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戦略的モラトリアム【大学生活編】(31)

大学3年の春がやって来た。いよいよ大学生活も折り返し地点を過ぎた。このままだとあと2年足らずで自分のモラトリアム生活が終わってしまう。大学院について色々調べてみたけれど、確かに難しい都は思うけれど、想像していたものよりはもっとユルかった・・・・・・というのが素直な第一印象だ。きっともっと難しい大学院なら、違った印象なのかもしれないが。ただ、「教育学」を研究するにしても、もっと具体的な「何か」をテーマに決めなければならないらしい。大学院とは誰かから知識を享受されるわけではなく、自分で切り開いていくものらしいから。そう考えると、自分の興味を持ったものがそのまま修論テーマになるから、それはそれで面白いし、主体的に研究できるね。

と、そんな感じで少し大学院のスパイスをきかせた自分の大学生春休み2回目が終わってしまったわけだが。ふと、今までの人生を振り返ると、学校をあれだけいやがっていた自分が今のような感情や思いを抱くことが奇跡そのものなのではないかと我ながら驚いてしまう。しかし、自分の根幹は変わらない。失った10代の混沌を20代前半でやり尽くすこと。つまり、何もすることがないモラトリアムを楽しみ尽くすことだ。

ここで再確認。

自分はモラトリアム人間であり、この猶予期間を高貴なブランクとして勝手気まま、縦横無尽に楽しみ尽くすことに自分の大学のテーマはある。そのブランクの一部を教職課程で埋めているだけで、決して教職員を志しているわけではない。あんなヤツらの一味になど加わりたいとは思わない。今まで自分がどれだけ虐げられ、除外され、煙たがられてきたのか嫌というほど分かっている。彼らはまさに「その加害者一味」なのだ。田舎のご近所社会もろとも滅んでしまえばいい。

教員という人種に対する嫌悪感と敵愾心は20才を過ぎても収まるどころか、より際だって酷くなってくる。大学教授の無気力な講義を受ける度、彼らの過干渉な姿勢に虫酸が走る。

「善人ぶりやがって」

人の気持ちも考えず自分の考えだけを押しつけるその姿勢と態度
独善的な欺瞞と下卑たるものを見る目

彼らは勘違いした特権階級気取りなのだろう。自分が苛烈ないじめを受けているときも、不登校になったときも、彼らの対応はいつもトラブルを悪化させてきた。

もはや教員=トラブルメーカー とでも表現しても良いくらいの猜疑心がまだ自分の中にはある。自分の周りには教員を目指す口だけ綺麗事のいいこちゃんがわんさかいる。

かれらが夢にまで見ている教員なんて、自分にとってはただのサラリーマン……以下。

そう、今年は盲学校・聾学校と知的障碍者授産施設での実習がある。このまま自分が教員免許取得へのレールに乗っかったままでよいのだろうか。
研究会での熱い議論の雰囲気と綺麗事だけを並べ立てて、「よい教員とは」像を研磨し続ける自分の周り……。この2つの光景が頭の中で錯綜する。そう、教員免許まで気が付けばあと少し。なんだかんだで山の中腹まで登ってきてしまっているのだ。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》