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短編『夜学の再会』

 空に満月が淡く光る夜、僕こと倉崎直樹は通っていた高校の屋上のフェンスの外側に足をぶらつかせながら、夜闇の空を眺めている。

 学校の裏口が壊れていて、事前に窓を1つ開けておけば校内に侵入できることをかつての先輩に聞いた知識がこんなところで役に立つとは思わなかった。

 つい6ヶ月前の平凡な毎日が夢のように感じられる。
 突然のことだった、母さんが死んだのは。

 交通事故で、トラックに引かれて即死だった。
 それまで厳格であった父はこのときを境に人が変わり、酒に溺れ、ギャンブルに走り、ついには自らで命を絶った。

 その後には多額の借金が残り、遺産と家はそれで消え、残ったのは自分の身一つになった。

 元々、祖父母を亡くしていた僕は親戚なんていなくて、住む場所を失った僕は「最後に」という気持ちで通っていた学校にきていた。

 『このまま死のうかな』

 そのことばかりが頭に浮かんで離れなかった。
 どうせ生きていてもいいことなんてないし。

 全く、周辺に意識を割いていなかったところに背後に人気を感じて振り向くと、この学校の制服を着た同年代の女の子がいた。

 セミロングの髪に、色白の肌、奥二重の吊り目がしっかりと僕を見つめていた。

 彼女はフェンス越しに微笑むと、

「星が綺麗だね」

 と、顔をあげ空へ視線を向けた。釣られて、空を見上げると満天の星空がそこに広がっていた。先ほどまでは何も感じていなかったけど、言われるとその美しさにいっとき見惚れてしまった。

「ねえねえ、ちょっと話そうよ」

 気づくと彼女はフェンスのこちら側にまできて、僕の隣に座っていた。

「話すって何を?」
「なんでもいいよ。あなたのことを教えてよ」

 それから彼女としばらく言葉を交わした。
 お互いが好きなもの。
 楽しかったこと。
 家族との思い出。
 彼女との会話は、なんてことはないものだったけど、自然と言葉が溢れた。ここにくるまでは、あんなにも気持ちが沈んでいたのに。

 会話を続ける中で、ふと彼女が表情を曇らせた。

「どうしたの?」
「君って、悲しい目をしてるね」

 呟くように言った。

「ここ最近、本音を誰かに口に出来ていないでしょ。感情を表に出すことも出来なかった。溜め込んで溜め込んで、もう自分だけじゃ耐えられなくなってる。そんな雰囲気をしてる」

 彼女は呆然としている僕を優しく抱いた。

「私も苦手だったなぁ。周りのこと気を使って、困って欲しくないし、言っても伝わらないだろうなとか、勝手に諦めて。今思うと、もっと言葉にしておけばよかった」

 彼女は、告白するように、独り言のように言葉にした。

「もう我慢しなくていいよ」

 そして、僕の心を包み込むように言った。

 初対面。誰かもわからない。
 そんなことを瑣末な問題と思えるほどに僕はすでに彼女に心を許していた。

「…父さん、…母さん、なんで、なんで僕を置いて死んだんだよ。寂しいよ、会いたいよ」

 彼女の胸に涙を隠すように顔を埋めた。
 涙を見られたくないとか、そんな意図はなくただ、そうすることが正しいように感じた。その泣き方は、遊園地で親と逸れた子どものそれに似ていたかもしれない。1人の寂しさ、悲しみから解放された瞬間の吹き出した嬉しいという喜びの感情。

「辛かったね…」
 彼女はその言葉と共に、強く抱きしめてくれた。
 温かい。
 その温もりは、僕に1人じゃないと気づかせてくれているような気がした。 


 しばらくして、僕が落ち着いてから2人で手を繋いで星を眺めていた。

「僕はこれからどうすればいいかな…?」

 顔を隣にいる彼女に向けると、彼女は再び僕に笑顔を見せた。

「そんなの簡単だよ。生きてるだけで良いんだよ。別に、特別なことなんてしなくていい。生きていてくれる、それだけでお母さん達は幸せだと思うよ」

 それだけ告げると、彼女は僕の手を離し、フェンスを軽やかに乗り越えた。フェンスの向こう側に降り立った彼女は、振り返ると先ほどの笑顔から少し申し訳なさそうな表情が見えた。

「もう、行かなきゃ」

 そう言って、静かに歩いて屋上の出口に向かった。

「ちょっと…、待って。君は誰?名前を教えて!」

 僕の言葉を耳にした彼女は、1度振り返ると、

「この学校の第6期生。君の先輩だよ」

 それだけを告げて、扉を開けて去っていった。

 次の日、僕は校長先生に頼んで、6期生、20年前の卒業アルバムを見せてもらった。そこに、彼女がいた。

 昨日と変わらない姿で笑う旧姓の嶋本という名の僕の母、倉崎裕子が。

 校長先生にお礼を言って、外に出ると、自然と笑みが零れた。

 『生きよう』

 その思いで溢れていた。

  終わり


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