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のだめさんと僕のシーサー

「自由に楽しくピアノ弾いて何が悪いんですか、、」
ドラマのだめカンタービレ中、のだめさんのそのセリフを耳にしたとき、
ある思い出がふと浮かんだのです。

それは高校の修学旅行でのことでした。

修学旅行先は沖縄で、日程は2泊3日
1日目はみんなで行動し、2日目は自分たちで計画を立て、
班に分かれての行動でした。
2日目に僕たちの班はシーサーづくり体験をしました。

まずは、体験工房のスタッフの方がお手本として、粘土でシーサーを作る手順を教えてくださり、次にみんな思い思いの自分のシーサーを作っていきました。

僕はスタッフの方の作り方をよく見て、全くその通りに再現しようと頑張り、予想以上にお手本通りのシーサーを完成させることができて満足していました。

その後は、お店のほうで焼いてもらうため、スタッフの方にお渡しします。
手渡す際に、班のメンバーそれぞれがスタッフの方から手作りのシーサーについて一言感想をもらっているようでした。

「君のシーサーは耳がおっきくてうさぎさんみたいでかわいいね。」
「口の迫力がすごいね。強そうだね。」

粘土で自由に作る機会など、小学校の図工の時間以来でした。
僕は自分が一番お店の方のお手本通りに完成できたと思っていて、
自分が手渡す順番が近づいてくると、高校生ながら、どんな感想がもらえるのかと内心少し期待していました。

そして僕の順番が来たので手渡すと、

「はい、ありがとう」

僕は、期待していた分、そこにあるはずの物がなかったような気持ちになりました。

そして、
「言われた通り正しく作ったのに何が悪かったんですか」
そんな思いがわいてきたのです。

この時の情景が、のだめさんのセリフを聞いた時にふと思い出されたのです。

その時の言葉は、のだめさんが口にされた言葉と、
反対のことが味わわれているような言葉でした。

そして、それはたまたまシーサーを作っていた時の思い出として現れてきたのですが、それまでの僕の価値観を表しているようでもありました。

お店の方は、僕の作ったシーサーについて感想を言わなかったのではなく、
見本通りで個性のない作品に対して、言葉が見つからなかったのではないでしょうか。。

修学旅行の思い出と、僕のシーサーには、
それまでの恐れや、ふてくさりなどが現れているのかとも感じました。

どんなことについても正解や公式を知りたい、その通りにやりたい。
そうしなければ間違えてしまう、失敗してしまう、怖い。
そのような思いが現れていたと思います。

そして、その後のある時期まで、そのような価値観で歩いてきていたのです。それ以外知らなかったのです。

それは悪いことではなかったと思います。

ただ、それまでを振り返った時、確かに自身の中でも、そこに僕の個性のようなものは見られなかったように思います。
今は、それは少し楽しそうじゃないかもしれないな、、と思います。
自分にかわいそうなことをしていたかな、、という思いが湧いてきたりもしています。

それからいろいろありました。
僕の道は全く思ったようにいかなかったのです。
でも、思っていたよりよっぽどよかったのです。

予想できなかった、期待していなかった喜びが沢山ありました。
それらの出来事が、時には痛い出来事が、恐怖に飛び降りるような出来事が、正しく生きようと思っていたころよりもはるかに存在を彩ってくれたように思います。

漠然と、生きることが怖かった。
正しくないと怖かった。テスト、成績、失敗したくない。。
そんな中で作った僕のシーサー君は、見た目の個性はなかったかもしれないけれど、その時の物語が含まれていました。

これからの道のりに標識はないけれど、

「自由に楽しく自分の道を弾いて何が悪いんですか」

終わらない夜のような気持ちがやってきた時、僕の中の灰色の人生がそのようにつぶやいてきた時、そうやって言ってやろうと思います!

シーサー君、ありがとね、
のだめさんありがとう。。
「そんな気分」
























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