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#1 私たちのはじまり

「もしかして、その、僕のことを好きですか?」

誰もいない社内の一室で、上司の中山さんが私をまっすぐに見つめてそう言った。

思わず私は息を飲んだ。

彼を好きだという気持ちに気づいてから、もう2年近く経つ。何度も何度も諦めようと思ったけど、どうしようもなかった。彼への思いをじっと心に秘めながら、彼のそばで気持ちが悟られないようにと気をつけながら過ごしてきた。

中山さんには奥さんがいる。

もし気持ちに気づかれたら、どう思われるだろう。上司と部下のバランスも崩れる。でも何よりも中山さんからはっきりと拒絶されるのが怖かった。

何かをすぐに答えないといけないと思ったけど、言葉がでてこない。頭の中ではめまぐるしく「いえ、違います」と「はい、好きです」がまわっている。

「いえ、違います」と答えれば、きっと何もなかったことになる。中山さんもそれ以上、問い詰めてはこないだろう。でも、もし、もし私が「そうです」と答えたらどうなるの?

今までずっとずっと想像してきた。中山さんが私の気持ちに気づく瞬間を。そして自分を好きなのか、と尋ねられる瞬間を。そのとき私はYesと言えるのか? それともNoと嘘をつくのか? 何度考えても答えは出ていなかった。

その瞬間が今、想像じゃなくて現実になっている。中山さんが私の答えを待っている。

私の答えが遅れれば遅れるほど、それはYesを意味することになる。「好きです」と言うなら今しかないという誘惑にもかられ、決して言ってはいけないその言葉を言ってしまいたいという衝動に襲われる。

けれど混乱した気持ちの中で私が発した言葉は、小さな「いえ、そんなことないです」だった。

中山さんの緊張した表情がわずかに緩んだように感じたのは一瞬のことで、すぐにまた彼の顔に緊張が走った。

「いえ、そんなことないです」と言いながら私は泣いてしまったんだ。涙が止まらなかった。もう伝えてしまいたい、苦しい。自分では思いを断ちきれなくて、何度も何度も一人で泣いていた。あふれる思いを言葉では抑えきれずに心が体が叫んでしまった。

「あなたがこんなに好きなんです」と。

全身で伝えてしまった彼への思いを私はどうすることもできず、ただ下を向き、落ちる涙を手で覆うことしかできなかった。

どれほど沈黙が続いただろう。中山さんは震える私をそっと抱き寄せた。私はどうしていいか分からないまま彼の胸に顔を沈めた。ずっと夢にまで見ていた彼の腕の中は静かで、穏やかで、そして優しかった。

このままずっとこうしていたい。

静寂を破ったのは彼にかかってきた電話だった。彼は私をそっと離し、スマホの画面を見る。あぁ、きっと奥さんなんだろうな。切なさが胸をついた。

「好きです」

消えるような声だったけど、確かにその私の言葉は部屋に広がった。

彼は電話を終えたあと、また私を抱きしめてくれるだろうか。


1167文字

#短編小説 #連載小説 #告白 #中山さん #上司  

なんとなく続編を書いてしまいました。というより、書いているうちにつながりました。続編だけど、どっちが続編? みたいなお話ですが、お時間ある方は覗いていってくださいね。

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