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あれは私だったかもしれない

今朝アラームの時刻よりも早くに目が覚めて
そのまま布団の中でうとうとしたときに
なぜか思い出した事件のこと。

2021年にアメリカアリゾナ州で起きた日本人女性が自身の幼い子供二人を殺害した事件。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/ce405a3b3426d4080c8e0f5948b3115e3ab2b86c
これはかなりショッキングなニュースだった。

ただ、同じ海外で暮らす身のわたしとしては
こうなるに至ってしまうまでの経緯とか、背景とかを色々考えてしまう。
彼女は孤立していたのだろか。
誰か身近に相談したり頼れる友人はいなかったのだろうか。
精神的に異常をきたしてしまう前に何かできることはなかったのだろうか。
どうしてこんな最悪な結果になってしまったのだろう。

一緒にニュースを見ていた夫が言い放った一言にもなんだか胸が傷んだ。

She is crazy…

表面だけを見ればそう写ってしまうのも仕方がない。
でもそこに至るまでには壮大ななにかがあったに違いないのだ。
そのことに思いを馳せられる想像力は持っていたいとこのとき強く思った。
夫は優しい感性の持ち主だけれど、物事をあまり深堀りしない。
そこが彼の長所でもあり短所でもあると思っているけど。
どうして?なぜ?という物事の側面を見ないので、
私も結婚当初は夫との物事の進め方のコミュニケーションにはかなり苦労した。

同じ日本人同士でも想いのすり合わせをしないと、
お互いを理解し合うのは難しい。
それが外国人がパートナーとなれば、本当に大変。
育ってきた環境、教育、宗教観、全然違うのだから当たり前。

私とて、結婚して十数年たった今も同じ方向を向いているかと言われれば
私の場合は、ある時点で諦めた部分もあればそうでない部分もある。

彼女と旦那さんとの関係がどのようなものだったかは
わからないけれど、結婚して子供も二人いたのだから
最初は関係性は悪くなかったのではと思う。

でも暮らしを継続していくうちに、
すり合わせができなくなっていったのかなと。

海外での慣れない中で、母国語ではない言葉で毎日のことをこなし
子供を育てていくのは、本当に大変なことだと思う。
周りのサポートや心の拠り所みたいなものがないと厳しいということは
容易に想像がつく。

もちろん自身の子であれ、手にかけてしまうのはあってはならないこと。
でも、多くの人が表面だけを見てただ素通りして行ってしまうこと
無関心でいることって、どうなんだろう…。
とこのニュースを見たときになんだかモヤモヤとしたのだ。

少し前に、人気ポッドキャストのOver the Sun で
「あれは私だったかもしれない」という題で
東京電力の女性社員が殺害された事件のことが話されていました。
私はその事件のことは全然しらなかったけれど
お二人もこの事件の被害者の方の背景やなぜ?やどうして?に想い馳せながらお話をされていて、「共感」する部分もあると言っていて
一歩間違えれば、それは私だったかもしれないと。

私はありがたいことに、日本にも行き来がしやすい国で
日本人も多く暮らしている土地で、
夫をはじめ、身近に頼れる人や相談できる友人もいて、
いろんな人に助けられながらなんとかやってきた感がある。
そういった周囲のサポートがなかったら、
孤立してとっくにギブアップしていたかもしれない。
精神的な助けを得られなかった場合、
大げさに言うと、
「これは私だったかもしれない」のだ。


大変だったこともあったから、なんとなくこの殺人事件のことを思い出すと
彼女がこうなってしまう前に、どうにかサポートを得られなかったのかなと
複雑な気持ちになる。
今、海外で暮らしている日本の方はたくさんいて
もしかしたらそこでの暮らしやパートナーとの関係性なんかに
奮闘されて大変な想いをしている方ももしかしたらいるかもしれない。
そんなとき、どうか周囲に助けを求めてほしい。
なんならオンラインでも誰かに胸のうちを話すだけでもスッキリする。
なにか心の拠り所を作っておくことで精神的にはかなり楽になる。
辛いときは、助けて!と声にだすこと。
これは私もとても苦手なことなので、なかなか難しいことも知っている。
でも、優しい人、手を差し伸べてくれる人は必ずいるから。
喜んで助けてくれる人はいる。

これは書こうかどうか迷ったけれど、
なんとなく今朝、心に浮かんできたことなので
一応ここに書いておくことにしました。

どこかの誰か一人にでも届けば、という想いを込めて。


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