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短編『巡る世界のきみとぼく』

「何か大事なことを忘れてしまっているような、そんな気がするの」

 彼女は真剣な面持ちでぼくに相談を持ちかけた。そこは待ち合わせに使用している大学の噴水広場。大学構内にあるその場所は、学校内の用事も、街中に遊びに行く人にも良く待ち合わせ場所として利用している。

 目の前にいる彼女は、長い髪を巻くように一本に束ねている。大学生になった今も幼さを残した表情をしていて、奥二重の目を懐っこそうに細めてこちらを覗き込んだ。

 身長が低いのを気にしている彼女だが、個人的にはそこがチャームポイントだと思っていて、よく頭を撫でている。

 彼女は子ども扱いされていると思って首を振って嫌がるのだが、その姿も猫みたいで可愛いなと思ってしまう。

「聞いてる、ゆう?」

 彼女が下からぼくの顔を覗き込んできた。

「聞いてるよ、めぐ」

 本名は互いに3文字ずつだが、昔からあえてお互い愛称で呼ぶようにしていた。

 彼女の背後の噴水が形を変えて、中から人形が飛び出してダンスを踊り、噴水が大きく跳ねた。
 この噴水は、1時間に一度、こうして形が変わって派手な動きを見せる。

 今は、2045年8月31日13時。
 本日、13回目の噴水ショーが始まった。

「そろそろ、映画の時間だ。行こうか」
「わかったよ、でも思い出せるように一緒に考えてよ」

 指を立てて、ぷんぷんと口をへの字に曲げた。めぐの言葉にぼくは、小さくうなづいた。

「めぐ、ごめんね」

 何度こうして謝っただろうか。
 めぐは、こちらを振り返ると首を傾げた。

 次の瞬間のその場の全てが崩れ始めた。
 人が集まっていた広場も、その中にある噴水も、歩いていた人たちも、バラバラになる。

 そして、手を伸ばすめぐの手を、ぼくは今回も握り返すことが出来なかった。

****

2045年8月16日14時

大学生の夏休みは、7月下旬から8月上旬から始まる。

めぐとぼくも、大学の前期講義が全て終わり、休みに入っていた。

今日は待ち合わせついでにカフェに寄った。

テストやら、ダイエットやらでめぐのデザートに対しての執着は増しており、今かと今かと待ち侘びている。

「そんなに焦らずともすぐ来るよ」
「もう、そう言って2週間以上我慢したんだから」

 いー、と歯をむき出しにして見せてくれためぐの歯は凄く綺麗だった。程なくして沢山のクリームにバナナと苺が載ってチョコソースやチョコチップがトッピングされた高カロリー爆弾のようなパフェが運ばれてきた。
 それを幸せそうに表情を崩し、口角を上げてほうばる姿は、見ている人にも幸せのお裾分けをしてくれるような感覚を覚える。

「今日はこれから何かするの?」

 口の周りにチョコソースとクリームを付けたまま、ぼくに話しかける彼女の顔を紙ナプキンを当てると、くすぐったそうに笑顔を見せた。

「そうだね、めぐが行きたい場所はある?」
「ぜーんぜん、図書館くらい」

 めぐは、本の虫と呼んでも遜色ないくらい本が大好きで暇さえあれば大学の図書館に入り浸っている。

「折角前期の講義も終わったし、今日は大学を離れて街の方に行こうか」
「うん、いいよ」

 ぼくの提案を肯定しためぐは、再びパフェを口に入れ始めた。

****

 ぼくらが呼んでいる街とは、映画館やカラオケ、ショッピング施設などの店舗が商店街に集結している場所を指している。

 郊外に行けば、ショッピングモールがあるけど、足のない自転車移動がメインのぼくらはもっぽら街に足を運ぶことになる。

 それでも、子供頃から慣れているこの場所は、暇を潰すにはもってこいの場所だった。

「よし、街まで来たし何しようか?」

 めぐがワクワクした様子でぼくを見る。
 両手を胸にあてて、ぴょんぴょん跳ねる様は、子どものようで可愛く見える。

「今日は映画に行くのは、どうかな?」

 ぼくの提案に少し考える様子を見せためぐが、名案を思いついた顔をして、指を1本立てた。

「身体を動かしたい気分だからバッティングセンターにいこう!」

 ぶんぶんとバットを持った様子で、エアバッティングを始めた。

 ここまでノリノリの彼女を止めるつもりはない。ぼくは了承して、2人でバッティングセンターへと向かった。

****

 そこは、街から自転車で10分ほど離れた位置にある。
 中から、ぱこーん、とバットでボールを打ついい音が聞こえる。

「よっし、今日こそホームラン〜♩」

 めぐは、中に入ると早速打席に立って、バットを手にした。お金を入れると、目の前のピッチャーの映像が動き始めた。

 映像に合わせて、ボールが打席に投げ込まれる。車が走るような速度の球は、瞬きの間にバンという音と共に目の前のネットに吸い込まれた。

「あーもう、ここの球、相変わらず早すぎ」

 悔しそうにバットを回す様は、可愛くてくすりと笑えた。

「あ、笑ったー!絶対打ってやる」

 再び、バットを振るめぐは、ぼくをみて首を捻った。

「ゆうは、やらないの?」
「ぼくは、いいよ。苦手だから」
「いやいや、私よりも得意だったじゃん。確か、パーンってホームランを…」

 そこまで言いかけて、めぐから表情が消えて、思考するような顔になった。

「あれ、ゆうともう1人、誰か私たちを見てくれる人がいたような…」

 言っている間に次の球がめぐの横を通過した。それでも、考え続けるめぐは、

「ダメ、思い出せない…。なんだろう気持ち悪いなぁ。いいや、とりあえず、バットフリフリする!」

 めぐは、正面を向いて再びバットを振り始めた。今日はめぐがホームランを打つことは無かった。

 もちろんぼくが打席に立つことは無かった。

****

 終わった後、ぼくらは街の図書館に来た。
 ここは、大学の図書館と異なり、漫画なども蔵書があり、子どもたちも昔からお世話になっている。

 ぼくは漫画を手に取り、めぐは小説を手に取って時間を潰した。

 その耳にはヘッドホン。
 めぐは、集中するためにワイヤレスヘッドホンをつけるようにしている。

 ただし、放っておくとお腹がすくまで読み続けるため、図書館は2時間とルールを決めている。

 ぼくは漫画を読んでいるようでめぐの横顔を眺めていた。バットを一心不乱に振っていた姿から想像出来ないくらい静かに本を読む姿は、優雅に見える。

 その姿をずっと見てきたけど、ぼくはいまだに見惚れてしまう。

 彼女といられる時間は、ぼくにとってかけがえのないものだった。

 気付くと、2時間は瞬く間に経過してぼくは、めぐの肩を叩いて声をかけた。

「めぐ、そろそろ時間だよ」
「もう、そんな時間もう少しだったんだけどなぁ」

 名残惜しそうにヘッドホンを外すめぐ。
 ぼくは、めぐに制するように手のひらを見せた。

「それなら、終わるまで読んでいいよ」
「え、ありがとう!」

 めぐは、嬉しそうにヘッドホンを付け直して、再び読み始めて帰る時には日が落ちていた。

 帰り道、めぐは少し申し訳なさそうな顔をしていた。

「遅くなってごめんね。声かけてくれて良かったのに」
「いいよ、ぼくはめぐが本を読んでる姿を見るのが楽しいんだ」

 ぼくの言葉を聞いためぐは、顔を両手で隠した。

「もう、何言ってるのよ。いつもよりもキザなことを言うね」

 もー、と嬉しそうな声をあげるめぐは、やっぱり可愛い。そんな表情から少し頬を赤らめて探るような喋り方になった。

「ねえ、今日はこの後、どうする?うちに来る?」

 視線を合わせない辺りでどんな意図があるのか、なんとなく理解できた。でも、ぼくはこの誘いを受けるわけにはいかない。

「ごめんね、今日はこれから用事があるんだ」

 半分は嘘だった。
 でも、どちらにしても今のぼくには断らないといけない理由があった。

 めぐは、あからさまにしょぼんとした後に、

「また、今度ね」

 と、釘を刺すようにぼくを見つめた後、手を振ってその場を後にした。

 ぼくはめぐに手を振りかえすと、背を向けてその場を後にする。

 そして、向かうのは噴水広場。
 足を運んだ時間は、20時。
 ここでは、毎日1時間おきに噴水が形を変えて、噴水の水が大きく跳ねる。

 そして、水に映像が映し出される。
 白衣を着てメガネにボサボサ頭の女性が映った。

『首尾は、どうだ?』
「まだ、思い出せていないです」
『原因も?』
「そうですね」

小さなため息が耳に届いた。

『何度も口にしているが、今回が限界だから。それを頭に入れておきなさい』
「分かっています。なんとか、思い出せるように頑張ります」
『いや、それだけじゃなくて…』
「先生、分かってます」

 肯定の言葉を重ねると、先生はしばしの沈黙の後に、言葉を綴った。

『きみのことは信頼しているが、責任を負いすぎるところがある。ときには、私や他人に負わせることも覚えた方がいい』

 心配してくれていることが、伝わってきて嬉しくなる。

「はい、ありがとうございます」
『もしかしたら、彼女が過去に残しているものがあれば、それと現在の整合が取れず、思い出す手掛かりになるかもしれない』
「分かりました。それでは、また」

 先生とのやり取りを終えると、噴水は自然と収まった。辺りは何もなかったように静かになり、ぼくは空を仰いだ後、自宅に帰り始めた。

****

 2045年8月23日12時

「ねえ、少し遠出してみない?」

 めぐが珍しく大学周り以外の場所を提案してきたので、驚いて返事が遅れた。

「な、何よー。私が遠出しようって言うのがそんなに珍しい?」
「そうだね、めぐは図書館と地元をこよなく愛してるのだと思ってたよ」
「間違っちゃないけど、間違ってるよ!」
「どっちなの?」

 ぼくが突っ込みをいれると、めぐが笑い、ぼくも釣られてお腹を抱えて笑った。

「それでどこに行くの?」
「電車で30分くらいで行ける海があったでしょ。そこに行きたい」

 そこは、滅多に行ったこと無かった。
 ぼくとめぐは、少なくとも2人で行ったことはない。

「分かった、じゃあ、まずは駅に行こうか」

 ぼくらは、大学前からバスに乗って駅に向かった。

****

「風がきっもちいー」

 めぐが両手をあげて大きく伸びをした。
 辺りにはカップルや家族連れの姿も見えて海に入り、遊んでいる。

「水着持ってくれば良かったね」
「そうだね、今度は持って来ようよ」
「うん!」

 返事をしためぐと2人、靴と靴下を脱ぎ、ズボンを折り曲げて、水遊びをした。

 バシャバシャと足で水を跳ねると、気持ちいいけど、ズボンがビシャビシャだ。

「あはは」
「きゃっはは」

 時間を忘れて2人で笑い合い、はしゃいだ時間は楽しくてずっと続いて欲しいと願ってしまいそうになった。

 そんな時間も終わり、海から上がって2人でタオルで足やズボンを拭いた。

 2人で笑い合った時間は終わり、砂浜に腰を下ろした。

「また、2人で来よう」

 ぼくの言葉に、それまで笑顔を見せていためぐの表情を曇った。

「ねえ、ゆう。私最近、変なの」
「変って?」
「既視感を覚えたり、誰かのことを忘れているような感覚に何度も襲われるの。だけど、どうしても思い出せない」
「めぐ、それはどんな人?」
「背が高くて、多分、いつも笑ってて、おっちょこちょいで謝ることも多いような…」
「その人の名前は?」
「それが思い出せないの。どうしても、思い出そうとするとノイズが入るような、頭にピリッと痛むような感覚になる」

 めぐが頭を抑えるような仕草を見せた。
 彼女なりにたくさん悩んだのだろうことが見て取れた。ぼくは、めぐの肩に手を置いて、首を横に振った。

「無理に思い出さなくていいよ。ここも、何か思い出せるかと思ってきたの?」
「うん、ここも来たことがあるような気がしたの。ゆうと一緒にきたと思ったけど、やっぱり既視感はあるけど、思い出せなかった」

 めぐは、何かを思い出す入り口に立っているような気がした。ぼくに出来ることは、めぐの手伝いをすることだけだ。

「めぐ、過去を記録するようなことをしてない?例えば、日記とか」
「日記なら、家にあるけど…」
「今から、家に行ってもいい?」
「え、えっと、でも、片付けとか」
「じゃあ、家の前で待ってるから」

 渋々と言った様子でめぐは、了承してくれた。

****

 めぐの家で10分待って入った部屋の中は、綺麗に片付いていた。でも、めぐとしてはまだ散らかっているとのことでその点についてはぼくには分からなかった。

「とりあえず、お茶でも飲む?」

 めぐの提案にぼくは首を振った。

「ごめん、早速日記を見せて欲しい」

 めぐは、そうだよね、と少し残念そうな表情を見せながら机の中から一冊の大学ノートを取り出した。ずっと書き続けているからか、vol.35とタイトルに入っている。

 めぐは大学生になるよりも前からこのノートを書いていたのだろう。

「これが最近のやつ?」
「うん、今月頭から書いてあるよ」

 多分、本人しか読むことを想定していないことが書かれているのだろう。恥ずかしそうにこちらに手渡してきた。

「読んでも大丈夫?」
「うん…、いいよ…」

 めぐの了承を得て、ぼくは日記を開いた。
 確かに、今月頭からの内容が書かれている。

 しかし、ぼくは読んでいて違和感を覚えた。

 あれ?
 ペラペラと読み進めていき、日付が本日に追いついたところで確信に変わった。

「めぐ」
「は、はい!」

 ぼくが真剣な面持ちで話しかけたことでめぐがピシッと背筋を伸ばすようにして、返事をした。

「確認するけど、これは毎日めぐが書いているものだよね」
「うん、寝る前に書くようにしてるよ」
「じゃあ、今日以降の内容が書かれているのも記憶にないよね?」

 その問いにめぐが息を呑むのを感じた。

「書いて、ないよ。本当だよ」

 言葉を口にしながらぼくから日記を受け取った。今日のことも書いてあるし、明日のことも書いてある。ただ、8月30日でそれも終わっている。

 そして何よりも驚いたのは、

「これ、今日の出来事が全然違う」

 そう、日記に書いてあるのは、『海にゆうと一緒に遊びに行った。でも、濡れるのを嫌ったゆうが海に入ってくれなかった。仕方がないから、しばらく1人で遊んだけどつまらなかった。帰りも、つまらないことで喧嘩をして散々だったな』だった。

 ベースとなるイベントは一緒なのに、結果が全然違う。

「これも、これも…」

 先日一緒にバッティングセンターや図書館にいった内容も、バッティングセンターで打てなくて馬鹿にされた、図書館に行ったらいつの間にかゆうが帰っていたなど、先日過ごした内容と違うことが書かれていた。

「ゆう…、ゆうって、こんな人だった…」

 めぐがまた、こめかみを抑えて何かを思い出そうとしている。そして、ぼくを見る。
 その表情には、理解できないものを見たような困惑の色が見える。

「ね、ねえ、ゆう…、ゆう?いや、えっと、ゆうは違う。あなたじゃ…ない」

 少しずつ、点しか見えておらず見えていなかったものが線になって形を帯びていくように、めぐの中で記憶が繋がっていっているのかもしれない。

 めぐが両腕を抑えて震え始めた。

「ねえ、あなたは、誰なの…?」

 ついにこの答えに辿り着いた。
 ぼくは、一度目を閉じて心を落ち着けてから、めぐの視線を受け止めた。

「ぼくのことは、まだ言えない。でも、名前はゆうじゃない。この日記を見ても、分からない。この答えはきっと、めぐが思い出す必要がある」

 それだけでは当然納得のできないめぐは、ぼくから距離を置くように後ずさった。その姿を眺めたぼくは、静かに笑って見せてから立ち上がり部屋のドアに向かった。

「明後日の19時ごろに、大学の噴水広場に来てよ。そこで、話すよ。ぼくのことを」

 それだけを告げて、部屋を後にした。

****

 2045年8月25日18時45分

 ぼくはドキドキしながら、噴水広場にいた。
 めぐには、啖呵を切るように言ったけど、内心は心臓がバクバクしていた。

 あの幸せな時間が無になったような不審者を見るような目つきが忘れられない。

 でも、致し方ない。
 彼氏として、この場所に居座っていたのだ。

 嫌われてもしようがないし、今も来なかったしてもそれもまた、運命なんだ、と。

 そんなことを思考していると、

「だーれだ」

 目隠しをされた。いつの時代の遊びだろう。
 最近やっている人なんて見たことのない相手を驚かせる遊び。

 でも、ぼくには効果てきめんでビックリして転げ落ちてしまった。

「もー何やってるの」

 あはは、と笑うめぐを見て、ぼくは思わず涙ぐんでしまった。

「ちょっと、大丈夫?痛かった?」

 ぼくは、首を左右に振った。

「いや、来てくれて嬉しかった」

 その言葉にめぐは、俯いてから、

「あなたが誰だったとしても、一緒にいて幸せだったから」

 その言葉がきっと真実なのだろう。
 ぼくは歯が震えるほど、泣きそうになった。

「だから教えて欲しいの、あなたのこと。あなたは誰で、どうしてあなたをゆうだと思っていたのか」

 ぼくは、瞳の涙を拭った。
 応えなければいけない。
 めぐが今立ち向かっている事実に、この先の真実に。

「ぼくの名前は、ゆうじゃない。そして、めぐは知っているはずだ。ぼくらは、いつも3人一緒だった」
「私たちは3人だった…」
「背が高くて、成績が良かった、ゆう。可愛くて、本とスポーツが好きな、めぐ。そして、ぼくは何も取り柄がなかった」
「そんなことない!」
「え」
「あなたはいつでも、優しかった。一緒にいて楽しくて、ずっといつでも…、そばにいるの心地が良かった」
「めぐ…」

 めぐの中でまた、点と線が繋がっていっているのだろう。ぼくとの思い出がまた、何かの点に繋がった。

「貴方がいたから、私は今ここにいる。きっと、いつも助けてくれていた」
「そんなことない、ぼくもめぐに助けてもらってたんだ」

 ぼくも彼女への想いを告げる。
 いつも、めぐがいたから頑張れた。

「ごめんね、でも、あなたの名前だけが思い出せない」

 ぼくの名前にはフィルタがかかっているかのようにどうしても思い出せないようだ。

「大丈夫、ここまでくれば後少しだ。日記のこと覚えてる?」

 聞くと、めぐは手元の鞄から日記を取り出した。

「使うかと思ってもってきちゃった」
「ありがとう、めぐは8月31日何かが起こって、事故に遭った」
「え、どういうこと?まだ、8月25日だよ?」
「ここはめぐの記憶から作られた過去の世界だから」
「じゃあ、私はどうなってるの?」
「意識が戻らない。その原因がきっとその日の事故にあると思ってるんだ」
「そっか」
「ただ、場所は分かっているから8月31日に一緒にその場所にいこう。それで全てを思い出せるかもしれない」
「分かった、でも、思い出せなかったらどうなるの?」
「ごめん、それも分からない。ただ、ぼくを信じてついてきて欲しい」

 ぼくの言葉にめぐは、大きくうなづいた。

「分かった、あなたについていくよ」

 決意してくれためぐに感謝して、明後日の同じ時間にこの場所に集合することを約束して、家まで送り届けた。

 そして、帰り道再び噴水広場に戻ってきた。
 日付は深夜に差し掛かっていた。

 噴水広場の水が大きく跳ね上がったところで、映像が浮かび上がった。

『経過の方はどうだ?』
「大きな進展があって、彼女の記憶が殆ど戻ってきました。あとは、ぼくの名前と原因となった事故のことだけです」
『そうか、それじゃあ、あと少しだな。しかし、まだ名前を思い出してないのか。大丈夫か?』
「それは、致し方ないです。ここまで大きく進展したことですし、後少し…」
『いや、分かっているだろう。このまま、名前を思い出せない場合、君はその世界では何者でもないから戻ることが出来ない』
「勿論、分かってますよ」
『全く、本当に君と言う男は…』

 呆れるように深いため息をついた。

『私からは健闘を祈ることしかできない。何度もいうが彼女の意識レベルから、ループはもう起きない。これが最後だ。だけど、帰ってきて欲しいと願うばかりだ』
「はい、ありがとうございます」

 そこで噴水は、再びパシャリと落ちた。

 ぼくの心は、湖の水面のように落ち着いていて静かにその場を立ち去った。

 そんなぼくの様子を、背後で見ている人影に気づきもしなかった。

****

 2045年8月31日19時

 ぼくらは噴水広場に集まった後、レンタカーに乗って移動した。

 緊張した面持ちのめぐは、道中何も喋らずに到着するまでお互いに無言だった。

 そして、向かった先は大学から車で30分ほど離れた山道を登る途中にある眺めの良い車を停めることが出来る場所。

 良く、カップルが車を停車してビルや家屋の光りがよく見えるそこからの眺めを見ていることが多い。

 ぼくらは、ガードレールに横付けして車を停車させると車から降りた。僕らの他には誰もおらず、独り占めのような状態だった。

 降りても一言も言葉を発さないめぐに違和感を覚えながらぼくは、めぐに語りかけた。

「めぐ、ここがきみが最後に行った場所だ。何か思い出せることはあるか?」

 ぼくの問いに、めぐは答えずにガードレールに近づいてから下を眺めた。
 それから、ふっとこちらを振り返っためぐの瞳には涙が溜まっていた。

「めぐ?」
「私ね、あなたが思うような女性じゃない…。こんな記憶抱えて帰れないよ」
「めぐ、どういうこと?」
「思い出した、あのときのこと、全部」

 多分、ここに来る前からすでにめぐは全てを思い出していたんだ。でも、

「どういうこと?どうして、帰れないの?」
「私は、あのとき、ここで別れ話をしてたの。ゆうに。もうあなたとは一緒にいたくない。貴方なんかより、きみの方がずっと優しくて大好きだからって。ゆうなんて嫌いだって言ったの。もっと、言い方は沢山あったのに!嫌われるために、わざと酷い言葉を選んだ」

 思い出すように、そして汚いものを触るように自分の記憶を少しずつなぞりながら彼女は手を震わせながら語る。

「私は自分の感情を優先して、ゆうのことなんて考えずに言葉を投げつけた。結果があの事故。ゆうは、私の言葉に耐えられずに、逆上して私ごとこの場所から車を走らせて落下。ねえ、私どうなってるの?生きてるの?それなら、ごめんね。私をこのまま死なせて…。私はあなたの前に立つことなんて出来ないよ…。だからかな、今でもあなたの名前を思い出さない」

 感情のままに、涙を溢しながら語る彼女の言葉は、きっと今の彼女の思いそのままなのだろう。でも、ぼくはその思いを受け入れるつもりはない。

 ぼくは彼女の隣まで近づくと、頭にポンポンと手を置いた。

「ねえ、めぐ。人って、そんな清廉潔白な存在じゃない。だから、そんなに自分のことを責める必要なんてない。めぐが思っているより人は、自分の思いを優先してしまう生き物なんだよ」
「なんで、貴方がそんなことがわかるの?」
「だって、ぼくがそうだったから。バッティングセンターでかっこいいところを見せようと力んだ挙句きみを馬鹿にしてみたり、図書館で飲み物をきみに買ってあげようとして帰ったと思われたり、海水アレルギーなのにカッコつけて言えなかったり、ダサいよな」

 その独白をめぐは、目を見開いて聞いていた。

「めぐ、きみは悪くない」

 今度は頭を撫でた。
 彼女は、まだ信じられないような顔をしている。

「なんで、だって、自分はゆうじゃないって」
「ぼくの名前はゆうじゃないって、言っただけだよ」

 少しだけ意地悪だったかもしれない。
 でも、こうでもしないと彼女は本音を口にしなかっただろう。

「大丈夫だよ、きみが悩んでいたことも知っているそのうえで選んだ答えをぼくは尊重する。ただ、事故できみを巻き込んでしまったことは申し訳ない」
「いまさら、そんなこと言われても遅いよ…」

 ぐすり、と、鼻を啜りながら涙をポロポロと落としている。

「まだ、遅くないよ。めぐが生きたいと願えば生きることができる」

 ぼくが口にしたのと共に、ガードレールの先に四角い扉が生まれて、ガチャリとこちらに開いた。

 光で先は見えないけど、その先には未来が待っている。

「あなたは!?だって、私まだあなたの名前思い出してない。このままじゃ、ゆうが死んじゃう」
「聞いてたのか。いいよ、ぼくはこれで十分だ」
「いくじなし!」

 めぐが、泣き顔から一転ぐっと唇を噛んで、怒りを露わにした。

「本当は、生きたい気持ちでいっぱいの癖に逃げたりしないでよ。私はまだ、あなたにきちんと文句言えてない。私のことほんとは優しくできる癖にしてくれなかったこととか、本当は間違ってたのは私なのに謝らせてくれてないとか!」

 ふー、と一息ついた。

「あなたの口から聞きたい。生きたいの?」

 はは、と渇いた笑いが溢れた。
 そんなことは、決まっていた。

「生きたいよ、きみがぼくから離れたとしてもきみを助けられる存在でありたい。一緒にいたい」
「なら、そうしようよ。一緒に、ね。●●くん」

 それはあまりに自然と溢れるように出た名前だった。2人でふっと、笑い、くすりと溢れて、ははは、と言葉が溢れてきた。

 そして、手を繋ぐと、目の前の扉へ2人で飛び込んだ。

****

 ピッ、ピッ、ピッと規則正しく音を奏でる機械音が耳に届いた。視界が開けて見える景色は、見知らぬ天井だった。

 視界を横に向けると、ヘッドギアのような機械を頭に装着したゆうがいた。

 きっと私の頭にも同じものが付いているのだろう。

 手を伸ばすと、ギリギリ指に届いた。
 すると、同じタイミングでゆうが目を覚ました。

 彼は、ニコリと笑うと、一粒の涙を落とした。
「おかえり、めぐ」

 彼の言葉に私は、小さくうなづいた。

「ただいま、ゆう。それとありがとね、●●くん」

 終わり

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