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非正規雇用はずっと屈辱を味わう

ふと思い出して、胸がぎゅーっとなる思い出がある。

↓この記事のようにモラハラな夫がいる私は、
子供が小さい頃、専業主婦だったが、
働いてないことに対して猛烈に劣等感を感じることになる。


家事も対して得意ではないけれど、お金を稼げないことへの焦り、
幼いころからの『社会の歯車になって働かないと生きてる意味がない』の親の強い刷り込み。

子供が生まれて半年ほどで働きに出た。

『別に働いてもいいけれど、俺はなにも手伝えない。どうせ安月給だろ』
それが夫の言葉。


実際に8年間の保育園生活の送り迎えもご飯も寝かしつけも、
体調不良の欠勤も全部ワンオペだった。

保育園の預かりは平日のみ、18時半まで。残業もできない。

・子供が小さい
・残業ができない
・子供の体調不良では欠勤するしかない。(夫や親にはなにひとつ頼れない)

こんな悪条件の私を雇ってくれる会社は本当になかった。
保育園は親の無職期間が許されるのは3か月まで。焦っていた。

何十社目で面接で頭を下げまくってやっと採用してもらった会社は
ハローワークで探した、最低賃金の会社。
今時、分煙すらされていない、たばこの煙だらけのオフィスで
フルタイムパート事務だった。


たばこ臭いオフィス、やんちゃな人の集まりの会社で、言葉使い、態度が荒々しく、非喫煙者であり、HSPの私にはどう考えても肌に合わない会社だった。

だけど雇ってもらえないという現実を痛いほど知っていたから、
肌に合わないと思っても、
子供の体調不良で休みまくっても、すみません。。すみませんと
頭を下げて働いた。

その時からずっと立場が低かった。
誰もやりたがらないトイレ掃除も、正社員が面倒くさがり、
『そんなのパートにやらせりゃいいじゃん!』
と鼻で笑いながら陰で言っていたパシリみたいな仕事も、
断らずにやった。悔しかった。

面倒なことはパート、派遣にやれせればいいという考えは理解していた。
でも、非正規はこういうところで頑張らないと次の契約更新してもらえない。だからやるしかなかった。
正社員を楽にする為に頑張るあまり、正社員以上の頑張りをしても
ボーナス時期の会話には入れない。惨めだった。

その職場は2年で辞めて、
その後も正社員に応募するも子供が小さいという理由で
断られた為、大手企業で派遣社員として働いた。

どこの場所でも正社員が心底羨ましかった。
大手企業に派遣になればなるほど、
有給があってボーナスがあって、なによりもすべてが会社に守られていた。女性が結婚、出産、子育てで退職なんてありえないという風土。

おまけに大手は社員も高学歴が揃っていて、皆心が穏やかだったりする。
生まれガチャが当たりの人ばかり。
学力も高いし、学生時代は親のお金で留学、
この先もお金に苦労することなく、生きていくのだろう。

女性は、一度結婚し、出産で正社員のレールから外れてしまうと同じ給料、同じ待遇に戻れることは少ない。

私は妊娠、つわりがとてもひどく、通勤することができず、やむを得ず、
正社員と退職した。

どうしてあの時、辞めてしまったのか・・・
意地でも正社員の立場にいれば、
こんなにみじめで屈辱てきな思いをしなかったのだろうなと。
夜も眠れないくらい悔やむことがある。

ずっと下の立場にいることに慣れてしまいすぎて、
仕事でずっと下っ端、雑用をやることが自分の価値と同じ
だと思うようになっていた。


こんな私は契約更新してもらえるかな・・とビクビクしながら仕事をする。そんなことが10年以上続くともう麻痺して自分を大切になんかできなくなった。

歯を食いしばって、砂を食べるような感覚でずっとすごした結果、
精神疾患になり、今休職している。

でも今は不思議と今までかんばった分のご褒美とも思えてる。
なぜなら、今もらっている傷病手当金が
最初に入社したあのたばこの煙だらけの職場のパート代より
少し多いからだ。

正社員にはなれない分、転職のする際には必ず時給を上げて転職するのが
小さなプライドだったから。

でもやっぱり私は正社員が羨ましいのだろうな。
社会的に安定していて、居場所があっていいなって。

子供たちは大きくなった。
次に選ぶ仕事や職場は、もっと自分にやさしくできる会社がいいなと思う。

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