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人生の振り返り ⑩復職と副作用

1ケ月の入院生活も終わり、
ようやく家に帰れた。
安堵感とこれからの不安が
入り混じっていた。

1ケ月も入院していたら、当たり前だが
体力はかなり減少して、体重も減っていた。
少しずつ外を歩き、復帰が出来るよう
体力を戻していった。
その時の私は、早く同期がいる職場に
戻りたいという気持ちが強かった。

復職1日目、久しぶりのデパートの照明が、
とても眩しかった。
後輩は、私の病気を知らない。
これから、急に体調が悪くなって、
仕事を休んで迷惑を掛けるかもしれないと
思って、上司にお願いして、ミーティングで、
休んだお詫びと病気のことを話した。
久しぶりの仕事で、帰りの地下鉄ホームの
階段は、フラフラになりながら、このまま
階段を転げ落ちるかもと頭によぎった。

今までの生活と違うことは、
朝起きたらインターフェロンの注射を
打つこと。
あの時の自分は、注射を打ちながら
何を考えていたんだろう。
今、目の前にあの時の自分がいたら、
後から、めいいっぱい抱きしめたい。
大丈夫だよって。

少しずつ体力も戻ってきて、勤務日数も
増やしていった。
私は、病気になってから、休日は、
身体を休めることに専念した。
生真面目なのか、休日に遊んで、
疲れて体調崩して仕事を休むことを
嫌った。
この考え方は、将来私を苦しめる
考え方だった。

インターフェロンを打って数ヶ月、
とうとう副作用が出てきた。
脱毛だ。
お風呂で髪を洗えば、排水溝に
髪の毛が溜まって真っ黒に。
髪を乾かせば、抜けた髪が綿飴みたいに
まんまるになっていた。
恐ろしくて、悲しくて、辛くて、
不安で涙が出てきた。
助けて欲しかった。

どこまで脱毛が進むのか分からない中、
仕事はしていた。
周りの人も、私の髪の毛に気付いていた。
でも自分から何も言えなかった。
副作用で髪が抜けちゃうの。と
言えたら少しは楽だったんだろうか。

人前に出るお仕事。
どこまで抜けるのか不安だった。
押し潰されそうだった。
少しでも心が安定するならと、
両親と相談してかつらを買うことにした。
あの当時は、ウィッグでは無く、
かつらと呼んでいた。

予約したかつら屋さんに、母と行った。
接客してくれた子は、なんと中学校の
同級生だった。
同級生のお父さんが、かつら屋さんと
言っていたのを思い出した。
あれは、もう屈辱的だった。
悔しかった。
悲しかった。
自分を見られるのが辛かった。
その場から逃げたかった。

何度かかつら屋さんに通った。
帰ると私は疲れ果て、いつも寝た。
少しの時間でも寝て、私の頭から
全てを消し去りたかった。

脱毛は3分の2程度抜けて止まった。
かろうじて、仕事でかつらを着ける
まではいかなかったが、
今思えば、高い買い物だった。

のちに、私は、決断を迫られる
ことを知らないまま、ただただ、
毎日不安と隣り合わせで生きていた。





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