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敬天愛人に参加を決めた理由

今月、UFCファイターでもある菊野選手が主催されている『敬天愛人稽古会』に参加を表明しました。

希望したはいいものの、何だかとんでもないことを申し込んだ気持ちになって、日にちが近づくにつれて高揚する気持ちを整理するため、文章を書きます。

筆者の武術歴

筆者は4歳の時から20年程度、『心行巍禅少林拳』という流儀を稽古していました。
とはいえ記述の通り入門が4歳なので、週1回の習い事程度から始めたものですから、技法を技法として落とし込む事を意識したのは、高校生の有段者として本部道場に通い始めたことからだと自覚しています。

きっかけは定かではありませんが、当時『ドラゴンボール』や『スト2』ブームがあって、自分も道着を着れば波動拳やかめはめ波が打てると思ったのかもしれません。そんなに運動自体も得意ではなく、内向的な性格であった自分が自らやりたいと申し出たので、母はかなり驚いたと言います。

流儀に於いては、最終段位は三段、曹洞宗の影響のある武道ということもあり、三段以上には称号(源氏名のようなもの)が印可授与されますが、その様なランク付けで稽古をしていました。
体の線が細いので、組手はそれほど得意ではありませんでしたが、型と逆技、あと齧る程度に教わった棍と仁釈術が好きでした。

心行巍禅とは

どれだけの方に読んで頂くものか分かりませんが、心行巍禅という流儀について少し。

今は退会している身ですし、在籍中もこの様な発言ができるレベルの人材ではありませんでしたが、聞き及ぶ範囲での歴史と特徴を記してみます。

心行巍禅少林拳のルーツは、不動禅少林寺拳法にあります。
心行巍禅の宗師管長先生は、不動禅の種川先生という先生に師事し、平成初期により近代的かつ実用的な解釈で修錬、普及する為独立されたと聞き及んでいます。

不動禅については公式様のホームページもおありの様ですので、私が教わった事だけ記しますが、日本に伝来した切掛としては、永平寺の高僧である大智禅師が仏教の中国留学の際に学び納めた武術が、禅師の故郷である肥後の国の菊池氏の元で、脈々と受け継がれてきたものがルーツ、と言われています。

戦後、金剛禅少林寺と名称の使用権か何かで裁判になった様な話もありますが、不動禅の本山に掛けられている看板などの備品を調査し、時系列的に金剛禅が組織化する前からその看板が存在していたようだ…という事を根拠に、不動禅が真似したわけではない、という結論にはなっていますが、組織の大小や、それに伴う社会的な影響を鑑みて、名称については今日までの流れになっていると個人的には思います(この話が事実なら、ですが)。…これ以上深掘りはしません。

技法としては、数十に渡り体系化(カリキュラム化)された経路の中に、必ず対打が存在する型、チンナ、武器術、整復などがありましたが、自分のキャリアでは恐らく全体の3分の1を修められたかどうか…という所だと思います。当然というか、何というか、経絡系(ツボ)や骨法の様な裏技や禁じ手も話には存在を聞いていましたが私も習うには至りませんでしたし、恐らく私が退会する頃には、高段者のごく一部しか修めていなかったのでは、と推測します。

『武術的』なるものへの憧れと『解釈の変化』

そんな心行巍禅を稽古していた私ですが、諸先生、諸先輩方の修錬の密度に驚愕し、そして魅力を感じていく事になります。私自身は、ギリギリ(何をもってギリギリか)鉄下駄を履かされたり、ひたすら畳に向かって棍を小突いたりという、如何にもアナログな(笑)修錬を経験させて頂いていた世代ですが、その様な稽古に足を突っ込み始めてからは、先生、先輩に対する感情は『強い』から『スゴい』に変化していきました。

型が綺麗な先生は組み手も鮮やかでしたし、この綺麗という言葉も、厳密にいうと『再現度が高い』というもので、『何でこんなことできるの?』と思うような内容が口伝される、難しい姿勢や動きを肉体でコントロールして表現される姿を見て、自分の中で武術とは、強さだけでなくある種の学問であり、芸術であり、生涯学習であると解釈する様になりました。

キャリアの終盤ではありましたが、筋肉や体の大きさに依存する『パワー』ではなく、脱力や関節の動きによって成立する『強さ』のさわりを理解することができたときの感動は今でも覚えています。

強くなった武術への思い

数年前、宗師管長が亡くなったと言う知らせを、風の噂に聞き及びました。

当時私は既に退会していましたが、その頃から、改めて私にとって武術とはなんだろうと言うことを考え始めました。

ネットの世界などをたまに見ていると、どの流派が本物でどの流派はバッタもんだ、などの記述が散見することもありますが、私にとって大事な事は、いかなる歴史や伝説が存在するとしても、その武術の体系がリアルタイムに『現存』していると言うことが1番大事なことではないかと思います(伝説があるとロマンもありますよね)。

そして現存する以上は、それを保存していくことが重要なのではないかと思います。でなければその体型の歴史は消滅してしまうからです。

生涯学習と言う観点から見ると、数学の公式や証明のように、何かを見て、覚え学ぶと言うことが安易ではありませんが、芸事のように再現できる人間が限られているということに対しては、非常に価値のあるものでもあると思います。

私は退会してから10年ほどが経ちますが、おそらくは修めた技の約半分程度は今でも打つことができると思います。そして7割から8割程度は再現はできなくとも、頭と体で形を示す事はできるかもしれません。しかしそれだけでは意味をなさないので、せめて当時印可を受けた者として、自分が修めたものを失念しない様に、自分を維持していきたいと強く思う様になったのです。

動く達人の衝撃

最近YouTubeで、ジークンドーの石井先生や、武術格闘家の菊野先生の動画がよく見られる様になってきました。

率直に言って、石井先生の動きを初めて見た時の興奮は、自分が当時覚えた『なんでこんなことできるの?』という先生達の技術を目の当たりにした感覚に非常に近かったですし、菊野先生は、当時のMMAで数少ない『自分の流儀を崩さずに戦った選手』だと思っています。
その方々の実際に動いている映像を見て、やっぱりこれだよなぁ…と思わずにはいられません。

今、武術に求めるものと今後の目標

自分は生活がうまくいかず、生活苦や社会的なストレスから、いわゆるうつ状態で通院したりということも経験しました。そこで改めて思うことは、武術修錬者の一番の強さは、腕っ節や技ではなく、『生命力』なのではないかと思いはじめました。

武術の生涯的な修錬を通じて、自己を日々高め続け、充実を実感して毎日を過ごすということは、『生』の実感としても非常に有意義なことであると思います。

今回敬天愛人に参加させていただくにあたっては、当時の様な密度の高い方々にお会いし自分を刺激し、更なる向上に弾みをつけるきっかけにしたいです。
そしてジークンドーも是非とも学んでみたいです。その一方で、ゆくゆくはルーツである、不動禅を修めている方がいらっしゃれば情報の交換や交流もしてみたいです。

へなちょこなおっさんがどこまでできるか分かりませんが、頑張ってみようと思います。

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