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自分にとっての幸せはどんな状態か

何でもない日常を送るということが、一番の幸せなのではないかと思う。

朝、目が覚める。
家族におはようと言う。
お弁当を作る。
朝ごはんを食べて、いそいそとそれぞれ学校や仕事に行く。
仕事を終えて帰宅、冷蔵庫にある食材で急いで夕ご飯の支度をする。
お腹を空かせた子どもたちがあっという間に食べる。
習い事の送迎。
夫が帰宅し、ご飯を食べながら、その日あったこと、世間の話をする。
お風呂に入る。
読書したり、日記を書いて寝る。

取り立てて何もない日常。

日常を過ごせることを当たり前のように感じていることが、贅沢なことだと思う。

「日常」はあるとき崩れるものだと、コロナ禍を経験して思う。

緊急事態宣言で生活は大きく変わった。

学校に行けない。
人に会うことができない。
公園の駐車場が閉鎖される。
自宅に籠る以外ない。

もともと、どちらかというとインドア派で自宅で過ごすことが多かったが、
「今日は家にいよう」というのではなく、「どこにも行けない」のは意味が異なる。

「選択できない」ストレスが大きいのだ。

この時期、不調になった人は私だけではないだろう。

いつまで続くのか先の見えなかったコロナ禍も、昨年度から行事は平常化となり、日常が戻ってきている。

先日、外出先のショッピングモールで音楽の催し物を見かけた。
見知らぬアーティストの舞台だったが、客は50席ほど設けられた椅子に腰掛け、その周りに立ち見客もあり、拍手喝采で盛り上がっていた。
アーティストを目的に来た人もいるだろうし、たまたま通りがかり歌に魅せられ立ち止まった人もいるだろう。
隣り合う椅子はソーシャルディスタンスなんて言葉を忘れたようにぴったりくっついている。
客も、隣との距離を気にする様子もない。
歌手も思いきり歌っている。

やりたいことをやれる。
好きなように選択できる。
日常が当たり前に流れている。

何気ない日常。
平和の象徴だと思う。

※こちらの記事は、いしかわゆき著「書く習慣」の1か月チャレンジ29日目のテーマでした


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