小林秀雄に凹まされる

いやまあ凹まされるっていうか、そうだよなーと。どうしたもんかなーっと。

というのも小林秀雄のこんな文章を読んだから。

例えば 、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする 。見ると 、それはすみれの花だと解る 。何だ 、すみれの花か 、と思った瞬間に 、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう 〜(中略)〜すみれの花だと解るという事は 、花の姿や色の美しい感じを言葉で置き換えてしまうことです 。言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを 、そのまま 、持ち続け 、花を黙って見続けていれば 、花は諸君に 、かって見た事もなかった様な美しさを 、それこそ限りなく明かすでしょう 。

言葉の邪魔かあ。確かに言葉で置き換えた途端に価値が限定的になるんだよなー。みんなに伝えるには便利だけど、その場合、すみれの花の美しさは伝わらないし、そもそも置き換えた瞬間本人も感じなくなるんだよな。。

そう考えると詩人ってすごい。置き換えでも例えでもなく、まったく違う言葉で価値を生々しく伝えることができるんだから。

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