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薪拾い

10月の末に母のところへ立ち寄ったとき、いつもこの時期なら家の外に冬を越すのに十分な薪が積まれているのに、ほとんどそれがないことに気が付いた。母の家には石油ストーブもファンヒーターもエアコンもない。暖房は薪ストーブと豆炭こたつだけだ。電気やガスに頼りすぎない母の暮らしぶりについて書いた記事はこちら↓

会いに行くといつも気丈にふるまってはいるものの、年相応の衰えは行くたびに感じていた。さすがに冬を越せるのか心配で、薪拾いの手伝いをするために母のところへ行ってきた。

母の家の近くにはダム湖がある。通常は水が溜まって湖のようになっているのだけれど、堆積した土砂を取り除くため、今は水が抜かれて湖底の土砂が露わになっている。地形的に流木が貯まりやすい場所まで下りて行くことができるため、母はよくそこまで流木を拾いに行くのだ。

大量の流木

流木は川を管理する側からすると厄介者のようで、場所によっては流木を配布したりしているらしい(母は流木を拾うのに、ちゃんと河川事務所に許可をもらっている)。

若い時に痛めた膝が痛いといいながらも、それなりの傾斜がある坂道を下って流木を拾える場所まで着くと、細めの木を選んでは少し上の段まで放り投げている。沢山抱えて斜面を上るより負担の少ない方法を考えながら工夫しているんだとか。一緒に薪を拾って運んでいるうちに、寒いだろうと着込んでいった上着はいらないくらい暑くなってくる。冬の間も、多少の寒さを感じること、身体を動かして温まることも必要なことだ、と母は言う。

2人で運んだ薪は、母の愛車ジムニーの後ろいっぱいになった。一週間くらいはもつかなー、と思っていると「これで3日分くらいかな」と言われてたじろいだ。
遠い外国から運ばれてきた石油に頼らなくても、日本人は昔から暮らしの中の身近な場所で手に入れられるもので火を起こして生活してきた。現代に生きる日本人には、ガソリンや灯油が高くなったからと言って、母のような暮らしを選択する人はまずいないだろうと思う。苦労の絶えない人生を歩んできた母なので、年老いたら余生を楽に暮らせばいいのに、と思うのは娘の勝手なエゴだったのかもしれない。

寒い中毎日薪拾いに出かけることも、母の生きがいなんだなぁ、と感じた。だって、何より楽しそうだから。畑の作物も残るはネギくらいなんだけれど、片隅に伏せてある植木鉢の下にはピンクと黄色の花が咲いていた。こんなに寒くなったのに...。霜があたるとかわいそうだから、植木鉢を被せているそうだ。植物や虫、鳥や野生の動物たちにまで話しかけながら、毎日忙しそうだ。ボケている暇はなさそうなので一安心。また薪拾いの手伝いに時々行こうかな。

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