはず。
あの人はギターの持つ自由と不自由さを全部考え出した人だと思うんですけど、その辺を勉強させていただきました。」(1990年)

桑田佳祐
「(『稲村ジェーン』サントラは)『世に万葉の花が咲くなり』につながるようなアイデアもあったしさ。たとえば『東京サリーちゃん』などはいろんなレコーディングの技術的なトライとかもやってるしね。」(1992年)

桑田佳祐
「この曲では実験をしているんです。」(1990年)

これは誰が聞いてもビートルズの「アイアムザウォルラス」。
定位がまるっきりビートルズしている。

古今東西、洋邦問わず、ビートルズからの影響を受けた楽曲=オマージュソングは数々あるが(これは「Beatle Vibrations:ビートルズのフォロワーたち=音楽之友社」に詳しい)その中でも5本の指に入ると私は思っている。

例えばサウンドや曲調を似せてみたり、歌い方を真似したりというアプローチの “ビートルズ賛歌” はいくらでもあるが、ビートルズ、とりわけジョンレノン特有のラジカルさを表現できている曲がどれ位あっただろうか?

この曲のポイントは歌詞だと思う。
意味がなく、アバンギャルドで、ナンセンスで、いい加減で、デタラメで、そして繊細さを持つ詞を、桑田佳祐は自身のダミ声で歌い、ジョンレノンの持つ狂気じみたラリパッパぶりを再現してしまった。
これぞ真骨頂である。
桑田作品の中でも最もロックしている1曲である。

この曲のライブでの演奏、特にエンディングでのインスト部のクレイジーさ、トリップさはサザンのライブパフォーマンスの中でも屈指の一曲であったと筆者は思うのである。

尚、この曲は正確にいうとサザンオールスターズ名義ではない。
バックを受け持ったのは全て名うてのロックミュージシャンである。

Vocals, Lead Guitar / 桑田佳祐
Guitar / 原田末秋
Keybords / 小林武史
Bass / 根岸孝旨
Drums / 小田原豊
Sax / ダディ柴田

ベースにポール・マッカートニーフリークの根岸孝旨(現ドクターストレンジラブ)が初参加している点も見逃せない。
これをきっかけに、関口ムクちゃん病欠時のサザンのサポートメンバーとして参加し、その後は奥田民生の屋台骨を支える存在となった。

また、桑田さんのギターソロはクリーム時のエリッククラプトンのウーマントーンを意識してたそうで・・。

結論として誤解を恐れずに言わせてもらう。
数々の桑田作品を眺めていると、
「桑田佳祐においての“ロック”とは、とどのつまりジョンレノンである」と言わずにはいられない。
その中でも最高峰に位置する作品である。

<1999.08.20記>


追記

「稲村ジェーン」撮影の超ハードスケジュールの中で、映画にも使わない曲を録音してアルバムに入れる意味をずーっと考えてたんですよ。

「稲村ジェーン」時代設定が1965年。「I Am The Walrus」リリースが1967年。まずここで整合性が取れていない。ここが引っ掛かっていた謎。

ある時、タマランさん(@okikuchanxxx)からレニー・クラヴィッツでは?とご指摘を受けて再考してみたんです。

キーマンはやはり小林武史だろうなと。

<推測その1>レニクラデビューの衝撃

レニー・クラヴィッツ「Let Love Rule」リリースが1989年9月。

アルバム「稲村ジェーン」レコーディング期間が1988年11月~1990年7月
なので、このレコーディング中にレニクラを聞いて盛り上がったと推測。

<推測その2>小林武史のレニクラへの傾倒ぶり

後に小林武史がプロデュースを手がけた
1993年 Mr.Children『Versus』
1996年 YEN TOWN BAND『MONTAGE』 、ミスチル『深海』
のレコーディングは
レニー・クラヴィッツが愛用したNYのウォーターフロントスタジオ。
(このスタジオにいたエンジニア、ヘンリー・ハーシュとは懇意に)

アナログのヴィンテージ機材が豊富なスタジオでウォーターフロントスタジオ閉鎖時には烏龍舎が機材を買い取り、NYで「Oorong New York Studio」
というプライベートスタジオを作った経緯が。

<推測その3>小林武史のジョンレノン愛

これ知らなかったんだけど、下記リンクから分かるように小林武史の音楽体験の始まりがジョンレノンであった事実。小林自身も桑田佳祐同様にジョンレノンへの思い入れは深い。

上記から推測すると、「黒いジョンレノン」レニクラの登場で刺激を受けて
桑田佳祐が言い出したのか、小林武史が焚き付けたのか分からないが、
「今、俺たちも演らねばあかんぜよ!」という2人の気持ちがシンクロしてこの時期にぶつけたくて作ったのではないでしょうか?
ただ ”盛り上がった乗り” だけだったのか、アナログのローファイなサウンドに時代の必然性を感じての事なのか、真意は分かりませんが。

実は「猫に小判スタジオ」のアナログ機材でレコーディングしたのかなと考えてもみたが、まだこの時期にスタジオは完成していなかったと思うので。
(誰かスタジオ完成時期をご存じの方がいたら教えて下さい)

<おまけ>
これはあくまでも私の邪推。

UNICORNが1990年10月1日にリリースしたアルバム『ケダモノの嵐』。
そこに収録された「いかんともしがたい男」がこれも思いっきり「マジカルミステリーツアー」あたりの中期ビートルズサウンド。
『ケダモノの嵐』録音期間が1990年4月28日 ~ 5月8日なのでそれを先に聞きつけ、若い者に負けてなるものかと作った。
というのがもう1つの私の持論。

いずれにしても、この同時代にこの2曲が誕生したのは奇跡的。

<2023.12.03 追記>


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