「さやか、ごめんね、突然来ちゃって」

春菜がコンビニの袋を手で持ち上げながら笑った。春菜は大学のときの友達だ。でもこんなふうに突然うちに来ることはすごくめずらしい。

「うん、それはいいんだけど、どうしたの？」

頭痛でズキズキしながらも笑顔を作る。

「仕事で近くに来ててその帰りだったんだけど、さやかを見かけたの。それで電話したんだけどね、出ないから押しかけちゃった」

そう言った後に春菜は入っていいかと目で合図して、私が断らないことを確認してから部屋に入った。今は気持ちが落ち込んでいて頭痛もひどいから一人になりたかった。でも入ろうとした春菜を断れなかったのは、誰かにそばにいてほしいと思っていたからかもしれない。この苦しい胸の内を聞いてもらうことなんてできもしないのに、聞いてほしいと思っている自分もいた。

私は職場の上司の中山さんと週末に初めてのお泊まりをした。そして今日、月曜日に中山さんは欠勤した。奥さんが入院したからだ。中山さんと連絡が取れない不安な気持ちを抱えながらも仕事をなんとかこなしたけど、奥さんが会社にかけてきた電話を私がとってしまって、すごく動揺した。

何の心の準備もないまま奥さんと初めて話して、その電話の向こうから「利香子」と奥さんを呼ぶ中山さんの声が聞こえて電話が切れた。そんなの聞きたくなかったのに。泣くのを必死に我慢して家に帰ってきたけど、トイレに飛び込んで泣きながら吐いてしまった。そんな後に春菜が来た。

「座っていい？」

「あ、うん。座って。今コーヒーでも入れるね」

そう言ってキッチンに向かう。ポットにお湯を沸かしながら、春菜には気づかれないように頭痛が残るこめかみを少しさすって息を吐いた。吐き気は治まっていたけど、ちょっと頭がクラクラする。

コーヒーを入れたカップをソファーに座っている春菜に持っていって、私も横に座った。

「ありがとう」

「うん。どうぞ」

春菜は両手でカップを包むようにしながら、ふうっと息を吐いた。カップから上がる湯気が揺れコーヒーの香りがふわっと広がる。

「ねぇさやか、それ、かわいいね」

突然春菜が向けた視線の先には中山さんからもらったオルゴールがあって、私はドキッとした。誕生日に中山さんがくれた赤いガーベラの柄入りのオルゴールがテーブルに置かれている。それに春菜が気づいただけなのに、まるで私と中山さんの関係に気づかれたような気がして少し顔が強張ってしまった。

「鳴らしていい？」

春菜はカップを片手に持ちかえてソファーから腰を浮かし、もう片方の手をオルゴールに伸ばした。今、そのオルゴールの音は聞きたくない、だって泣いてしまいそうだから。だけど断ることもできなくて、私は黙って頷いた。

オルゴールのネジを巻く音がキリキリと聞こえて、やわらかな音が流れ始める。中山さんのあの日の優しい笑顔を思い出して、でも中山さんの横には奥さんがいて、そんな光景を心に浮かべてしまう。心が苦しくて涙が出そう。でも春菜に泣き顔を見せられない。理由を聞かれたらうまく答えられる自信がない。そう思って感情を堪えていたのに、春菜がその扉をノックした。

「さやか、何かに苦しんでない？　無理して笑ってるよね？」

まっすぐに見つめられ、動揺する気持ちを見透かされそうで、でも目を逸らせなくて。春菜は手にしたコーヒーをまだ一口も飲んでいないのにテーブルに置いて、ゆっくり話し始めた。

「さやか、この前の結子とのときさ、なんか変だったよね。結子が和也くんに浮気されて泣いてたとき。さやか、怒らなかった。和也くんのことをひどいって言って怒らなかった。そういうのすごく嫌いなさやかなら、和也くんのしたことを許さないはずなのに、なんか違ったよね」

急に春菜にこんなことを言われるなんて思ってなくて、答えに詰まる。「そんなことない」って言おうとしたけど、春菜の落ち着いた目に射られているような気がして嘘がつけない、言葉が思いつかない。

春菜が私の作り笑顔に気づかないはずはないんだよね。

春菜をこの部屋に入れた時点で私はたぶん分かってた。春菜にきっと問い詰められる。そして私は上手な嘘はつけない。だってもう苦しい気持ちを誰かに聞いてもらいたくて、だってもう寂しい気持ちを誰かに助けてもらいたくて。

「話してみてよ。聞くから」

話していいの？　きっと軽蔑されるよね。でも、それでも涙と一緒に言葉がこぼれ始めた。

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続きはこちらです。

オルゴールをもらった日のお話はこちらです。

友達の春菜と結子とのお話はこちらです。

第１話はこちらです。どの回も掌編としても楽しんでいただける気もしますが、よかったら「中山さん」と「さやか」の恋を最初から追ってみてください。さやかの切ない思いがたくさんあふれています。

『中山さん』専用マガジンも作りました。

ほかにもいろいろ書いているのでよかったら覗いてみてください。