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総合型選抜・学校推薦型選抜

新大学入試制度1年目の真実。コロナで大混乱。
連日、週刊誌の一部は大学入試の話題でもちきりだ。

AO入試が総合型選抜となった。これ自体は特筆すべきものではないが、より多角的な視点で受験生は評価されることになる。人物重視・個性重視と言われて十数年。この制度は一般入試の逃げ道だったのか。学力試験回避の道しるべだったのか。勿論その側面もある。広末涼子が早稲田大の教育学部にAO入試で合格したときはマスコミが退去してキャンパスに訪れた。しかし一方で、多くのバッシングがあったことを覚えている。一般入試の狭き門をくぐり抜けてきた学生にとって、その手法は裏口入学にも近い印象を受ける。勿論学力検査をする大学もあるが、小論文や、面接のみ、もしくは書類選考だけなんて大学も散見される。
自分の大学生の時を思い返してみれば、AO入試で入った学生は入学してからどうだったとか分からないくらい一般入試の学生と同化していた。大学によって異なるだろうが、意外にも一般入試の学生と同じ雰囲気の学生たちばかりだったように思える。後からAO入試だったと聞いて、「えっ、そうだったの」と驚くほどだ。主体性や学習や研究に望む意欲を評価しているのだから当然と言えば当然である。

しかし、自分の記憶でも、昨今の学生の声にも共通したものがある。

指定校推薦の学生の素行である。

「騒がしい・意欲がない・成績が悪い・主体性がない・フィールドワークをしない・ノートコピーが頻繁に起きる」
自分が遠い学生生活を思い返して、指定校推薦で入学してきた学生に持った印象である。勿論真面目に学習している学生はいる。それはよく理解している。しかしながら、自分の経験でも指定校推薦で入学してきた学生はおおよそ素行が悪かった。偏見のようで申し訳ないが、これが率直な自分の意見である。

そもそも指定校推薦の問題点は『評価』にある。学校の定期テストの結果や日頃の学習態度・生活態度が校内審査会の主な論点であるが、学校によっては指定校推薦をとるために生徒会に入り、ただ在籍している学生が見受けられる。また、そのような生徒は指定校推薦狙いのため、全国模試を決して受けない。自分の実力を知るのが怖いのか、大学にこだわりがないためなのか、とにかく相対的な評価をさせることを避けようとする。一方で一般入試はその相対的な評価の中に身を投じなければならず、昨今の定員厳格化による高倍率が競争に拍車をかける。

今回、公募制推薦と指定校推薦が一緒に統合して『学校推薦型推薦』になった。これにより何かしらの学力検査を課すことになった。これで少しはまともな大学生が増えるのかと思いきや、文部科学省の「何かしらの学力検査」この内訳がプレゼンテーション・小論文・大学共通テスト・独自の学力検査なのだ。プレゼンテーション能力はこれからの社会では不可欠なものになるだろう。しかし小論文はどうだろうか。高度なデータの読み取りや考察を必要とするものなら問題はない。しかし、「大学生になってやりたいこと」など、小論文とも呼べないような評価しようがない課題だったら、結局のところ、旧指定校推薦の悪しき慣習をそのまま継承してしまうに違いない。

学術に携わる者として、切磋琢磨なしに人の知識は醸成されないと考える。独自の思想があるにしてもそれを発表できるコミュニケーション能力やプレゼン能力は必要であろう。

昨年までの指定校推薦の一部のような指定校推薦枠に選ばれるためにすべての奉仕活動が行われるような悪しき伝統が今後なくなればいいと思う。

休校措置と新大学入試制度でふしだらな受験生がどう淘汰されるのか注視していく必要がある。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》