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いつものBARで今宵また

BARのドアを開けた。なんども通ったこのBARのドアを数年ぶりに開けた。私に気づいたマスターはちょっと驚いた表情でグラスを拭く手を止める。

「いらっしゃい」
「こんばんわ」

マスター、全然変わってない。

私はあの頃いつも座っていたカウンターの席に座った。

「久しぶりだね、どうしてたの?」

少し首をかたむけ、ちょっと微笑んだ。どうしてたのかな。

「いつもの、お願いします」

マスターはふっと口元に優しい笑みを浮かべ、それ以上は何も聞かずにいつものカクテルを作り始める。ここであの人と一緒にグラスを傾けてた夜をいくつも思い出す。「彼は今、どうしてるの? まだここに通ってる?」ってマスターに聞きたかったけど聞けなくて、棚に整然と並ぶアルコールのボトルを眺めた。

ドアが開いて人の気配がして私はちょっとドキッとする。振り向かないけど耳を澄ます。聞きなれない声に小さな落胆とわずかな安堵を覚える。そんな私にマスターはきっと気づいているけど、ただ黙ってできあがったカクテルのグラスを私の前にスッと差し出した。綺麗なブルーの三角の輪郭を指でなぞり、あの人を心に浮かべる。

あの人と別れてから何年も、ここに来る勇気はなかった。もう大丈夫、きっと会っても普通に話せると思ってドアを開けたけど、思った以上に動揺してる自分に気づく。

何度目かにドアが開いたとき、マスターの動きがまた止まった。ふわっと空気が変わる。あ、あの人が来たのかもしれない。私のいつもの左側はあいている。

その人はわずかなためらいを見せたあとに、私の左側のカウンターに手をおいた。なつかしい手が目に、心に鮮明に飛び込んできて、胸が締め付けられた。

「れいか・・・」

何度も何度も聞いたあなたの声に、まだ震える自分がいた。もう酔いはまわっている。断ち切れていないあなたへの想いをあなたが気づくまでに、どれほどの時間もいらないね。

本当はもうあなたを愛していないと確かめたかった。

でもごめんね、今もあなたしか見えない。



お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨