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親が生きてるうちに。

とても頭が良くユーモアに溢れ
優柔不断で女性にだらしない破天荒な父
もう10年以上前に父は私の結婚式の
2ヶ月前に癌で亡くなった

バブル世代で金融業界で働いてた父は
母と結婚しても、あっちこっちの
マンションに愛人を住まわせ、
愛人にねだられて買ってあげた猫の請求書を
うっかり(そんなうっかりあるのかい!!)
私達の住所に送ってしまい愛人の存在が
バレたエピソードを母から聞いた時は
呆れて笑ってしまった。
母は家に届いた請求書を見せて父にこう言った。

「うちにまだ猫届いてないけど?」

恐るべし母。


そんな魅力的ではある父だが結婚には
不向きだったのだろうと思う。
後に、母とは離婚した。
離婚しても不思議なものでうちの家族は
「家族」として普通に機能していた。
何かあれば家族で集まり家族会議。
お酒を飲める年齢になった頃には
月に何度かは飲みに行った。

最近は銀座などでホステスと
飲んだりしないのか聞いたら
「銀座も昔とはだいぶ変わったからな
 なぜか客の方が気をつかう雰囲気が
 もう俺にはつまらないんだよ。
 ホステス相手に飲むより娘のお前と
 飲んでる方がお父さんは楽しい!
 それに安く済むしな!」
と言って豪快に1人で笑ってた。
そりゃ気も使わず安くで済むなら娘と飲むわな。
それに歳をとってお遊びが飽きただけでしょの
言葉は娘の優しさで心でとめておいた。
気の遣える娘である。

ある時また一緒に飲んでる時に
父は大学生の頃、新聞記者になるのが
夢だったと聞いた。
書く事が好きで、新聞記者になる!
俺はなれる!と思っていたそうだ。
凄い自信である。
そしてその腕を試す為に、ある時小説を書いて
大学の門の所で自分で売ったらしい。
これがまた、びっくりするほど売れなくて
それで新聞記者の夢は諦めたと聞いた
諦めも早い。

私がこうしてnoteで何かを書こうと
思ったりしたのも父のDNAの要素が
あるのだろうと最近は思う。
今、父が生きていてnoteというものがあって
そこで私が何やら書いてると話したら
どんな反応だろうか。
きっと「下手な文章だなー!」と言いながら
嬉しそうに笑うに違いない。


諦めは早かったし笑い話のように私に
新聞記者になりかった話をしていたけど
父は本当に新聞記者になりたかったのだと思う。
とにかく本が好きでどこに行くにも
本を片手に持ってる人だった。
離婚後はよく私や姉に手紙を
書いてよこしていた。
電話をして話をする様に
パッとペンを持ち手紙を書く様な父。
ポストを開けると達筆な字で書かれた
白い封筒が来てると少なからず
嬉しかった記憶がある。

もしも自分の両親がまだ生きているのなら
若かれしき頃の夢は何だたっのか
聞いてみるのをオススメしたい。

実は知らなかった自分との共通点が見えたり
自分自身が気が付かなった部分を
探れたりするヒントが隠れている事もある。

今までは見えなかった親の違う側面が見えて
それが今後の自分への救いや、
親に対してのわだかまりが解ける
きっかけになるかもしれない。

そしてもしも見つかったらそれは
一生心の中でひっそりと抱える
大事な宝物になるはず。


悔いなく親孝行というものが出来たら
それに越した事はない。
でもなかなか日々の生活に追われて
親孝行の気持ちはあっても
「いつか」
「もう少し落ち着いたら」
「あと少し余裕が出来たら」
と優先順位が下がってしまう。
どうして次に必ず話せる、
どうして次にまた会えると信じてるのか。
次に絶対に話せる、会える保証など
どこにもないのに。


だからせめてふと思った時に
後回しにせず【聞いておきたい事】を
1つでも多く聞いておく事をオススメしたい。


旅立った後には泣いても叫んでも
2度と聞く事は出来ないのだから。
2度と答えは聞けないのだ。
父を亡くしてこれを心底、実感した時、
脳みそがグラっと動いた衝撃を
今でも覚えてる。

もうその真実は一生わからないのだ。


ちなみに、父が大学の門で売った小説。
「お父さんのその時のペンネーム
 聞きたいか?」と言われた。
特別興味はないけど何?と聞くと
「原っぱに鬼が一匹って事で、
 原 鬼一だ!カッコいいだろ?」と
自信満々に言ってきた。


お父さん。


ここは娘として気を遣わないで言うけど。

そのペンネームはないわー


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