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乙女の灯 (ショートストーリー)

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 春が遠くの方から顔を覗かせて、大きく深呼吸すると、木々の新芽の匂いが森の方から静かに漂ってくる。まだ寒さの残る朝、暖炉のペチカは、ロシアの骨董品店からこの町にやって来た。

 この家に住む少女のスピカは、この暖炉をえらく気に入り、寒い朝も、賑わう昼も、星の夜もその傍で過ごした。

スピカは色の白い手をそっとペチカにかざし、閉じた瞼をオレンジ色に染めてこう言った。

「あなたの灯りは私の命。私はいつもあなたと共に在る」

「あぁ、スピカ。私もそなたの柔らかな赤毛の髪と美しい手を護るよ」

 やがて、この町にも春がやって来た。朝は寒いものの、日中はポカポカと太陽の日差しを受けて室内の温度は上がる。ペチカはスピカのために、少し控えめに炎を燃やし続けた。そんな日が何日か続き、やがて太陽の照り付ける灼熱の夏がやって来た。

「スピカよ、もうそろそろ暖炉は休ませてあげたらどうだい?」父上は優しく語り掛ける。

「あなたは人間だから、暖炉の火が消えても死んだりしないわ」母上はスピカの手をそっと握りしめ、おひさまの光を浴びるよう促した。

「だめ!絶対にペチカと一緒にいるんだから。炎は消さないで!」少女は黙ってペチカの揺らめく炎を見つめて言った。

それから幾年月が過ぎ、この町に大きな洪水のウォーズがやって来た。ウォーズはペチカに向けて襲い掛かろうとした。ペチカは大切なスピカを護るために、ウォーズに懇願した。

「ウォーズよ!私の炎には愛しいスピカの魂が宿っておる。どうかこの炎だけは消さないでやっておくれ!」

「おまえはこの洪水を嫌っているかもしれないが、これは神の洗礼だ。我は神の言いつけを守らなくてはならん。すべてを流し尽すこと。運命さだめなんだ。それこそが次の世を創り直すために必要なことなんだ」

「どうかこの家の者の命だけは…スピカだけは生かしてやってくれ!」

ペチカはそう叫びながら、濁流と共に跡形もなく流されていった。


 気付くとそこは屋根の上。スピカと両親は流されたがれきの上で命を取り留めた。しかしスピカは、ペチカを失った悲しみで声を亡くした。自分が生きていることに何の意味も感じなくなってしまった。俯き、ただ一点を見つめ、力なく、動くこともせず…。

 スピカを想った両親は、マリアに祈りを捧げた。するとマリアが天から舞い降りて、スピカに問いかけた。

「あなたがもし、ペチカと共にいたいのであれば、丘の上の教会においでなさい。すべてはそこに開かれています」

 それを聞いたスピカは、一目散に丘の上の教会を目指し走った。スピカの涙が星屑となって流れ流れて、やがて星の線となり天に上っていく。

教会に着くと、一人の若者がそこに膝を就き、俯いていた。スピカに気付きそっと顔をあげた。その顔を見て、スピカは叫んだ。

「ペチカ!!あなたはペチカなのね!」そっとスピカは彼を抱きしめた。

彼は何も言葉を発しなかったが、スピカはすべてを察した。

「あなたはあの大洪水で流されても、私の事を想ってくれていた。そんなあなたに神は命を吹き込んだ。言葉を返せなくとも、私にはわかるわ。今、私が生きていること、そしてこうして話せていること。すべてあなたが私を護ってくれていたから。あなたは私の命の灯りだから…。」

 ペチカは優しくそっとスピカを抱きしめながら心で想った。

「大切なスピカよ。一緒に帰ろう。」

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 何かを失うということは、また、何か大きなものを得るということ。大切なものは、たとえ手を放しても、また別の形でやってくるということ。

 起こることをそのまま、ありのまま受け入れること。怖いけどやってみる。そこに生まれる新しい道は、星屑のように天に舞い上がり、やがて青白く光る、明るい一等星となることだろう。






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