Brucknerの受容(異稿の問題など)


 最初に断っておくが、私はマーラーほど、ブルックナーの受容の歴史について詳しくはない。私のこの理解は10年も前の概要であるからあまり役に立たないであろう。
 そこは興味があれば調べてもらうほかあるまい。(とはいえ、この国にそれほどブルックナーの書物が翻訳されているとは思えないが。)
 ブルックナーの稿自体は複雑であり、一体どうとらえるべきか。こういう相違はどの作曲家にもある話だが、ブルックナーほど複雑なものとなっている例はあまりなかろう。
 その違いを面白く聴くのはそうだし、各時代の演奏の文化を味わえるのだ。他者の手の介入や19世紀の演奏の様式に合した変遷である。こまごまとした違いではなく大きな違いでとらえるなら、基調となるのはブルックナーの自筆譜である。年代での違いにより第1稿、第2稿と分けて考えられている。

 ブルックナーの没後から主に使用されていた楽譜は、高名な弟子で指揮者であったレーヴェ、フランツ・シャルクの手による改訂版であった。楽曲のカットやブルックナーの特色であるオーケストレーションにもあちらこちら“改良”したという代物であり、現代において顧みられることはない。
 しかし、弟子たちの改訂作業についても、ブルックナーがそれなりの許可を与えていた事実があり、それはブルックナーの柔軟さを表してはいるとも言える。従来言われていたブルックナーが“優柔不断”な性格による他者の介入という通説は―いまだに信じている者が伝説の類を強調する傾向が強いこの国にはいるのだが―今では否定はされている。
 とかく19世紀では、指揮者たちが、オーケストラの技量や自らの審美観から楽曲のカットやオーケストレーションに手を加えることは当たり前の事であった。(当代一の指揮者でもあったマーラーもブルックナーの作品に対しての“修正”を加えて演奏を行っている。) レーヴェやシャルクにしてもブルックナーの音楽を広めるという使命で行ってきたわけで、決して悪意の代物ではない。
 とはいえ、やはり改訂版に関しては、無理解というものを感じてしまい、そう素直には聞けないのが正直なところだ。

 1920年度からブルックナーが意図したものを尊重する動きが出てくる。原典版の編纂である。ハースのリーダーにする編纂チームによる原典版はハース版と総称される。9番の原典版を編集したオーレルの版も含めてハース版と呼ばれる。
 この原典版はブルックナーの受容の画期となる出来事であった。しかし、ハースの校訂姿勢に関しても問題がないわけではなく、交響曲によっては、ブルックナーの様々な版の折衷版を編み出していることも問題の一つであろう。例えば第8交響曲に関して、ハースは第2稿とされる1890年版をベースにしつつ、第1稿の1887年版から自分が良いと思った箇所を組み合わせることをしている。 このような編纂姿勢は、のちに原典版の編纂を行うノヴァーグから批判を受けている。

 戦後、ナチス協力によりハースは原典版へのプロジェクトから外され、代わりにハースの編纂作業にも携わった人物であるノヴァーグが編纂を行うことになる。
それゆえ、原典版にかんしてもハース版、ノヴァーグ版と2つあるのである。とはいえ主流派は圧倒的にノヴァーグ版での演奏であろう。とはいえハース版へのある種の独特さを見出し、芸術性を認めて使用する指揮者も少数ながらいる。
 むろん、ノヴァーグ版が決定版として、ブルックナーの稿に関しての問題が解決したわけではない。ブルックナーの版に関しては今も研究が重ねられており、各々の研究者による批判版が出版されているのである。さらに演奏する指揮者による楽譜に対しての“修正”を含めれば、まったくの千差万別のものとなろう。


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